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尚武論 / 学びと習い、君子をめざす学問

又盡善也。謂武。盡美矣。未盡善也。此則在彼言之。若在我邦言之。則必反之。謂武。盡美矣。又盡善也。謂韶。盡美矣。未盡善。學者徒曰。武王之德不及舜。故孔子之言如此。豈其然乎。豈其然乎。聖人之道。在經理天下。平治國家。彼文國主文立敎。故其所敎詩書之文。學者誦詩則通人情。讀書則識事體。識事體通人情。則達才之法也。所謂講學是也。禮以修形。樂以治心。治心修形。則制行之術也。所謂修德是也。才行既飾。則謂之君子之人。學而時習之。學則講學治詩書也。習則修德修禮樂也。學者治詩書。修禮樂。則道成德熟。君子之人也。其不及于此者。謂之士。士亦分爲三等。不及于此者。斗筲之人耳。曰君子。曰士。學者所進品階次序。所謂五儀是也。其所受敎士。其性亦有知仁勇之別。而其質亦有魯僻嚚愚之不同。聖人率其性敎養之。不敢强其性所無也。其人所造。或德行。或政事。或言語。或文學。遂成其大。此則學問之力也。若不學。則縱存知仁勇之性。知則挈甁也。仁則婦人也。勇則匹夫也。豈足以三德稱之乎哉。學成德熟。而德行可畜。政事可達。言語可通。文學可施。自造君子之域。孔子所望學者是已。曰得見君子者。是可也。何必希聖。宋儒曰。聖可希。希。非也。孔子旣歿。其所繼業。子張子游子夏有子曾子數人。次之論語之終。著其統也。子張篇是也。聖人之道。其統不絶。而至孟子。唯孟子之時。與聖人不同。則其所道。亦有與聖人不同者也。何以言之。孔子之時。天子尚在上。則孔子之意。欲輔翼諸侯。仰戴天子。使東周如文武之時也。至孟子。則天子微々。

新字:又尽善也。謂武。尽美矣。未尽善也。此則在彼言之。若在我邦言之。則必反之。謂武。尽美矣。又尽善也。謂韶。尽美矣。未尽善。学者徒曰。武王之徳不及舜。故孔子之言如此。豈其然乎。豈其然乎。聖人之道。在経理天下。平治国家。彼文国主文立教。故其所教詩書之文。学者誦詩則通人情。読書則識事体。識事体通人情。則達才之法也。所謂講学是也。礼以修形。楽以治心。治心修形。則制行之術也。所謂修徳是也。才行既飾。則謂之君子之人。学而時習之。学則講学治詩書也。習則修徳修礼楽也。学者治詩書。修礼楽。則道成徳熟。君子之人也。其不及于此者。謂之士。士亦分為三等。不及于此者。斗筲之人耳。曰君子。曰士。学者所進品階次序。所謂五儀是也。其所受教士。其性亦有知仁勇之別。而其質亦有魯僻嚚愚之不同。聖人率其性教養之。不敢強其性所無也。其人所造。或徳行。或政事。或言語。或文学。遂成其大。此則学問之力也。若不学。則縦存知仁勇之性。知則挈甁也。仁則婦人也。勇則匹夫也。豈足以三徳称之乎哉。学成徳熟。而徳行可畜。政事可達。言語可通。文学可施。自造君子之域。孔子所望学者是已。曰得見君子者。是可也。何必希聖。宋儒曰。聖可希。希。非也。孔子既歿。其所継業。子張子游子夏有子曽子数人。次之論語之終。著其統也。子張篇是也。聖人之道。其統不絶。而至孟子。唯孟子之時。与聖人不同。則其所道。亦有与聖人不同者也。何以言之。孔子之時。天子尚在上。則孔子之意。欲輔翼諸侯。仰戴天子。使東周如文武之時也。至孟子。則天子微々。

書き下し

又善を尽くせり、と。武を謂ふ、美を尽くせり、未だ善を尽くさず、と。此れは則ち彼に在りて之を言ふ。若し我が邦に在りて之を言はば、則ち必ず之に反せん。武を謂ふ、美を尽くせり、又善を尽くせり、と。韶を謂ふ、美を尽くせり、未だ善を尽くさず、と。学者徒らに曰く、武王の徳舜に及ばず、故に孔子の言此くのごとし、と。豈に其れ然らんや、豈に其れ然らんや。聖人の道は、天下を経理し、国家を平治するに在り。彼の文国は文を主として教へを立つ。故に其の教ふる所は詩書の文なり。学者、詩を誦すれば則ち人情に通じ、書を読めば則ち事体を識る。事体を識り人情に通ずるは、則ち才を達するの法なり。所謂講学是れなり。礼以て形を修め、楽以て心を治む。心を治め形を修むるは、則ち行ひを制するの術なり。所謂修徳是れなり。才行既に飾れば、則ち之を君子の人と謂ふ。学びて時に之を習ふ。学は則ち講学して詩書を治むるなり。習は則ち修徳して礼楽を修むるなり。学者、詩書を治め、礼楽を修むれば、則ち道成り徳熟す、君子の人なり。其の此に及ばざる者、之を士と謂ふ。士も亦分かちて三等と為す。此に及ばざる者は、斗筲の人のみ。曰く君子、曰く士、学者の進む所の品階次序、所謂五儀是れなり。其の教へを受くる所の士は、其の性も亦知仁勇の別有りて、其の質も亦魯・僻・嚚・愚の同じからざる有り。聖人は其の性に率ひて之を教養し、敢へて其の性の無き所を強ひず。其の人の造る所、或いは徳行、或いは政事、或いは言語、或いは文学、遂に其の大を成す。此れ則ち学問の力なり。若し学ばざれば、則ち縦ひ知仁勇の性存すとも、知は則ち挈甁なり、仁は則ち婦人なり、勇は則ち匹夫なり。豈に三徳を以て之を称するに足らんや。学成り徳熟して、徳行畜ふべく、政事達すべく、言語通ずべく、文学施すべし。自ら君子の域に造る。孔子の学者に望む所是れのみ。曰く、君子を見ることを得ば、是れ可なり、と。何ぞ必ずしも聖を希はん。宋儒曰く、聖は希ふべし、と。希ふは非なり。孔子既に歿し、其の業を継ぐ所は、子張・子游・子夏・有子・曾子の数人なり。之に次ぎ論語の終はりに、其の統を著す。子張篇是れなり。聖人の道、其の統絶えずして孟子に至る。唯だ孟子の時は聖人と同じからず、則ち其の道ふ所も亦聖人と同じからざる者有り。何を以て之を言ふ。孔子の時、天子尚ほ上に在り、則ち孔子の意、諸侯を輔翼し、天子を仰ぎ戴き、東周をして文武の時のごとくならしめんと欲す。孟子に至りては、則ち天子微々として、

現代語訳

また善を尽くしている、と言い、武(周の武王の楽)については「美を尽くしているが、まだ善を尽くしてはいない」と言いました。これはあちらの国について言ったものです。もし我が国について言うなら、きっとこれと反対になるでしょう。武について「美を尽くし、また善を尽くしている」、韶について「美を尽くしているが、まだ善を尽くしてはいない」と。学者はむなしく、「武王の徳は舜に及ばないので、孔子の言葉がこうなのだ」と言いますが、どうしてそうでしょうか、どうしてそうでしょうか。聖人の道は、天下を治め整え、国家を平らかに治めることにあります。あちらの文の国は文を主として教えを立てます。そのため教えるものは詩書の文です。学ぶ者は詩を誦すれば人情に通じ、書を読めば物事のありさまを知ります。物事のありさまを知り人情に通じることは、才を伸ばす方法です。いわゆる講学がこれです。礼によって形を整え、楽によって心を治めます。心を治め形を整えることは、行いを律する術です。いわゆる修徳がこれです。才と行いがともに整えば、これを君子の人と言います。「学んで時にこれを習う」の、学とは講学して詩書を修めることです。習とは修徳して礼楽を修めることです。学ぶ者が詩書を修め、礼楽を修めれば、道が成り徳が熟し、君子の人となります。これに及ばない者を士と言い、士もまた三等に分けられます。これにも及ばない者は、斗筲の人にすぎません。君子といい士といい、学ぶ者が進む品階の順序、いわゆる五儀がこれです。教えを受ける士は、その性質にも知・仁・勇の別があり、その資質にも魯・僻・嚚・愚という違いがあります。聖人はその性質に従って教え養い、その性質にないものを無理に求めることはしません。その人が到達するところは、あるいは徳行、あるいは政事、あるいは言語、あるいは文学であり、ついにその大成を遂げます。これは学問の力です。もし学ばなければ、たとえ知・仁・勇の性質があっても、知は小器の知恵、仁は婦人の情け、勇は匹夫の勇にすぎません。どうして三徳と称するに足るでしょうか。学が成り徳が熟せば、徳行は蓄えられ、政事は通じ、言語は通用し、文学は施せるようになります。おのずから君子の域に到達します。孔子が学ぶ者に望んだのはこれだけです。「君子に会えれば、それでよい」と言いました。どうして必ずしも聖人を希求する必要があるでしょうか。宋の儒者は「聖人は希求できる」と言いましたが、希求は誤りです。孔子が亡くなった後、その業を継いだのは、子張・子游・子夏・有子・曾子の数人です。そのあとの『論語』の終わりに、その系統が記されています。子張篇がこれです。聖人の道はその系統が絶えずに孟子に至りました。ただ孟子の時代は聖人の時代と同じではなく、その説くところにも聖人と同じでないものがあります。なぜそう言えるか。孔子の時代は、天子がなお上にあったので、孔子の意図は、諸侯を輔け、天子を仰ぎ戴いて、東周を文王・武王の時のようにすることでした。孟子の時代になると、天子の勢いは衰えに衰えて、

解説

孔子の評価を引いて、学問の目的を、詩書を学ぶ講学と礼楽を修める修徳の二本立てで君子をめざすことだと説く一節です。学ばなければ知も仁も勇も小さなものにとどまるという指摘は、現代の管理職にも重なります。知識を得るだけで終わらず、それを日々の行動で習い続けることが、人格と判断力を育てます。研修で学んだことを実際の面談や会議で繰り返し試し、振り返る場を持つことが、本当の学びです。

この章句が説くこと

『尚武論』中村中倧君子講学修徳五儀

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