尚武論 / 実を重んじ、虚飾を捨てて学ぶ
有志之人。心竊危之。昔在 清和天皇。幼而即位。不能自臨祚。使外戚藤原氏攝政。藤原氏竟世其職。自是而君弱臣强。時又創莊園。而正稅減少。上貧下富。國勢自衰。當時大臣。早覺其季不可救。而欲遽改之。河原左大臣。及前中書王。身居皇族。竟不得其志。況菅原公雖位立三臺。本在臣位。則徒見黜而止。可嘆哉。魯隱公身居攝位。而不能卽位。自視不能爲君。臣下又不仰爲君。而公室竟弱。三桓自盛。孔子欲張公室黜三桓。其志亦不成。其著春秋。寓意於隱公不書卽位。余每嘆曰。菅公救之於事未成之首。孔子糾之於事已成之後。聖賢之旨。其揆一也。噫朝廷之衰。國勢之不振。其機百端。要之文華爲之害。最居多矣。宜擇眞儒用之。助吾武道也已。擇眞儒用之。儒何害道。今舉世用非儒者。曰儒道害國。是以罪儒者。眞儒不受也。唯我方所不足者文也。聖人樂資於人爲善。文宜資之於彼也。唯文國之文。以我邦視之。自如過於文者。姑舉一言之。父母之喪。哭泣擗踊足矣。以人代哭。爲更甚也。有神主足矣。立重設魂帛。爲更煩也。此皆虛飾。勿傚之可也。文章之道。立誠達意。彼方之文。有古今之差。有各家之風。今擬之欲巧。此則虛飾。勿學之可也。我國上古之文。多皆主實。故六國史類屬不朽。後之文人。其所著書。自謂摸擬史漢。依倣韓歐。果其不朽之典耶。要之。今之所謂文人儒者。游民之徒耳。儒者已如此。況佛者。又不足算已。我邦武國。自有武士道。此不假儒道。不用佛意。我邦自然之道也。文國尚孝。武國尚忠。夫眞田幸綱。叛父事君。九鬼守隆。助君攻父。
新字:有志之人。心窃危之。昔在 清和天皇。幼而即位。不能自臨祚。使外戚藤原氏摂政。藤原氏竟世其職。自是而君弱臣強。時又創荘園。而正税減少。上貧下富。国勢自衰。当時大臣。早覚其季不可救。而欲遽改之。河原左大臣。及前中書王。身居皇族。竟不得其志。況菅原公雖位立三台。本在臣位。則徒見黜而止。可嘆哉。魯隠公身居摂位。而不能即位。自視不能為君。臣下又不仰為君。而公室竟弱。三桓自盛。孔子欲張公室黜三桓。其志亦不成。其著春秋。寓意於隠公不書即位。余毎嘆曰。菅公救之於事未成之首。孔子糾之於事已成之後。聖賢之旨。其揆一也。噫朝廷之衰。国勢之不振。其機百端。要之文華為之害。最居多矣。宜択真儒用之。助吾武道也已。択真儒用之。儒何害道。今舉世用非儒者。曰儒道害国。是以罪儒者。真儒不受也。唯我方所不足者文也。聖人楽資於人為善。文宜資之於彼也。唯文国之文。以我邦視之。自如過於文者。姑舉一言之。父母之喪。哭泣擗踊足矣。以人代哭。為更甚也。有神主足矣。立重設魂帛。為更煩也。此皆虚飾。勿傚之可也。文章之道。立誠達意。彼方之文。有古今之差。有各家之風。今擬之欲巧。此則虚飾。勿学之可也。我国上古之文。多皆主実。故六国史類属不朽。後之文人。其所著書。自謂摸擬史漢。依倣韓欧。果其不朽之典耶。要之。今之所謂文人儒者。游民之徒耳。儒者已如此。況仏者。又不足算已。我邦武国。自有武士道。此不仮儒道。不用仏意。我邦自然之道也。文国尚孝。武国尚忠。夫真田幸綱。叛父事君。九鬼守隆。助君攻父。
書き下し
有志の人、心に窃かに之を危ぶむ。昔、清和天皇、幼くして即位し、自ら祚に臨む能はず、外戚藤原氏をして摂政せしむ。藤原氏竟に世々其の職に居り、是より君弱く臣強し。時に又荘園を創め、正税減少し、上は貧しく下は富み、国勢自づから衰ふ。当時の大臣、早く其の季の救ふべからざるを覚り、遽かに之を改めんと欲す。河原左大臣及び前中書王、身は皇族に居れども、竟に其の志を得ず。況んや菅原公は位三台に立つと雖も、本臣位に在れば、則ち徒らに黜けられて止む。嘆くべきかな。魯の隠公は身摂位に居りて即位する能はず、自ら視て君たる能はず、臣下も又仰ぎて君と為さず、公室竟に弱く、三桓自づから盛んなり。孔子、公室を張り三桓を黜けんと欲せしも、其の志も亦成らず。其の春秋を著すに、意を隠公の即位を書せざるに寓す。余、毎に嘆じて曰く、菅公は之を事未だ成らざるの首に救ひ、孔子は之を事已に成れるの後に糾す。聖賢の旨、其の揆一なり、と。噫、朝廷の衰へ、国勢の振はざる、其の機百端、之を要するに文華の害を為すこと、最も多きに居る。宜しく真儒を択びて之を用ひ、吾が武道を助けしむべきのみ。真儒を択びて之を用ひなば、儒何ぞ道を害せん。今、世を挙げて非儒者を用ひ、曰く、儒道は国を害す、と。是を以て儒者を罪す。真儒は受けざるなり。唯だ我が方の足らざる所は文なり。聖人は人に資りて善を為すを楽しむ。文は宜しく之を彼に資るべし。唯だ文国の文は、我が邦を以て之を視れば、自づから文に過ぐるが如き者あり。姑く一言を挙げん。父母の喪に、哭泣擗踊して足れり。人を以て哭を代ふるは、更に甚だしと為すなり。神主有りて足れり。重を立て魂帛を設くるは、更に煩はしと為すなり。此れ皆虚飾なり。傚ふこと勿くして可なり。文章の道は、誠を立て意を達す。彼の方の文は、古今の差有り、各家の風有り。今之に擬して巧みならんと欲す。此れ則ち虚飾なり。学ぶこと勿くして可なり。我が国上古の文は、多く皆実を主とす。故に六国史の類は不朽に属す。後の文人、其の著す所の書、自ら史漢に摸擬し、韓欧に依倣すと謂ふ。果たして其れ不朽の典ならんや。之を要するに、今の所謂文人儒者は、游民の徒のみ。儒者すら已に此くのごとし。況んや仏者は、又算ふるに足らざるのみ。我が邦は武国なり。自づから武士道有り。此れ儒道を仮らず、仏意を用ひず、我が邦自然の道なり。文国は孝を尚び、武国は忠を尚ぶ。夫れ真田幸綱は父に叛きて君に事へ、九鬼守隆は君を助けて父を攻む。
現代語訳
志ある人は、心ひそかにこれを危ぶんでいます。昔、清和天皇は幼くして即位され、自ら位に臨むことができず、外戚の藤原氏に摂政をさせました。藤原氏はついに代々その職に就き、これ以後、君は弱く臣は強くなりました。このころまた荘園が始まり、正税が減少して、上は貧しく下は富み、国勢はおのずと衰えました。当時の大臣は、早くその末が救えないことを悟って、急いで改めようとしました。河原左大臣および前中書王は、身は皇族でありながら、ついにその志を遂げられませんでした。まして菅原公は位が三公に立ちながら、もともと臣下の位にあったので、むなしく退けられるだけに終わりました。嘆かわしいことです。魯の隠公は摂政の位にいて即位することができず、自らも君たりえないと思い、臣下もまた君として仰ぎませんでした。公室はついに弱く、三桓がおのずから盛んになりました。孔子は公室を張り、三桓を退けようとしましたが、その志もまた成りませんでした。『春秋』を著すに当たり、隠公の即位を書かないことに意を寓しました。私はいつも嘆いて言います。菅公はこれを事が成る前の初めに救おうとし、孔子はこれを事が成ったあとに糾しました。聖賢の趣旨は、その理は一つです、と。ああ、朝廷が衰え、国勢が振るわなかった原因は多くありますが、要するに文華の害が最も大きいのです。真の儒者を択んで用い、私たちの武道を助けさせるべきです。真の儒者を択んで用いるなら、儒がどうして道を害するでしょうか。今、世を挙げて儒者でない者を用い、「儒道は国を害する」と言って、儒者を罪しています。真の儒者はこれを受け入れません。ただ我が方に足りないのは文です。聖人は人から取り入れて善をなすことを楽しみます。文はあちらから取り入れるのがよいのです。ただし文国の文は、我が国から見れば、おのずと文に過ぎるようなものがあります。しばらく一つだけ挙げましょう。父母の喪に、哭泣して胸を打ち足を踏み鳴らせば十分です。人を雇って代わりに哭かせるのは、さらに度が過ぎています。神主があれば十分です。重を立て魂帛を設けるのは、さらにわずらわしいことです。これらはみな虚飾です。倣わなくてよいのです。文章の道は、誠を立てて意を伝えることです。あちらの文には、古今の差があり、各家の風があります。今これに似せて巧みになろうとしています。これは虚飾です。学ばなくてよいのです。我が国の上古の文は、多くがみな実を主としていました。だから六国史の類は不朽に属します。後の文人は、その著した書を、自ら史記・漢書に倣い、韓愈・欧陽脩に倣ったと称します。果たして不朽の書でしょうか。要するに、今の文人や儒者は、遊民の徒にすぎません。儒者でさえすでにこのとおりです。まして仏者は、数えるに足りません。我が国は武の国です。おのずから武士道があります。これは儒道を借りず、仏の意も用いない、我が国の自然の道です。文の国は孝を尚び、武の国は忠を尚びます。真田幸綱は父に背いて主君に仕え、九鬼守隆は主君を助けて父を攻めました。
解説
この章句が説くこと
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『尚武論』・文に偏る害と、封建が武を興す理存するが如く亡きが如し。天運已に改まり、聖賢の力も之を為す能はず。則ち天下已に喪乱に苦しみ、生民自づから塗炭に陥る。又別に王者の起こりて之を救ふ有るを俟つのみ。斉の桓公、未だ必ずしも純ら王道を用ひずと雖も、其の力、天子を翼戴し、天下を一匡す。則ち孔子已に其の仁を与す。蓋し試みる所有ればなり。孟子は却つて之を卑しむ。時世の異なればなり。管仲は三帰反坫の僭有れども、其の仁たるを害せず。若し其の純ならざるを以て之を廃せば、則ち孟子にも亦純ならざる者有り、宜しく廃する所に在るべし。我が邦の用ふる所の儒道は、儒の本原を究めず、変通の道を知らず、唯だ文辞章句を為すのみ。此れを以て聖人の道と為して之を朝廷に用ふれば、則ち搢紳の士は文人たるのみ。搢紳の士既に文人たれば、則ち軟弱に失はざる者幾ど希なり。悪くんぞ孔孟の道たらんや。吁、朝廷是を以て衰微不振に至る、亦悲しむべきかな。更に仏法因果応報の説を用ひて人心を蕩滌するに至り、其の邪説を以て国神を推移し、以て彼は則ち祇侫媚者なりと謂ふ。是に於いて神に賽し仏に佞し、僧を寵し巫を崇め、至らざる所無し。人事の当に務むべきを務めず、国勢奚ぞ失はざるを得んや。我が邦の上古の太平は儒と仏とに由るに非ず、別に所在有るなり。我が邦は固より武国たり、則ち武有りて国昌え、武無ければ則ち国衰ふ。国の興替は唯だ武事の盛衰に在るのみ。国柄を執る者は、宜しく真儒を用ひて武事を輔くべきのみ。古人既に文武を以て之を車の両輪、鳥の両翼に比す。唯だ文を以て武を害すること勿かれのみ。夫れ武士の国に在るは、猶ほ水の地中に在るがごとし。師の卦の象見るべし。往くとして水に非ざる莫く、至る攸として武士にして其の長を用ひざる莫し。諸侯を建てて其の国を治めしむれば、則ち国自づから興り、磐石堅固なり。武国たる所以なり。我が邦、上古は封建、中葉は郡県と為りて、国勢衰弱す。今復た封建と為れば、則ち武道自づから盛んにして、武国の名に適ふ。賀すべく悦ぶべきなり。上古は封建、中葉は郡県とは、何を以て之を言ふ。白石先生曰く、上世の制は、猶ほ三代封建の時のごとし。中世以降は、亦猶ほ漢の初め、兼ねて封建郡県の制を有つがごとし。孝徳の世に迨びて、天下尽く変じ、嬴秦郡県の制と為れり、と。昔、上世に在りて五方の国、各々君長有り、山海の間に散在し、大小強弱、相統一する能はず。神武開国の初め、其の功有るを封ず。
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『尚武論』・義理と廉恥、そして備えの実際仏の流れと為らざる者幾ど希なり。今の儒者、滔々たる者は皆仏の徒なるかな。僧義堂曰く、儒者は我が仏法を用ふること七分、と。誠なるかな。学者若し仏の流れと為らんと欲せば、則ち宜しく儒を拾てて仏に従ふべきなり。僧日蓮、鎌倉に在りて、土牢の中に拘はるること三年、而る後に勅命有り。日蓮、使者を迎へて曰く、我、一尺の牢中に在るも、亦関せず、我が心は則ち天地の間に充つ、と。三宅尚斎曰く、其の胸中の大なる、吾が党に却つて此の気象無し、と。余毎に曰く、性理の弊は仏法と為り、古学者の弊は文人と為る。我が邦の学者は、道学先生と為ること勿かれ、其の仏に陥らんことを恐るればなり。詞章を事とすること勿かれ、其の文人に流れんことを恐るればなり。平日武術を治め、以て義理を識り、廉恥を養ふを要と為す。武と云ふ、武と云ふ、戈矛の云ならんや。義理を知らざれば武に非ざるなり。廉恥を弁へざれば武に非ざるなり。又戈矛弓矢備はざれば武に非ざるなり。米粟多からざれば武に非ざるなり。如し其れ米粟多からずんば、則ち何ぞ瑞穂国と謂はん。戈矛備はらずんば、則ち何ぞ細戈千足国と謂はん。我が国は特り東海の中に立ち、諸邦と壌を接せず。米粟備はり、矛戟満ち、士皆義理を知り廉恥を弁ふれば、外賊其の辺陲を窺ふを得ず。弘安の蒙古は、北条時宗撃ちて之を殲し、応永の明賊は、足利義持討ちて之を却く。豈に亦壮ならずや。唐の太宗は八十万を将ゐて朝鮮を撃つも、朝鮮服せず。而るに神功皇后は婦人にして躬自ら甲を擐き、征して之を平らぐ。豊臣太閤は全功を収めずと雖も、彼の国懾服し、懲りて之を慫す。我が邦の武の諸国に冠たるを知るべし。近く聞く、外賊の来たりて伺ふ者有りと。今や封建の制、各々皆其の地に処りて之を禦ぐ。必ずしも多兵を仮らず、趙の李牧の胡を防ぐが如く易易たるのみ。若し遠兵を用ふれば、則ち兵労れ国糜え、後禍貲らず。李広父子、兵を将ゐて遠きに抵り、其の功を収めざるは、李氏の兵術、豈に李牧に及ばざらんや。封建郡県に得失有るを以ての故なり。今、浦安国に生まれ、封建の制有りて、漫りに辺陲を憂ふ。亦何の心ぞや。或ひは又措きて問はず、遂に驕奢を去らず、武術を備へず、遊佚日に増し、怠惰月に生ずるに至る。我が憂ひは此に在りて、戎に在らず。余故に曰く、我が邦の人は、宜しく武を識るべきのみ。能く武を識れば、則ち上安く下平らかに、逆臣凌がず、外寇入らず、四方事無し。亦何ぞ堯舜の治を羨まんや。
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『尚武論』・武国日本と、風土に合った道我が邦は武国なり。西土は文国なり。文国は文を尚び、武国は武を尚ぶ、固より其の所なり。何を以て之を言ふ。夫れ上古数百年の間、逆臣凌がず、外寇入らず、上安く下平らかに、四方事無し。其の治、堯舜の世に孰与れぞ。当時、儒道未だ入らず、仏法未だ興らず。何を以て然るか。唯だ武の治のみ。我が邦に武有るは、我が邦自然の道なり。尚ぶべきかな。何を以て其の然るを知る。曰く、瑞穂国とは、米粟狠戻の謂なり。曰く、細戈千足国とは、武器精備の謂なり。武器精しく、米粟足る。武国に非ずして何ぞ。又曰く、礒馭廬島とは、猶ほ西土の丈夫国と曰ふがごとし。丈夫は即ち武夫の称なり。曰く、浦安国とは、外賊侵す能はず、四辺安寧の義を取るなり。此れ則ち此れ武国たる所以なり。余乃ち卦を以て之を推すに、我が邦は震卦に配す。説卦に曰く、震は龍たり、と。西川求林曰く、我が国の形、游龍の象有り、と。真に然り。我が邦は丈夫と称す、猶ほ彼の国の君子と称するがごとし。西土は文国にして、其の邦已に文を主とす、則ち君子を以て尚しと為す。自づから同じからざるのみ。我が邦の武夫、豈に君子を以て之を称すべけんや。彼も又我が邦を称して君子国と曰ふは、自ら尚ぶ所を以て之を称するなり。固より彼と此と別有るを知らざるなり。聖人の道は天に順ひ時に応ず。子丑寅の建正、忠質文の更尚、彼の土に在りて古今異なる。宜しく已に然るべし。況んや我が邦の彼の邦に於けるや、相距たること幾百里、其の風絶異し、人情同じからず。悪くんぞ其の道を同じうするを獲んや。君子は其の教へを修めて其の俗を易へず、其の政を斉へて其の宜しきを易へず。故に我が邦の武は廃棄すべからざるなり。孔子若し桴に乗りて海に浮かび、既に我が方に在らば、則ち必ず武を以て尚しと為さん。未だ必ずしも文を以て尚しと為さず。若し西土の文に拘泥して国土の道に循はず、曰く、我聖人の道を学ぶ、と。豈に之を聖人の道を知ると謂ふべけんや。聖人は礼楽を以て国を治む。彼の国の礼楽は文を主として之を制す、則ち我が邦の礼楽は宜しく武を主として之を制すべきのみ。東涯先生曰く、今日の世に在りては、今日の楽無かるべからず。何ぞ必ずしも前古の楽を襲ひて以て之を今日に用ひんや。聖人作ること有らば、必ず能く当時の楽を制し、当時の人をして視て之を楽しみ、聴きて之を悦ばしめん。亦唯だ世俗の楽に因りて之を文るのみ、と。其の言甚だ善し。然れども未だ彼と此と文武の異有るを論ずるに及ばず。孔子、韶を謂ふ、美を尽くせり、
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『尚武論』・法と情の両立と、史伝を座右に置く学び六国史以下の史は、猶ほ彼の方の書のごとし。弓矢の礼は、乃ち彼の方の所謂礼なり。我が邦の人、是を以て学と為さば、亦武徳を養ふに庶幾からんか。唯だ我が邦のごときは楽無きを如何せん。若し聖人起こること有らば、宜しく其の方俗に従ひ、其の宜しきを稽へ、之を制作すべし。世に用ふる所の猿楽は、稍や武楽に近し。姑く之を用ひて、頗る勇気を養ふに足るのみ。仏にも楽有り、僧徒常に之を用ふ。仏の盛んなるは、即ち楽を行ふの効なり。楽は無かるべからざるものなり。我が邦に楽無きは、大いなる闕典為り。初め神君、天下を平治するに専ら武徳を以てし、傍ら儒学を用ふ。乃ち儒者の空論多く、大いに実事を害するを厭ひ、是を以て宋学を用ひて程式と為し、無用の論説を省く。然れども又異学を禁ぜず、人材を生ずるを求むる所以なり。慶元以還、文運大いに闢け、元禄・享保に至りて儒学勃興し、人物輩出し、前代に比無し。自づから天子に臣たらず、諸侯に友たらざるの士有り、盛んと謂ふべし。唯だ憾むらくは先輩皆武の文より尊きを知らず、徒らに俛首して文学の士に従はんと欲す。亦誤りならずや。漢の時、文武は二と為り、烈士は皆武人の中より起こる。文国すら猶ほ然り、況んや我が方に於いてをや。近代、大石良雄は、躬ら国家の令を干し、其の主の為に能く其の仇を報い、罪を闕下に俟つ。此れ私には則ち忠を存し、公には則ち法を重んず。両つながら得たりと謂ふべし。武士道は自づから此くのごときのみ。尚ぶべしと為す。国家の法は固より泰山より重し。則ち其の忠志を愍れむと雖も、法を枉げて私を行ふ能はず。待つに武士道を以てして死を賜ふ。法を重んじ忠を恤み、天下の耳目を新たにして、武士道を興起するなり。吾が儕小人、妄りに口吻を容るべからずと雖も、私に以為へらく、太平の兆なり、と。欽みて奉り之を賀す。而るに闇斎の流れは、漫りに議して以為へらく、彼は復讐に非ず、と。徂徠の徒は、妄りに斥けて以為へらく、彼は義士に非ず、と。一は性理に泥み、一は文辞に拘り、我が邦に武道の尚ぶべき有るを知らず。悲しいかな。湯浅常山曰く、苟くも武士たる者は、寧ろ文華を廃すとも、武事を廃すること勿かれ、と。真儒の見、卓なりと謂ふべし。嘗て聞く、程子、人に史伝を読むことを勧む、と。予も又毎に謂ふ、我が方の学者は、当に勤めて史伝を読むべし、と。夫の常山紀談・藩翰譜・砕玉話・武野燭談等の類のごときは、則ち常に諸を座右に置きて可なり。此れ則ち武心を養ふの方なり。楽を用ひず、武術を治めずして、別に心を治むるの方有らんや。学者徒らに心を治むるの工夫を為し、
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『学論抄録』・時代で変わる文武の重みと武家の成り立ち孔子豈に独り未だ之を学ばざらんや。将た必ず其の再三問うて措かざるを待ちて後、以て応ずる有るなり。亦た臣の君に対するの礼なり。具眼の儒先の成説已に此くの如し。末学復た何ぞ之れ贅せん。夫れ礼楽は、先王の妙術にして、治道は此に由らざる莫し。軍は是れ五礼の一にして、吉凶賓嘉の四つは、是れ治日の礼、軍は以て乱を戢む。其の軽んずべからざること知るべし。子の慎む所は斎・戦・疾、苟くも慎むこと無くして可ならんや。而して治まれば則ち武衰へ、乱るれば則ち文荒る。理勢の緩急、必ず然らざるを得ざるなり。故に文武の二つは素より軽重無しと雖も、然れども時を済ふの挙は、自ら抑揚有り。此れ政教の異同無きこと能はざる所以なり。按ずるに古に大道・常道の目有り。所謂大とは、小数に対して言ふ。蓋し時王の行ふ所、時俗風を成し、対立する者無きの謂なり。所謂常とは不経に対して言ふ。蓋し先王の建つる所、万世之に依りて易ふべからざるの謂のみ。原ぬるに夫れ我が国上世、細戈千足国と称す。武備の盛んなる、亦た以て知るべし。爾来国人風を成すなり。中葉以降、天下の権、人臣に移り、其の権を握る者、或いは文を以て自ら処り、或いは武を以て自ら処る。蓋し澆季の世、術古に及ばず、所謂文武も亦た先王の旧に非ざるなり。故に文を以て自ら処る者は、早く外患有るを忘れ、淫靡の風従ひて起こる。是を以て永く社稷を保つこと能はず。平相国の如き是れなり。武を以て自ら処る者は、剛烈にして風を損ひ、礼制過朴の弊無きこと能はず。然れども常に戒慎恐懼の意有りて、反って先王の遺旨を存す。是を以て遽かに滅亡の憂ひに至らず。鎌倉氏の如き是れなり。前蹤昭々として見るべし。神祖の運を開くに追び、遠く国初の芳躅を追ひ、近く前代の覆轍を鑑み、武を以て表と為し、文を以て裏と為す。而して玉科金条、標題して武家と曰ふ。恭しく惟みるに皇帝の封冊に曰く、征夷大将軍云々と。所以に、当路の士大夫皆武を以て自ら処り、傍らに儒者を置きて以て顧問に備ふ。官儒と雖も其の始め皆円頂にして僧官に属し、
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『尚武論』・太平に慣れて武を忘れる危うさ天下の命をして、独り一人に制せしむ。諸を祖宗の世に致すも、亦猶ほ姓を更め物を改むるがごときなり、云云。吁、封建の政、郡県と為り、国体変ぜり。古は聖王の世、民は戎政に藉り、柄は常に上に在り。故に四方に事有れば、則ち天子親征す。中世に迨び、文辞を弄ぶに至れば、則ち干戈を観ること敵属のごとく、一に之を武臣に委ね、自ら視ること尊大、武臣を卑しみて奴隷と為す。上下隔遠し、文武日に離離たり。武国の実安くに在らんや。是を以て朝廷自づから衰へて武臣興り、国勢も亦変ず。我が邦は武の在る所、則ち勢の存する所なり。武有る者は盛んに、武無き者は衰ふ。帝大友は文なり、竟に天武の武に克つこと能はず。平家は文なり、終に源氏の武に勝つ能はず。南朝は文なり、卒に足利の武に克つ能はず。夫れ新田・楠は武臣なり。躬ら南朝に属すれば、則ち志を得ること克はざるは、勢の自然のみ。或ひと曰く、尊氏の西奔するや、義貞追ひて之を撃たず、殆ど事機を誤れり。楠、奏言して報いられず、憤激して早く歿す。南朝の振はざる所以なり、と。余謂へらく、義貞・正成、知勇有りと雖も、悪くんぞ天の助くる所に勝たんや。天の助くる所は、智も測る能はず、勇も奪ふ能はざるのみ。天の助くる所は、即ち武に在り。神代、諾冊の二神、瓊矛もて天下を定むるも、歴世の久しきに、天下復た乱る。神武天皇、一旦にして之を戡定す。所謂一治一乱是れなり。爾後も亦朝廷文弱、足利氏の季に臻りて、衰乱極まれり。神君龍興するに迨び、其の用ふる所熊羆の士に非ざる莫く、遂に天下を克服して、天下一に帰し、海内安寧、以て今日に至る。亦盛んならずや。是れ則ち天地神明の祐くる所なり。神武天皇の後、亘ること数千載、皇統繁衍し、継続して絶えず。乃ち我が神君の如きも、亦其の種胤にして、奕葉蔓衍して天下に充つ。武徳の盛んなること、実に前古に度越す。神明の祐くる所、以て知るべし。乃ち知る、武威は皇統と並び立つこと幾百万歳、天地と悠久なること、固より占卜を俟たざるなり。唯だ恐る、大平の久しきに、人逸楽に就き、驕奢に流れ、義を忘れ利を求め、実を去りて虚を務め、誠を喪ひて詐を懐き、懋を離れて便に随ひ、其の極み武徳を失ふに至らんことを。今、世上の俗を察するに、僧徒極めて衆くして武士少なく、商賈常に盛んにして農民減じ、游民自づから多くして工職耗す。国自づから貧乏を取る。

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