紫灘遺稿抄録 / 心得の条々・天地に通じる誠で行う
一天も誠にて天たり、地も誠にて地たり、日月星辰の運び、四時のうつりかはるも誠なり、山嶽河海の安然たるも、洋乎たるも誠なり、兩間に生々死々するもの、皆一つの誠にてする事なり、草木の華さき實のるも、鳥獸の走り鳴も又誠なり、人の生る、固り誠なり、其知覺運動する、目の物を照し、耳の聲を聞、すべて誠なり、如此、誠の中に生活して、誠の中に行立するものなれば、君臣となり、父子となり、兄弟となり、夫婦となり、朋友となる、親義別序信の道、いかでか虛にて行ふべき、かならず一筋の誠にて爲べき事なり、はづかに其間に私欲まじれば、きず付て誠ならず、誠ならねば、虛にて感動する事なく、親義別序信もすべて名のみとなるなり、萬の事誠なければならず、よろしき酒も水を雜れば下戶も不醉、あしき酒にても醇なれば上戶も酩酊に至るが如し、中庸に、誠なければ物なしといへる道理にて、なに事にても誠實の心なければ、たとへ其事なりたりとも、ならざる如し、固よりなるべき道理もなし、さて誠は天地萬物の差別なく、同じ誠なり、況や、人は天地人三才と、天地にさしつゞきての人なれば、誠といひても、萬物よりは一入醇粹にあるべき道理なり、されば人の誠は萬物の誠よりも天地に感通し易し、孟宗が雪中に竹孫を得、某醴泉を得たるなど、彼是と理窟を付て、疑ふ人もあれど、さにあらず、一筋の誠天地を感動して、自然と竹孫もはえ泉も湧出たるなり、人は小天地とて、人の誠は天地の誠と一同物にて、糸のつゞきたる樣にて、こなたを引ば、かなたも動き、かなたより引ば、こなたも動くものなり、天怒りて雷鳴電迸すれば、人も恐怖を起し、天喜で雲淡く、風輕ければ、人も安眠を催す、
新字:一天も誠にて天たり、地も誠にて地たり、日月星辰の運び、四時のうつりかはるも誠なり、山嶽河海の安然たるも、洋乎たるも誠なり、両間に生々死々するもの、皆一つの誠にてする事なり、草木の華さき実のるも、鳥獣の走り鳴も又誠なり、人の生る、固り誠なり、其知覚運動する、目の物を照し、耳の声を聞、すべて誠なり、如此、誠の中に生活して、誠の中に行立するものなれば、君臣となり、父子となり、兄弟となり、夫婦となり、朋友となる、親義別序信の道、いかでか虚にて行ふべき、かならず一筋の誠にて為べき事なり、はづかに其間に私欲まじれば、きず付て誠ならず、誠ならねば、虚にて感動する事なく、親義別序信もすべて名のみとなるなり、万の事誠なければならず、よろしき酒も水を雑れば下戸も不酔、あしき酒にても醇なれば上戸も酩酊に至るが如し、中庸に、誠なければ物なしといへる道理にて、なに事にても誠実の心なければ、たとへ其事なりたりとも、ならざる如し、固よりなるべき道理もなし、さて誠は天地万物の差別なく、同じ誠なり、況や、人は天地人三才と、天地にさしつゞきての人なれば、誠といひても、万物よりは一入醇粋にあるべき道理なり、されば人の誠は万物の誠よりも天地に感通し易し、孟宗が雪中に竹孫を得、某醴泉を得たるなど、彼是と理窟を付て、疑ふ人もあれど、さにあらず、一筋の誠天地を感動して、自然と竹孫もはえ泉も湧出たるなり、人は小天地とて、人の誠は天地の誠と一同物にて、糸のつゞきたる様にて、こなたを引ば、かなたも動き、かなたより引ば、こなたも動くものなり、天怒りて雷鳴電迸すれば、人も恐怖を起し、天喜で雲淡く、風軽ければ、人も安眠を催す、
書き下し
一天も誠にて天たり、地も誠にて地たり、日月星辰の運び、四時のうつりかはるも誠なり、山嶽河海の安然たるも、洋乎たるも誠なり、兩間に生々死々するもの、皆一つの誠にてする事なり、草木の華さき實のるも、鳥獸の走り鳴も又誠なり、人の生る、固り誠なり、其知覺運動する、目の物を照し、耳の聲を聞、すべて誠なり、如此、誠の中に生活して、誠の中に行立するものなれば、君臣となり、父子となり、兄弟となり、夫婦となり、朋友となる、親義別序信の道、いかでか虛にて行ふべき、かならず一筋の誠にて爲べき事なり、はづかに其間に私欲まじれば、きず付て誠ならず、誠ならねば、虛にて感動する事なく、親義別序信もすべて名のみとなるなり、萬の事誠なければならず、よろしき酒も水を雜れば下戶も不醉、あしき酒にても醇なれば上戶も酩酊に至るが如し、中庸に、誠なければ物なしといへる道理にて、なに事にても誠實の心なければ、たとへ其事なりたりとも、ならざる如し、固よりなるべき道理もなし、さて誠は天地萬物の差別なく、同じ誠なり、況や、人は天地人三才と、天地にさしつゞきての人なれば、誠といひても、萬物よりは一入醇粹にあるべき道理なり、されば人の誠は萬物の誠よりも天地に感通し易し、孟宗が雪中に竹孫を得、某醴泉を得たるなど、彼是と理窟を付て、疑ふ人もあれど、さにあらず、一筋の誠天地を感動して、自然と竹孫もはえ泉も湧出たるなり、人は小天地とて、人の誠は天地の誠と一同物にて、糸のつゞきたる樣にて、こなたを引ば、かなたも動き、かなたより引ば、こなたも動くものなり、天怒りて雷鳴電迸すれば、人も恐怖を起し、天喜で雲淡く、風輕ければ、人も安眠を催す、
現代語訳
一、天も誠によって天であり、地も誠によって地です。日月星辰の運行も、四季の移り変わりも誠です。山岳や河海が安らかであるのも、広々としているのも誠です。天地の間に生き死にするものは、皆一つの誠によって行われます。草木の花が咲き実が成るのも、鳥獣が走り鳴くのもまた誠です。人が生まれるのももとより誠です。その知覚や運動、目が物を照らし、耳が声を聞くことも、すべて誠です。このように誠の中に生活し、誠の中に立ち居するものですから、君臣となり、父子となり、兄弟となり、夫婦となり、朋友となる、親・義・別・序・信の道を、どうして偽りで行えるでしょうか。必ず一筋の誠で行うべきものです。わずかでもその間に私欲が混じれば、傷がついて誠でなくなり、誠でなければ、偽りでは人を感動させることはなく、親義別序信もすべて名ばかりになります。万事に誠がなければならず、よい酒でも水を混ぜれば下戸も酔わず、悪い酒でも純粋ならば上戸も酩酊に至るようなものです。『中庸』に「誠なければ物なし」というのも道理で、何事でも誠実の心がなければ、たとえ事が成ったとしても成らないのと同じで、もとより成るはずもありません。さて誠は天地万物に差別なく、同じ誠です。ましてや、人は天・地・人の三才といって、天地につながる人ですから、誠といっても、万物よりもひときわ純粋であるはずです。ですから人の誠は万物の誠よりも天地に通じやすいのです。孟宗が雪の中で筍を得、某が醴泉を得たことなどを、あれこれ理屈をつけて疑う人もいますが、そうではなく、一筋の誠が天地を感動させて、自然と竹の子も生え、泉も湧き出たのです。人は小天地といって、人の誠は天地の誠と同じ物で、糸が続いているようなもので、こちらを引けばあちらも動き、あちらから引けばこちらも動くものです。天が怒って雷が鳴り稲妻が走れば、人も恐怖を起こし、天が喜んで雲が淡く風が軽ければ、人も安眠を催します。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』誠老氏の徒の先王の道を謂ひて偽と為すに及びて、子思中庸を作り、誠を言ふ者始めて盛んなり。然れども其の意は謂ふ、誠は天地の徳なり、鬼神の徳なり、性の徳なり、聖人の徳なり、と。天地鬼神は、皆思慮勉強の心無き者なり、故に誠を以て其の徳と為す。匹夫匹婦の愚不肖と雖も、其の性に得る所の者は、皆思はずして知り、勉めずして能くす。故に性の徳と曰ふなり。性は人の天に得る所なり。故に「誠は天の道なり」と曰ふ。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一我が身の慾を恣にするより大なる禍なし。人の非をそしるより大なる悪なしと、古人いへり。此二は、義理に乖くのみならず、身を亡す道なり。常に心にかけて戒むべし。一凡平生の心法は、真実にして偽なかるべし。中庸に、誠は天の道なり、之を誠にする者は、人の道なりといへり。誠は天の道なりとは、陰陽のしわざ、日月のめぐり、春夏秋冬の次第、いにしへ今かはらず、草木の、春生じ、夏長じ、秋みのり、冬をさまりて、年々にかはりなきも、皆是天道の誠なり。之を誠にすとは、人の力にて、つとめて誠にするを云ふ。人は天地の子なれば、天道の誠を法とし、したがひて行ふべし。是之を誠にするは人の道なり。孔子も忠信を主とすとのたまへり。此意は、誠を以て人の心の主とすべしとなり。
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『初学訓』巻之四一およそ、農工商の三民は、君に仕へずして禄なし。みづから利養を求むるを専とす。されど、義理を捨てて利養を求むるは、天道に背き、人事を妨げて、たとひ、一旦の利を得るといへど、必ず天の咎人のにくみ有りて、後の禍にあふ。おろかなるものは、眼前の利をのみ謀りて、後の禍を知らず。不善を行ひて、利をむさぼること小なれば、財を失ふ。甚しければ、家を破り身を亡す。天のせめ人のにくみ遁れがたし、愚なるにあらずや。誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。四時行はれ、百物生る。善にさいはひし悪にわざはひす。是天道のまことなり、古今たがはず。人の道は、これを則として、つとめて誠にするにあり。ここをもつて、人の心は誠を主とす。誠あらざれば物なし。君父によく仕へ、いかなる善を行ひても、誠なければ為す事皆ひがごとなり。是を物なしといふ。つとめて善を行ふも、誠なければ、みづから欺き、人を欺くに至る、惜むべし。欺くとは偽るなり。故に、万の事誠を本とすべし。孔子の主忠信とのたまふも、此意なり。忠信は誠の心なり。
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『慎思録』巻之五聖賢の誠の字を言ふ、人の実心を以て言ふ者有り、天地鬼神の実理を以て言ふ者有り。李邦直、誠の字を解して曰く、欺かざる之を誠と謂ふ、と。此れ只実心を解し得たり。所謂之を誠にするは、人の道なり、といふものなり。実理に於ては、則ち説き去らず。程子改めて解して曰く、無妄之を誠と謂ふ、と。所謂誠は、天の道なり、といふものなり。此れ実心実理に通じて之を説くなり。精当と謂ふべし。
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『五常訓』巻之五・信是皆まことの道にあらず。忠孝にかぎらず、万事皆かくの如し。中庸に、不誠無物といへり。物なしとは、偽りて実なきなり。親につかへ、君につかふるに、誠なくして、右にいへる如くなれば、忠孝にあらず。是物なきなり。万の事、皆誠なければ物なし。凡名と利とを求めてする事は、たとひ天下に聞ゆるほどの善なりとも、其心真実ならざれば私とす。善にあらず。是物なきなり。四徳に誠なければ、仁義礼智にあらず、いつはりなり。是物なきなり。人の、天より生れつきたる性は、唯仁義礼智の四徳なり。此四徳にて、人道行はる。此故に、孟子は、ただ仁義礼智を説きて、信を説き給はず。程子曰く、四端に信を言はざるは、既に誠心有りて四端と為れば、則ち信其の中に在ればなり。これを以て、仁義礼智の外に、信なきことを知るべし。
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『新論』國體上而して人神相感ずること、盥ひて未だ薦めざるの間に在りて最も至れりと為す。天下の誠、以て尚ふる莫し。故に中庸の誠を論ずる、亦先づ鬼神の徳を言ひて、舜と武王・周公の孝に及び、宗廟之を饗け、子孫之を保つと。遂に祖廟を修むることを言ひて、以て郊社禘嘗に至り、乃ち曰く、国を治むること諸を掌に示すが如しと。孝経の首章、大雅の祖を念ふの詩を引き、而して其の聖人の孝を論ずる、亦周公の郊祀及び明堂の祀を以て大と為す。其の意亦見るべきなり。陰陽合して物を生じ、精なる者人と為る。其の体は即ち父祖の遺にして、其の気は即ち天地の精なり。同体一気、交々相感応す。故に鬼神の徳、物に体して遺さず、洋洋として左右に在るが如し。人神至誠の相感ずるは、固より自然の符なり。聖人因りて以て教を設け、郊社禘嘗、以て帝に事へ先を祀りて、本に報い始めに反るの義尽せり。

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