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五常訓 / 巻之五・信

是皆まことの道にあらず。忠孝にかぎらず、萬事皆かくの如し。中庸に、不誠無物といへり。物なしとは、僞りて實なきなり。親につかへ、君につかふるに、誠なくして、右にいへる如くなれば、忠孝にあらず。是物なきなり。萬の事、皆誠なければ物なし。凡名と利とを求めてする事は、たとひ天下に聞ゆるほどの善なりとも、其心眞實ならざれば私とす。善にあらず。是物なきなり。四德に誠なければ、仁義禮智にあらず、いつはりなり。是物なきなり。人の、天より生れつきたる性は、唯仁義禮智の四德なり。此四德にて、人道行はる。此故に、孟子は、たゞ仁義禮智を說きて、信を說き給はず。程子曰、四端不言信者既有誠心爲四端則信在其中矣。これを以て、仁義禮智の外に、信なきことを知るべし。

新字:是皆まことの道にあらず。忠孝にかぎらず、万事皆かくの如し。中庸に、不誠無物といへり。物なしとは、偽りて実なきなり。親につかへ、君につかふるに、誠なくして、右にいへる如くなれば、忠孝にあらず。是物なきなり。万の事、皆誠なければ物なし。凡名と利とを求めてする事は、たとひ天下に聞ゆるほどの善なりとも、其心真実ならざれば私とす。善にあらず。是物なきなり。四徳に誠なければ、仁義礼智にあらず、いつはりなり。是物なきなり。人の、天より生れつきたる性は、唯仁義礼智の四徳なり。此四徳にて、人道行はる。此故に、孟子は、たゞ仁義礼智を説きて、信を説き給はず。程子曰、四端不言信者既有誠心為四端則信在其中矣。これを以て、仁義礼智の外に、信なきことを知るべし。

書き下し

是皆まことの道にあらず。忠孝にかぎらず、万事皆かくの如し。中庸に、不誠無物といへり。物なしとは、偽りて実なきなり。親につかへ、君につかふるに、誠なくして、右にいへる如くなれば、忠孝にあらず。是物なきなり。万の事、皆誠なければ物なし。凡名と利とを求めてする事は、たとひ天下に聞ゆるほどの善なりとも、其心真実ならざれば私とす。善にあらず。是物なきなり。四徳に誠なければ、仁義礼智にあらず、いつはりなり。是物なきなり。人の、天より生れつきたる性は、唯仁義礼智の四徳なり。此四徳にて、人道行はる。此故に、孟子は、ただ仁義礼智を説きて、信を説き給はず。程子曰く、四端に信を言はざるは、既に誠心有りて四端と為れば、則ち信其の中に在ればなり。これを以て、仁義礼智の外に、信なきことを知るべし。

現代語訳

これは皆まことの道ではありません。忠孝に限らず、万事は皆このようなものです。『中庸』に「誠でなければ物はない」とあります。物がないとは、偽って実がないことです。親に仕え、君に仕えるのに、誠がなくて右に言ったようであれば、忠孝ではありません。これが物がないということです。万事みな誠がなければ物はありません。およそ名声と利益を求めてすることは、たとえ天下に聞こえるほどの善であっても、その心が真実でなければ私とします。善ではありません。これが物がないということです。四徳に誠がなければ、仁義礼智ではなく偽りです。これが物がないということです。人が天から生まれつき受けた性は、ただ仁義礼智の四徳です。この四徳で人の道は行われます。それで孟子はただ仁義礼智を説いて、信を説かれませんでした。程子は「四端に信を言わないのは、すでに誠の心があって四端となっているので、信はその中にあるからだ」と言いました。このことから、仁義礼智の外に信がないことを知るべきです。

解説

中庸第二十五章の「誠ならざれば物なし」を引き、誠を欠いた行いは形があっても実がない、つまり存在しないのと同じだと説きます。名声や利益のための善は、天下に聞こえるほどでも私心であって善ではありません。孟子が四端として仁義礼智だけを説き信を挙げなかったのは、程子の言うとおり、誠の心がすでに四端の中にあるからだとします。成果が大きく見えても、動機が見栄や打算なら長続きしない、という経験則を、朱子学の言葉で裏づけた一節です。

この章句が説くこと

誠信中庸孟子四端

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