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紫灘遺稿抄録 / 心得の条々・決断・度量・思慮を養う法

能見一也。見而能行二也。當行必果決三也。といへるこれなり、唐太宗の時、房玄齡謀慮に長じたれども、杜如晦が斷にて決し事をなしけるとか、戰陣などに臨みては、一入果斷なくては叶ぬなり、孫子に九天の上に動くなど申事、皆こなたはよく果斷して、彼なたの狐疑するすきまを、迅雷の動く樣にする事なり、斷而行は鬼神もこれをさくと申、古語もあり、げにさあること平生の事にもあるわざぞかし、さて量といふもの、人の上に立ものなどは猶さらにて、勉强しても養はまほしきものなり、如何なる大事にあひても、艱事にあひても、凝然として不動、又いかにせはしさなかにても、四方八方より、とりかけて來るとも、少しもさわがず、事から〱にとりさばくなど申事は、此量なくてはかなはぬなり、明の夏原吉有雅量。人莫能測其際。といはれたる人なり、或問量可學乎。曰吾幼時有犯。未嘗不怒。始忍於色。中忍於心。久則無可忍矣。と答たりとか、ケ樣にして學びなば、生質は狹隘にても、大量になるべしと、おもはる、さて又慮なくてはかなはず、これ又輕躁にしてはなるまじき事なり、よく私欲の心を除きて、つく〱とかんがへ、古往今來思ひ渡し、さしあたりての世態、人情はさらなり、勢の緩急と、實の長短など、始より終までとくとおもひめぐらし、利ありとて遽に躁ず、不利なりとて容易はさけずと申樣に、靜に我の心を修めて、おもひめぐらす事なるべし、孔聖も二思則可也、との玉ひければ、一度にてはなるまじき也、

新字:能見一也。見而能行二也。当行必果決三也。といへるこれなり、唐太宗の時、房玄齢謀慮に長じたれども、杜如晦が断にて決し事をなしけるとか、戦陣などに臨みては、一入果断なくては叶ぬなり、孫子に九天の上に動くなど申事、皆こなたはよく果断して、彼なたの狐疑するすきまを、迅雷の動く様にする事なり、断而行は鬼神もこれをさくと申、古語もあり、げにさあること平生の事にもあるわざぞかし、さて量といふもの、人の上に立ものなどは猶さらにて、勉強しても養はまほしきものなり、如何なる大事にあひても、艱事にあひても、凝然として不動、又いかにせはしさなかにても、四方八方より、とりかけて来るとも、少しもさわがず、事から〱にとりさばくなど申事は、此量なくてはかなはぬなり、明の夏原吉有雅量。人莫能測其際。といはれたる人なり、或問量可学乎。曰吾幼時有犯。未嘗不怒。始忍於色。中忍於心。久則無可忍矣。と答たりとか、ケ様にして学びなば、生質は狭隘にても、大量になるべしと、おもはる、さて又慮なくてはかなはず、これ又軽躁にしてはなるまじき事なり、よく私欲の心を除きて、つく〱とかんがへ、古往今来思ひ渡し、さしあたりての世態、人情はさらなり、勢の緩急と、実の長短など、始より終までとくとおもひめぐらし、利ありとて遽に躁ず、不利なりとて容易はさけずと申様に、静に我の心を修めて、おもひめぐらす事なるべし、孔聖も二思則可也、との玉ひければ、一度にてはなるまじき也、

書き下し

能見一也。見而能行二也。當行必果決三也。といへるこれなり、唐太宗の時、房玄齡謀慮に長じたれども、杜如晦が斷にて決し事をなしけるとか、戰陣などに臨みては、一入果斷なくては叶ぬなり、孫子に九天の上に動くなど申事、皆こなたはよく果斷して、彼なたの狐疑するすきまを、迅雷の動く樣にする事なり、斷而行は鬼神もこれをさくと申、古語もあり、げにさあること平生の事にもあるわざぞかし、さて量といふもの、人の上に立ものなどは猶さらにて、勉强しても養はまほしきものなり、如何なる大事にあひても、艱事にあひても、凝然として不動、又いかにせはしさなかにても、四方八方より、とりかけて來るとも、少しもさわがず、事から〱にとりさばくなど申事は、此量なくてはかなはぬなり、明の夏原吉有雅量。人莫能測其際。といはれたる人なり、或問量可學乎。曰吾幼時有犯。未嘗不怒。始忍於色。中忍於心。久則無可忍矣。と答たりとか、ケ樣にして學びなば、生質は狹隘にても、大量になるべしと、おもはる、さて又慮なくてはかなはず、これ又輕躁にしてはなるまじき事なり、よく私欲の心を除きて、つく〱とかんがへ、古往今來思ひ渡し、さしあたりての世態、人情はさらなり、勢の緩急と、實の長短など、始より終までとくとおもひめぐらし、利ありとて遽に躁ず、不利なりとて容易はさけずと申樣に、靜に我の心を修めて、おもひめぐらす事なるべし、孔聖も二思則可也、との玉ひければ、一度にてはなるまじき也、

現代語訳

能く見るが一、見て能く行うが二、当に行うべきは必ず果断に決するが三」と言ったのは、このことです。唐の太宗のとき、房玄齢は謀慮に長じていましたが、杜如晦の決断によって決まり、事が成ったということです。戦陣などに臨んでは、特に果断でなければ叶いません。『孫子』に「九天の上に動く」などと言うのも、皆こちらがよく果断して、相手がためらう隙に、迅雷が動くように事を行うということです。「断じて行えば鬼神もこれを避く」という古語もあり、まことにそのようなことは日常の事にもあるものです。さて量(度量)というものは、人の上に立つ者などは特にそうで、努力してでも養いたいものです。どのような大事に遭っても、困難な事に遭っても、じっとして動かず、またどれほど忙しい最中に、四方八方から取りかかって来ても、少しも騒がず、事ごとに落ち着いて処理するなどということは、この量がなくてはできません。明の夏原吉は雅量があり、人はその際限を測ることができないと言われた人です。ある人が「量は学べますか」と問うと、「私は幼いころ、犯されるとかならず怒りました。初めは顔色に出すのを忍び、次に心の中で忍び、久しくなると忍ぶべきことがなくなりました」と答えたということです。このようにして学べば、生まれつきは狭くても、大量(大きな度量)になるだろうと思われます。さてまた慮がなくてはできず、これもまた軽はずみではできません。私欲の心をよく除いて、つくづく考え、古今を思い渡し、目前の世の様子や人情はもちろん、勢いの緩急、実の長短など、始めから終わりまで十分に思いめぐらし、利があるからといってにわかに急がず、不利だからといって安易に避けないというように、静かに心を修めて思いめぐらすのです。孔子も「二度考えればよい」とおっしゃっているので、一度ではいけないのです。

解説

著者は、決断は見る・行う・果たす、の三段で考えられ、度量は怒りを抑える習慣で養え、思慮は私欲を除いて落ち着いて重ねるものだと述べます。管理職は、見えている問題に対して実行し、結論を出す責任があります。忙しい場面でも感情に流されず、利害と距離を置いて考え、複数回見直す習慣は、判断の質を上げます。軍事の比喩は歴史的なもので、現代では、機会を逃さず迅速に決める力と、慎重に考える力の両立を示す言葉として読めます。

この章句が説くこと

紫灘遺稿抄録真木保臣決断度量思慮夏原吉

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