紫灘遺稿抄録 / 心得の条々・文武を兼ね備え余裕を持つ
一人の文武あるは、鳥の左右の翼あるがごとし、かならずかたく〱ならぬ樣にあるべし、周公などの時は、治世にむかひて、禮樂のこと專らにの玉ひしかど、立政の篇には誥爾戎兵。方行天下。などいかめしきまで、戎事ををさめられたり、孔聖も文事あるものは、必武備ありとの玉ひ、曾子も戰陣無勇非孝。といはれたり、されば士たらんものは、武藝は弓馬槍劔をはじめ、拳法相撲に至まで十分に執行し、文事は修身治人學問はいふもさらなり、詩歌管絃にも心ざし、をりにふれて歌にも詩にも口ずさみ、時としては笙笛琵琶箏など玩び、胸襟を綽々と餘裕ある樣にしてこそ、大義にあたりて、忠孝の道もゆるりとなし得べけれ、平安の都より次第に道もおとろへて、文武もかたよりなりしが、さすがに南北朝の時代までは、武士といふかぎりの人は、閑雅にして、をりにふれていとやさしき事もありしぞかし、されば詩作らぬ人はあれど、歌よまぬ人とてはなく、就中、楠公は琵琶をよくせられ、新田中將は笛を吹き、足利のしれものさへも笙をたのしみ侍しとか、平家の一族、
新字:一人の文武あるは、鳥の左右の翼あるがごとし、かならずかたく〱ならぬ様にあるべし、周公などの時は、治世にむかひて、礼楽のこと専らにの玉ひしかど、立政の篇には誥爾戎兵。方行天下。などいかめしきまで、戎事ををさめられたり、孔聖も文事あるものは、必武備ありとの玉ひ、曽子も戦陣無勇非孝。といはれたり、されば士たらんものは、武芸は弓馬槍剣をはじめ、拳法相撲に至まで十分に執行し、文事は修身治人学問はいふもさらなり、詩歌管絃にも心ざし、をりにふれて歌にも詩にも口ずさみ、時としては笙笛琵琶箏など玩び、胸襟を綽々と余裕ある様にしてこそ、大義にあたりて、忠孝の道もゆるりとなし得べけれ、平安の都より次第に道もおとろへて、文武もかたよりなりしが、さすがに南北朝の時代までは、武士といふかぎりの人は、閑雅にして、をりにふれていとやさしき事もありしぞかし、されば詩作らぬ人はあれど、歌よまぬ人とてはなく、就中、楠公は琵琶をよくせられ、新田中将は笛を吹き、足利のしれものさへも笙をたのしみ侍しとか、平家の一族、
書き下し
一人の文武あるは、鳥の左右の翼あるがごとし、かならずかたく〱ならぬ樣にあるべし、周公などの時は、治世にむかひて、禮樂のこと專らにの玉ひしかど、立政の篇には誥爾戎兵。方行天下。などいかめしきまで、戎事ををさめられたり、孔聖も文事あるものは、必武備ありとの玉ひ、曾子も戰陣無勇非孝。といはれたり、されば士たらんものは、武藝は弓馬槍劔をはじめ、拳法相撲に至まで十分に執行し、文事は修身治人學問はいふもさらなり、詩歌管絃にも心ざし、をりにふれて歌にも詩にも口ずさみ、時としては笙笛琵琶箏など玩び、胸襟を綽々と餘裕ある樣にしてこそ、大義にあたりて、忠孝の道もゆるりとなし得べけれ、平安の都より次第に道もおとろへて、文武もかたよりなりしが、さすがに南北朝の時代までは、武士といふかぎりの人は、閑雅にして、をりにふれていとやさしき事もありしぞかし、されば詩作らぬ人はあれど、歌よまぬ人とてはなく、就中、楠公は琵琶をよくせられ、新田中將は笛を吹き、足利のしれものさへも笙をたのしみ侍しとか、平家の一族、
現代語訳
一、人に文武の両方があるのは、鳥に左右の翼があるようなもので、必ず片方に偏らないようにすべきです。周公などの時は、治世に向かって礼楽のことをもっぱらにされましたが、立政の篇には「汝の戎兵を治め、方に天下を行け」などと厳しいまでに軍事を整えておられます。孔子も「文事のある者は必ず武備がある」とおっしゃり、曾子も「戦陣に勇なきは孝に非ず」と言われました。ですから士たる者は、武芸は弓・馬・槍・剣をはじめ、拳法や相撲に至るまで十分に習い、文事は修身治人の学問はもちろん、詩歌管絃にも志し、折にふれて歌や詩を口ずさみ、時には笙・笛・琵琶・箏などを楽しみ、心にゆったりと余裕を持ってこそ、大義に当たって、忠孝の道もゆったりと果たすことができるのです。平安の都から次第に道が衰えて、文武も偏るようになりましたが、さすがに南北朝の時代までは、武士というほどの人は、閑雅で、折にふれてたいそう優しいこともありました。ですから詩を作らない人はいても、歌を詠まない人はなく、なかでも楠公は琵琶をよくされ、新田中将は笛を吹き、足利の変わり者でさえも笙を楽しんだということです。平家の一族、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『紫灘遺稿抄録』・心得の条々・閑雅な教養が大事に備える一の谷八島壇の浦など、いつも敗軍にて、遂に滅亡に及びしゆえ、範頼義經を、うへなくいひならはすれども、宗盛內府の愚昧にてこそ、ケ樣にはなりけれ、知盛卿など主將ならんには、義經ごときもの匹敵すべきにもあらず、さるはいかめしきあづま人のなかにも、名高き猪股小平太は、越中前司にくみし、かれ岡部六彌太は、薩摩守にとりておさへられ、武藏守は兒玉黨を井の內にくみしき、通盛三位は、某を馬よりおしおとしなど、とり〱に武技も勝れられたるが、詩歌管絃などには、いづれも優に長じ、なかにも忠度朝臣、行盛朝臣の歌、經正朝臣の琵琶、敦盛大夫の笛など、九重にもたぐひ少く長ぜられて、其名千歲の後までも香しく聞侍る、南北朝にも菊池武時の「古鄕に今宵ばかりの命ともしらでや人の吾を待らん」、小楠公の梓弓引かへさじとおもふよりなきかずにいる名をぞとゞむる」、備後三郎の天莫空勾踐。時非無范蠡。など見る度に涙こそさき立けれ、かく閑雅にありてこそ、忠にも孝にも一大事の際にあたりて、從容として死に就事もなるものなれ
-
『士道要論』・士道・文武兼備の人と学の功晝夜のたがひたるがごとく、ひとたび治りて、ふたゝびみだるゝことなきは、室町などのつねにみだれて治らずして亡びしをたゞへては、天地の隔りたるがごとし、文德のいちじるしきをしるべし、さてその室町家の時とても、功德ありてよしといわれし細川賴之、今川貞世などいへる人は皆無學にはあらざりき、されど、室町につかへたる人はいふも心よからざればまづさしおくべし、それよりさきつかた、正統の天子につかへ奉り、精忠大節、萬古にひいでし、楠中將、備後三郎こそ文武兼備の人といふべけれ、備後の三郎戎馬の間に生れながら、このんで書をよみ、櫻にかき付し兩句にてもそのからざへはへありしを見るべし、楠公は死に臨んで其子正行ぬしへ遺戒したまひし内にも、勤學すべきよしみえたり、されば、その時にて武家の大楠小楠、及び備後三郎、公家の藤房の中納言、北畠の準后、などいへる人の忠義天性にいでたりといへども、大義に明らかにして少しの遺憾なきは學の功といふべし、そのゝちの英雄、信玄、謙信、などはじめ文才ありし人はかれこれあれど、實學といひしは、加賀の利家卿、
-
『士道要論』・士道・文武は車の両輪、太平の世の備え東照宮の御遺訓にも武家の公家をまなぶことをふかくいましめ玉へり、されば、有德公御世のはじめ白石が建議してたてたる四足門をばこぼちすて祖宗のふるきにかへし、眞の文武をばはげまして、東照宮の御定をまもり玉へり、ありがたき御事なり、東照宮の御定とは、武家諸法度にも第一にしるし玉へる文武の道まなぶべしとあることなり、夫文武の道は二にして一なり、一にして二なり、武ありて文德をもほどこすべく、文ありて武功をもたつべし、文人の文に流るゝは天地を經緯するの文をしらざればな、武人の武にかたよるは神武にして殺ざるの武をしらざればなり、これ何れも眞の文武の道とはいふべからず、眞の文武の道は、いはゆる車の兩輪鳥の兩翼のごとく、ひとつをすてばとびゆくことかなふまじ、漢の高祖は儒をこのまぬ君なれど、陸賈が言に折れ叔孫が議にしたがひて、馬上をもて天下を治めず、織田右府は武き大將なれど、義昭の將軍に學をすゝめ、稻葉一徹が書贊よみたるにめでゝ、ころし玉はざるなど、實學を學ぶにはあらねど、文のやむべからざるをしれるは、さすが英雄の才といふべし、まして、東照宮は千古にひいで玉へる才德にましませば、はやくも學の人に益あることをしろしめされ、干戈いまだ納らぬうちより海内に文敎をひろめ玉へるもむべなりけり、されど、戰國の人は種々の艱苦を甞め、國々の風土をもしり、こゝろをも練り人情にも通じたれば、學の力うすくとも經濟にも達すべし、かく久しくうちつゞきたる太平に生れたる人は、安座して食ひ、四方のさかいをもいでず、頑陋なること多して、耳もきくことなく目もみる事なければ、ふみよみてことをわきまふ事なからましかば、いつもかくあることのみ思ひて、風俗のをとろへゆくをも、政事のやぶれたるをもしらずしてすぎゆかん、危きことならずや、工匠の室を作れるは規矩により、醫師の病を治るも方によれり、士大夫己を治め人を治るになどか法なからざらんや、されば、聖人の道によりて、文武ならび用るこそ、まことに長久の道なれ、
-
『和俗男子訓』・巻一・文と武を兼ね学ぶ士の心得一およそ、士としては、文武をまなぶと、尤おこたるべからず、むかし周成王告伯禽言曰、有文無武、無以威下、有武無文、民畏不親、文武倶行、威德乃成、民親以服、とあり、意は、文武は、鳥の二翼にひとしければ、かた〱かけては、飛ことあたはざるごとし、文あれども、武なければ、人あなどりておそれず、武あれども、文なければ、人おそれてしたしまず、この故に、文と武とをかねまなびて、身におこなふときは、威德ともに備る故に、人したしみ、且おそれて、したがふといへり、今の世たま〱文學にこゝろざす者は、武術はいやしきことのやうにいひて、たしまず、武術をならふものは、文學は、手ぬるきさやうに思ひて、まなばず、これによりて、あるひは、怯弱にして、婦女のごとくになり、或は、麁暴にして、田夫のごとくになる、かたよれりといふべし、士たる者は、もつぱら心をつけて、さとすべし、
-
『紫灘遺稿抄録』・心得の条々・内の徳と外の威儀を整える一威儀は正しくあらまほしきわざなり、おそるべきを威といひ、のりとるべきを儀といふとありて、士たるものゝ、疎放輕躁なるは、いかにも見ぐるしきものなり、固り德の外にあらはるゝ、威儀なれば、威儀なきにて其人の胸中も見え渡るなり、されば衣冠正しく、美麗にかざりたてゝも、左顧右盼きよろきよろする人は、位高くしてもおそるべき容儀なし、畢竟德なきゆゑの事なれど、せめては威儀のみにても心を用れば、衣冠に恥をあたへ侍るだけの罪はのがるべし、よろづの事、內外とわかれたるものなるが、內の德を養ふものは、かならず外の儀を正しくす、外の儀を正しくするものは、必ず內の德を養ふ、動搖周旋おもく〱しく、拜揖辭氣をおもむろにするは、德を養ふ爲なり、程子の敬の工夫なども、正整嚴肅より始るよしいへり、天朝にて大禮の時行步にねりといふ事あり、これことさらに、文飾を加へたるものにあらず、位高き人は必ず如此あるべく、衆人に見習はすべき爲なり、されば搢紳家の威儀あるも、平生ケ樣の禮を見習ひて、おのづからに正しくなりたるなり、むかし粟田の眞人卿、遣唐使にて唐にゆかれしとき、威儀の正しきを見て、皇國なべての事まで譽けりとなん、一身の事ならず、國の榮辱にも係る事もあるぞかし、
-
『竹馬抄』・芸を身につけ恥をかかぬ一能の有人は、心のほども思ひやられ、その家も心にくき也、世中は名利のみなり、能は名聞なれば、不堪といふとも猶たしなむべし、心のおよび學びもて行くほどに、物のへたといふとも、功の入ぬる事は、かたはらいたきヿのなき也、よくする事はまれなり、尋常しくなりて、人なみに立まじはるまでを詮とすべし、いかに高き家に生れ、みめかたちよく侍人も、歌よむとて短冊とる所、詩作るとて韻などさぐり、管絃の所の器のまへわたし、連歌の中にせぬ人にて他言うちまじへ、音曲する人の座しきにつらなりてつらづゑつき、鞠などの塲に露をだにえはらはず、又わかき友だちのよき手跡にて消息かきかはしなどするに、他人の手をかりて口筆をだにはか〱しくえせぬもいふがひなきに、あまつさへ女の方への文などの時、人の手をやとひ侍るほどに、忍ぶべきこともあらはになり侍るは、いかゞ口おしからぬや、圍碁、象基、雙六やうのいたづらとだにも、その座につらなりて、知り侍らぬはつたなくこそ侍れ、弓箭とりにて、的、笠懸、犬追物など嗜むべきとは、云ふにをよばず、もとよりのヿなり、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る