紫灘遺稿抄録 / 心得の条々・偏らず修己治人を学ぶ心得
事足ればなり、仁齋先生の道は卑近のものぞといはれし事も、よしありげに聞ゆるなり、趙宋の世など、朱子のごときは、性理の事は其學の貴ぶ所なれど、全體の事、性理に拘泥せられし人にはあらず、されど其前後の人、あまり性理の學に泥み、我心も身も、其理窟に縛られて、天運の隆替、人事にある事も辨へず、一身さへ潔くすれば、それにて事すむと心得て、端拱して道を講じ、靜座して理を窮る中に、いつの間にか國は夷狄にとられて、しらぬ世界となりてはと、俄に目を覺しても、乘て學ばぬ事なれば、兵を擧て恢復するわざもしえず、いさぎよく國に殉せんとおもひても、さすがに命はすてえず、姓名を變じ、衣服をかへ、民間に隱れ、遁るゝものも多きぞかし、都て學問は、己を修め、人を治るもの也、一偏にかたよれば、宋人の弊も出くれば、よく〱論孟など講じて、聖賢の言語云爲を探討すべし、易に盛德大業ならべ稱するも、一偏ならぬ證なり、堯舜の盛德も、大業なくては盛德と云に足らず、盛德なければ、又、大業は成就せず、後の君子の申樣に、一身さへ十分に修れば、人を治る事は、時にとり如何樣にもなると心得るは、即一偏の論にて、大なるひが事と心得べし、さて其學問の爲樣は、中庸に、博學之審問之愼思之明辨之篤行之、といへる是なり、篤行は事にかゝりて、學問かつ〱成就し、人の人たる事をするうへのわざなり、
新字:事足ればなり、仁斎先生の道は卑近のものぞといはれし事も、よしありげに聞ゆるなり、趙宋の世など、朱子のごときは、性理の事は其学の貴ぶ所なれど、全体の事、性理に拘泥せられし人にはあらず、されど其前後の人、あまり性理の学に泥み、我心も身も、其理窟に縛られて、天運の隆替、人事にある事も弁へず、一身さへ潔くすれば、それにて事すむと心得て、端拱して道を講じ、静座して理を窮る中に、いつの間にか国は夷狄にとられて、しらぬ世界となりてはと、俄に目を覚しても、乗て学ばぬ事なれば、兵を挙て恢復するわざもしえず、いさぎよく国に殉せんとおもひても、さすがに命はすてえず、姓名を変じ、衣服をかへ、民間に隠れ、遁るゝものも多きぞかし、都て学問は、己を修め、人を治るもの也、一偏にかたよれば、宋人の弊も出くれば、よく〱論孟など講じて、聖賢の言語云為を探討すべし、易に盛徳大業ならべ称するも、一偏ならぬ証なり、堯舜の盛徳も、大業なくては盛徳と云に足らず、盛徳なければ、又、大業は成就せず、後の君子の申様に、一身さへ十分に修れば、人を治る事は、時にとり如何様にもなると心得るは、即一偏の論にて、大なるひが事と心得べし、さて其学問の為様は、中庸に、博学之審問之慎思之明弁之篤行之、といへる是なり、篤行は事にかゝりて、学問かつ〱成就し、人の人たる事をするうへのわざなり、
書き下し
事足ればなり、仁齋先生の道は卑近のものぞといはれし事も、よしありげに聞ゆるなり、趙宋の世など、朱子のごときは、性理の事は其學の貴ぶ所なれど、全體の事、性理に拘泥せられし人にはあらず、されど其前後の人、あまり性理の學に泥み、我心も身も、其理窟に縛られて、天運の隆替、人事にある事も辨へず、一身さへ潔くすれば、それにて事すむと心得て、端拱して道を講じ、靜座して理を窮る中に、いつの間にか國は夷狄にとられて、しらぬ世界となりてはと、俄に目を覺しても、乘て學ばぬ事なれば、兵を擧て恢復するわざもしえず、いさぎよく國に殉せんとおもひても、さすがに命はすてえず、姓名を變じ、衣服をかへ、民間に隱れ、遁るゝものも多きぞかし、都て學問は、己を修め、人を治るもの也、一偏にかたよれば、宋人の弊も出くれば、よく〱論孟など講じて、聖賢の言語云爲を探討すべし、易に盛德大業ならべ稱するも、一偏ならぬ證なり、堯舜の盛德も、大業なくては盛德と云に足らず、盛德なければ、又、大業は成就せず、後の君子の申樣に、一身さへ十分に修れば、人を治る事は、時にとり如何樣にもなると心得るは、即一偏の論にて、大なるひが事と心得べし、さて其學問の爲樣は、中庸に、博學之審問之愼思之明辨之篤行之、といへる是なり、篤行は事にかゝりて、學問かつ〱成就し、人の人たる事をするうへのわざなり、
現代語訳
事足りるからだ、ということです。伊藤仁斎先生が「道は身近なものである」と言われたのも、もっともな理由があるように聞こえます。宋の時代の朱子のような人は、性理を学問で貴んだ人ですが、全体として性理にこだわった人ではありませんでした。しかしその前後の人は、あまりに性理の学に溺れ、自分の心も身もその理屈に縛られて、天運の盛衰が人の行いにもよることも弁えず、一身さえ潔くすればそれで事は済むと考え、手をこまぬいて道を講じ、静座して理を窮めているうちに、いつの間にか国は夷狄(異民族)に取られ、見知らぬ世界になってしまった、と急に目を覚ましても、実際に役立つ学びをしていないので、兵を挙げて回復することもできず、いさぎよく国に殉じようと思っても、さすがに命は捨てられず、姓名を変え、衣服を変え、民間に隠れ、逃れる者も多かったのです。すべて学問は、己を修め、人を治めるためのものです。一方に偏れば宋人の弊害が出てしまうので、よく『論語』『孟子』などを講じて、聖賢の言葉と行いを探究すべきです。『易』が盛徳と大業を並べて称えるのも、一方に偏らない証拠です。堯舜の盛徳も、大業がなければ盛徳というに足りず、盛徳がなければまた大業は成就しません。後世の君子が、一身さえ十分に修めれば人を治めることは時に応じてどうにでもなると考えるのは、まさに一方に偏った議論で、大きな間違いと心得るべきです。さてその学問の仕方は、『中庸』に「博くこれを学び、審らかにこれを問い、慎んでこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行う」とあるとおりです。篤行は実際の事に取り組むことで、学問がようやく成就し、人が人としてなすべきことを行う上でのわざなのです。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之三天下の理は、中を得るを至りと為す。学者は当に中を以て準的と為すべし。然れども中を得ること尤も難し。苟も其の中を得ること能はずんば、厚に過ぐるの優れりと為すに若かず。蓋し躁進は孰れか廉退の過に若かん。懈惰は孰れか勉強の過に若かん。驕夸は孰れか謙遜の過に若かん。故に夫子曰く、礼は其の奢らんよりは寧ろ倹なれ。喪は其の易めんよりは寧ろ戚め、と。
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『翁問答』下卷之末之末初学より権の道を目あてにせざれば此あやまりうたがひあるものなり、儒書にのする礼儀作法をすこしもちがへず、残所なく取おこなふを儒道をおこなふと思へるは大なるあやまりなり、たとひ儒書にのする所の礼法をすこしもちがはず皆とりおこなふといふとも、其おこなふ所時と処と位とに相応適当恰好の道理なくば儒道をおこなふにはあらず、異端なり、そのおこなふ所時に相応適当しても、その心に名利の私あるは、にせもの小人と云ものにて、君子の儒にあらずたとひまたその行ところ儒書にする所の礼儀作法にちがひなきも、その事中庸の天理にあたりその心私なく、聖賢の心法にかなひぬれば、儒道を行ふ君子なり、かくの如く礼儀作法になづまず真実の儒道をおこなふは、何国にてもおこなひがたき事はなきものなり、夷狄に素しては夷狄に行ひ、患難に素しては患難に行ふ、君子入るとして自得せざること無しとのたまふは此意なり。
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『都鄙問答』卷之二・或人親へ仕之事ヲ問之段曰く、其所にはぬかりなく、小者や男どもには心づけを致し、堅く口を閉ぢおき候ゆへ、家内には露塵存じ申さず候。答ふ、小者下男まで、口を閉ぢて置くゆへ、家内には少しも知らずと思へるは、甚だ愚かなり。汝が悪事は、我よりいはざる先に、天下に明らかなり。中庸に、隠れたるより見はるるは莫しと説き玉へり。未だ形はれずといへども、幾は已に動く。動けばこれ明らかなり。人は知らずと思ふとも、汝が心に、悪事と知る。しるゆへに口をとづ。悪事と知らば、なんぞ速かに止めざる。子曰く、義を見て為さざるは勇無きなりと。其上小者、悪所金のつかひやうを見覚え、又偽りを聞き習ひ、成人の上へ、汝の教へし通りを守り、金銀を盗みつかうて、引負する手代ばかりに成るべし。これ我導きに依りて、人を害ふものなれば、
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『家道訓』巻之四・用財上一家ををさめ、財を用ふるに、事ごとに心を用ひて精しくし、こまやかにして疎略なるべからず。おごらずやぶさかならず、過不及なくよき程にすべし。用ひ過すはおごれり、不及なるはやぶさかなり。心あしくして、大やうにおろそかなれば、財の用ひやう過不及にして、或はおごり或はやぶさかなり。与ふべきものを与へず、与ふまじきものに与へ、多く与ふべき者にすくなくし、すくなかるべきに多くするは、事そむきて理にあたらず。是心を用ひず、用ひても精しからざるなり。
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