慎思録 / 巻之二
荀子曰。君子行不貴苟難唯其當之爲貴。愚謂。貴苟難者。此好名之人。葢君子之行。本分之外。不加毫末。若夫割股廬墓。敝車羸馬之類。此皆出于本分之外。所謂貴苟難者也。
新字:荀子曰。君子行不貴苟難唯其当之為貴。愚謂。貴苟難者。此好名之人。葢君子之行。本分之外。不加毫末。若夫割股廬墓。敝車羸馬之類。此皆出于本分之外。所謂貴苟難者也。
書き下し
荀子曰く、君子の行ひは苟難を貴ばず、唯だ其の当たるを之れ貴しと為す、と。愚謂ふ、苟難を貴ぶ者は、此れ名を好むの人なり。蓋し君子の行ひは、本分の外に、毫末をも加へず。若し夫れ股を割き墓に廬し、車を敝り馬を羸らすの類は、此れ皆本分の外に出づ。所謂苟難を貴ぶ者なり。
現代語訳
荀子は「君子の行いは、ことさらに難しいことを貴ばず、ただそれが道理に当たることを貴ぶ」と言いました。私が思うに、ことさらに難しいことを貴ぶのは、名誉を好む人です。思うに君子の行いは、本分の外に少しも付け加えません。自分の股の肉を割いて親に食べさせたり、墓のそばに小屋を建てて住んだり、破れた車とやせた馬を用いたりする類は、みな本分の外に出るものです。いわゆる、ことさらに難しいことを貴ぶ者です。
解説
人目を引く極端な善行を戒めた条です。冒頭は『荀子』不苟篇の言葉です。割股は親の病に自分の肉を割いて食べさせる行い、廬墓は親の墓のそばに小屋を建てて喪に服する行いで、どちらも孝行の美談として称えられましたが、益軒はそれを名声を求める行いとして退けます。度を越えた清貧のふるまいも同じです。自分を犠牲にして頑張る姿を見せることが評価されがちな職場でも、求められているのは本分を的確に果たすことだ、と気づかせてくれます。
この章句が説くこと
中庸本分名孝荀子
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