紫灘遺稿抄録 / 心得の条々・志・才・気の三つで成る学業
一學業は志、才、氣の三つなければ成就せず、まづ士たらんものは、志を高く大に立べし、志を高大に立れば、おのづから才もますもの也、才あれば讀書の勤めはさらなり、萬事の學習、おもふ樣になるなり、左樣に勤れば、知見日々に廣くなりて、氣もつよく、精神もさはやかになる、氣力つよくなれば又おのづから志も大くなり、志大くなるまゝに、才もまさり、才まさるまゝに、氣はいよ〱つよくなりゆくなり、此三つのもの相互にたすけて、學業はおもはずしらず成就す、固り學業といふもの、外のものにもあらず、人たる道を知りて、人たる事業をなさん爲なり、四民の內にて士といふものは、心を勞して、君を輔け、天下國家を平治すべきものなれば、學問なくては一日も立べからず、さて學問といふものに、また種々あり、記誦の學、詩文の學、其他にも天文、地理或は制度に明に、或は性理に精しく、只一偏に凝りて、日用彝倫、君臣の大義には心もつけずなど、いふ樣の學もあり、就中、性理の學などは、聞は左あるべき事なれど、やゝもすれば、禪法師の口氣に似て、其論高きほど、いよ〱日用に益なく覺る也、孔門の高足弟子、子貢のごときも、性與天道は不可得聞といひ、孔聖も罕にの玉ひしよしにて、今の君子の樣に、口を開けば、只管に性を云樣にはあらず、さるはなぞと云に、大本の道は左樣なれど、君臣父子、日用の事には、高き事をいはずと、
新字:一学業は志、才、気の三つなければ成就せず、まづ士たらんものは、志を高く大に立べし、志を高大に立れば、おのづから才もますもの也、才あれば読書の勤めはさらなり、万事の学習、おもふ様になるなり、左様に勤れば、知見日々に広くなりて、気もつよく、精神もさはやかになる、気力つよくなれば又おのづから志も大くなり、志大くなるまゝに、才もまさり、才まさるまゝに、気はいよ〱つよくなりゆくなり、此三つのもの相互にたすけて、学業はおもはずしらず成就す、固り学業といふもの、外のものにもあらず、人たる道を知りて、人たる事業をなさん為なり、四民の内にて士といふものは、心を労して、君を輔け、天下国家を平治すべきものなれば、学問なくては一日も立べからず、さて学問といふものに、また種々あり、記誦の学、詩文の学、其他にも天文、地理或は制度に明に、或は性理に精しく、只一偏に凝りて、日用彝倫、君臣の大義には心もつけずなど、いふ様の学もあり、就中、性理の学などは、聞は左あるべき事なれど、やゝもすれば、禅法師の口気に似て、其論高きほど、いよ〱日用に益なく覚る也、孔門の高足弟子、子貢のごときも、性与天道は不可得聞といひ、孔聖も罕にの玉ひしよしにて、今の君子の様に、口を開けば、只管に性を云様にはあらず、さるはなぞと云に、大本の道は左様なれど、君臣父子、日用の事には、高き事をいはずと、
書き下し
一學業は志、才、氣の三つなければ成就せず、まづ士たらんものは、志を高く大に立べし、志を高大に立れば、おのづから才もますもの也、才あれば讀書の勤めはさらなり、萬事の學習、おもふ樣になるなり、左樣に勤れば、知見日々に廣くなりて、氣もつよく、精神もさはやかになる、氣力つよくなれば又おのづから志も大くなり、志大くなるまゝに、才もまさり、才まさるまゝに、氣はいよ〱つよくなりゆくなり、此三つのもの相互にたすけて、學業はおもはずしらず成就す、固り學業といふもの、外のものにもあらず、人たる道を知りて、人たる事業をなさん爲なり、四民の內にて士といふものは、心を勞して、君を輔け、天下國家を平治すべきものなれば、學問なくては一日も立べからず、さて學問といふものに、また種々あり、記誦の學、詩文の學、其他にも天文、地理或は制度に明に、或は性理に精しく、只一偏に凝りて、日用彝倫、君臣の大義には心もつけずなど、いふ樣の學もあり、就中、性理の學などは、聞は左あるべき事なれど、やゝもすれば、禪法師の口氣に似て、其論高きほど、いよ〱日用に益なく覺る也、孔門の高足弟子、子貢のごときも、性與天道は不可得聞といひ、孔聖も罕にの玉ひしよしにて、今の君子の樣に、口を開けば、只管に性を云樣にはあらず、さるはなぞと云に、大本の道は左樣なれど、君臣父子、日用の事には、高き事をいはずと、
現代語訳
一、学業は、志、才、気の三つがなければ成就しません。まず士たる者は、志を高く大きく立てなければなりません。志を高く大きく立てれば、おのずと才も増すものです。才があれば、読書の勤めはもちろん、すべての学習が思うようになります。そのように努めれば、知見が日々に広がり、気も強くなり、精神もさわやかになります。気力が強くなれば、またおのずと志も大きくなり、志が大きくなるにつれて才も増し、才が増すにつれて気はいよいよ強くなっていきます。この三つのものが互いに助けあって、学業は思わず知らず成就します。そもそも学業というものは、ほかのものではなく、人としての道を知って、人としての事業を行うためのものです。四民(士農工商)のうちで士というものは、心を労して君を補佐し、天下国家を治め平らげる者ですから、学問がなくては一日も立つことができません。さて学問にも種々あります。暗誦の学、詩文の学、そのほか天文、地理、あるいは制度に明るく、あるいは性理(人の本性と天理の学)に精しく、ただ一方に凝り固まって、日常の人倫や君臣の大義には心をかけない、といったような学もあります。なかでも性理の学などは、聞けばもっともなことのようですが、ともすれば禅僧の口ぶりに似て、その議論が高尚になるほど、いよいよ日常の役に立たないと感じられます。孔子の高弟である子貢のような人も、「性と天道は聞くことができなかった」と言い、孔子も稀にしかおっしゃらなかったということで、今の君子のように、口を開けばひたすら性を語るようなことはなかったのです。それはなぜかといえば、大本の道はそうであっても、君臣や父子など日常の事においては、高いことを言わなくても
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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『慎思録』巻之一道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
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論語・公冶長篇顔淵・季路侍る。子曰く、「盍ぞ各々爾の志を言わざる。」子路曰く、「願わくは車馬衣裘、朋友と共にし、之を敝るとも憾み無からん。」顔淵曰く、「願わくは善に伐ること無く、労を施すこと無からん。」子路曰く、「願わくは子の志を聞かん。」子曰く、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」

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