士説 / 上・第2段
是故士之所重者義也。商賈所重者利也。重在義則輕在利。重在利則輕在義。顧其立志同異何如爾。今夫世俗之所志。不過爵祿名譽之榮。與宮室車馬之富。賓客妻妾之奉。莫不汲汲營營盡一生之力以求之。觀其處心積慮。專爲利身之謀。亦與商買用心。其間所爭幾何。安在其爲士乎。士之所志者道也。所守者義也。富固我所欲。
新字:是故士之所重者義也。商賈所重者利也。重在義則軽在利。重在利則軽在義。顧其立志同異何如爾。今夫世俗之所志。不過爵禄名誉之栄。与宮室車馬之富。賓客妻妾之奉。莫不汲汲営営尽一生之力以求之。観其処心積慮。専為利身之謀。亦与商買用心。其間所争幾何。安在其為士乎。士之所志者道也。所守者義也。富固我所欲。
書き下し
是の故に士の重んずる所の者は義なり。商賈の重んずる所の者は利なり。重き義に在らば則ち軽きは利に在り。重き利に在らば則ち軽きは義に在り。顧みるに其の志を立つる同異何如のみ。今夫れ世俗の志す所は、爵禄名誉の栄と、宮室車馬の富と、賓客妻妾の奉とに過ぎず。汲汲営営として一生の力を尽くして以て之を求めざる莫し。其の処心積慮を観るに、専ら身を利するの謀を為す。亦商買の用心と、其の間に争ふ所幾何ぞ。安くにか其の士為るに在らんや。士の志す所の者は道なり。守る所の者は義なり。富は固より我が欲する所なり。
現代語訳
こういうわけで、士が重んじるのは義であり、商人が重んじるのは利です。重きが義にあれば軽きは利にあり、重きが利にあれば軽きは義にあります。つまるところ、志の立て方が同じか違うか、ということです。ところで、世間の人が志すものは、爵位や俸禄、名誉の栄え、立派な家や車馬の豊かさ、客人や妻妾にかしずかれる暮らしにすぎません。あくせくと一生の力を尽くして、これを求めない者はありません。その心づかいと思案をみると、もっぱら我が身を利するための謀りごとです。それでは商人の心の用い方と、どれほどの差があるでしょう。どこに士であることがあるのでしょうか。士が志すものは道であり、守るものは義です。富はもとより私が望むところですが、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
尚書・旅獒志は道を以て寧んじ、言は道を以て接す。
-
『慎思録』巻之一学は将に以て道を知らんとするなり。聖人詢詢として教へを垂る、至れり尽くせりと謂ふべし。学者をして道を知らしめんと欲するなり。後世学者益多くして、道を知ること能はざる者は、何ぞや。蓋し学者は須らく志を立つるを以て本と為すべし。其の志す所の者は何ぞや。道を知るを以て志と為すなり。学者博聞広覧すと雖も、然れども道を知るに志無くして、徒らに章句を以て勤めと為す者は、其の失三つ有り。曰く、詞章に溺る、訓詁に泥む、記誦に止まる。此の三者の習ひは、終身書を読むと雖も、然れども道を知ること能はず。労して功無しと謂ふべきなり。且つ道を求むるに志有りて、三失無しと雖も、然れども道を知ること能はざる者は、其の失亦四つ有り。苟も聖学に専一ならざれば、則ち志他岐に分かる。故に迷ひて道を知ること能はず。其の失一なり。之を博学せざれば、則ち孤陋寡聞にして、道を知ること能はず。其の失二なり。思ひを致すこと精詳ならざれば、則ち粗略にして道を知ること能はず。其の失三なり。曲士の教へに束ねらるるが如きは、則ち学を為すこと専一なりと雖も、然れども拘泥して道を知ること能はず。其の失四なり。須らく斯の数の失無くして、以て道を知るの工夫と為すべし。
-
『大和俗訓』巻之二・為学下一道を知る事至りてかたし。よのつねの俗学の習にては、身を終るまでつとめ学びても道を知りがたし。まづ学を好むに誠の志ありて、明師良友にしたがひ、古の学のすぢを尋ねもとめ、心を用ふること久しくば、其功あるべし。利口にして我が才にほこり、好んで我が智をたのみ用ふる人は、道に遠き生れつきなり。身ををはるまで、此道を知る事かたかるべし。唯生れつき質実にして飾なく、其心しづかに、義理にさとへりくだりて自ら是とせざる人あらば、これ道にちかき生質なり。かかる人、志専一にしてよく学ばば、此道をやうやく晩年にして知るべし。
-
うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
-
『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
-
『慎思録』巻之一或ひと疑ふ、世間書を読むの人多し。往往身心に益無き者は、何ぞやと。曰く、学を為すは志を立つるに在り。苟も志無きの人は、広覧博聞すと雖も、己に益無し。然れども志なる者は己に由りて有する所にして、別人に管せず。須らく自己奮起すべし。故に皮日休云ふ、聖人は人に道を与ふれども、人に志を与ふること能はずと。夫れ六経四書の載する所の者は、聖人の道なり。六経四書の文字は、聖人の言なり。志有る者は、其の言を誦して其の道を求む。益有る所以なり。志無き者は、其の言を誦して其の道を忘る。益無き所以なり。凡そ学ぶ者は、躬行して之を心得することを貴ぶ。苟も聖人の道を求むるに志無くんば、則ち躬行心得すること能はず。然らば則ち博学強記し、日日経義を説くと雖も、奚ぞ其の身に益有るべけんや。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る