士説 / 上・第3段
當其非道。則今日雖富貴明日棄之世。生固我所欲。當其取義。則今日雖生明日捨之。由是言之。天下莫大於道。莫重於義。至於死生禍福。君子有不以爲心者。況於一身之奉乎。今世之士號爲好學者不少。然其求道不勝求利之心。居恬爲俗習之所纏。碌碌與庸衆人爲伍乃已。嗚呼亦鄙矣。吾故曰士立志而知自別於商賈。則其過人也遠矣。
新字:当其非道。則今日雖富貴明日棄之世。生固我所欲。当其取義。則今日雖生明日捨之。由是言之。天下莫大於道。莫重於義。至於死生禍福。君子有不以為心者。況於一身之奉乎。今世之士号為好学者不少。然其求道不勝求利之心。居恬為俗習之所纏。碌碌与庸衆人為伍乃已。嗚呼亦鄙矣。吾故曰士立志而知自別於商賈。則其過人也遠矣。
書き下し
其の道に非ざるに当たりては、則ち今日富貴なりと雖も明日之を世に棄てん。生は固より我が欲する所なり。其の義を取るに当たりては、則ち今日生くと雖も明日捨てん。是れに由りて言へば、天下道より大なるは莫く、義より重きは莫し。死生禍福に至りては、君子心と為さざる者有り。況んや一身の奉に於いてをや。今世の士、学を好むと号する者少なからず。然れども其の道を求むるは利を求むるの心に勝たず。恬に居りては俗習の纏ふ所と為り、碌碌として庸衆人と伍を為して乃ち已む。嗚呼亦鄙しきかな。吾故に曰く、士志を立てて自ら商賈に別つを知らば、則ち其の人に過ぐること遠しと。
現代語訳
その道にはずれるときには、今日は富み栄えていても、明日にはこれを世に捨てるでしょう。命ももとより私が望むところですが、義を取るべきときには、今日は生きていても、明日には捨てるでしょう。これから言えば、天下に道より大きなものはなく、義より重いものはありません。生死や禍福についてさえ、君子が心にかけないことがあります。まして我が身の暮らしのことは言うまでもありません。今の世に、学問を好むと称する士は少なくありません。しかし、道を求める心は、利を求める心に勝てません。平穏なときには世の習いにからめとられ、ぱっとしないまま凡人の仲間で終わってしまいます。ああ、なんとも卑しいことです。だから私は言うのです。士が志を立て、自分が商人とは違うと知るならば、その人は人並みをはるかに越えるのだ、と。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』義義も亦た先王の立つる所、道の名なり。蓋し先王の礼を立つる、其の教為ること亦た周きかな。然れども礼は一定の体有りて、天下の事は窮まり無し。故に又義を立つ。伝に曰く、「詩書は義の府なり。礼楽は之が則なり」と。礼楽は相須ち、楽は未だ礼を離れて孤行する者有らず。故に曰く、「礼義なる者は人の大端なり」と。礼は以て心を制し、義は以て事を制す。礼は以て常を守り、義は以て変に応ず。此の二者を挙ぐれば、先王の道以て之を尽くすに庶し。故に古は多く礼義を以て対言す。是が為の故なり。
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『童子問』卷中問ふ。喩を承く。論語は宇宙第一の書たり、而して仁は孔門第一の字たり、と。然るに大学のごときは、敬を以て要と為し、中庸は誠を以て主と為す。及び詩の思ひ邪無き、書の中、易の時、一書各一書の綱領有り。如何。曰く、人道の仁義有るは、猶ほ天道の陰陽有るがごときなり。仁義を外にして、豈に復た道有らんや。而して仁の義を包むは、猶ほ陽の陰を統ぶるがごとし。故に孔門は仁を以て宗と為し、而して義を以て輔と為す。敬とは此を敬するなり。誠とは此を誠にするなり。詩の思ひ邪無き、書の中、易の時、皆然り。道は本多端無し。故に曰く、吾が道は一以て之を貫く、と。
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『新書』道德說物の道とし始むる所、之を道と謂い、得て以て生ずる所、之を徳と謂う。徳の有するや、道を以て本と為す、故に曰く「道なる者は、徳の本なり」と。徳は物を生じ又物を養えば、則ち物は安利なり。物を安利にする者は、仁の行なり。仁の行は徳より出づ、故に曰く「仁なる者は、徳の出づるなり」と。徳は理を生じ、理立てば則ち宜有り、適う之を義と謂う。義なる者は、理なり、故に曰く「義なる者は、徳の理なり」と。徳は物を生じ、又之を養長して離れず、得て以て安利なり。徳の物に遇うや忠厚なり、故に曰く「忠なる者は、徳の厚きなり」と。徳の忠厚なるや、信固くして易わらず、此れ徳の常なり。故に曰く「信なる者は、徳の固きなり」と。徳は道より生じて理有り、理を守れば則ち道に合し、道と理と密にして離れず、故に能く物を畜い物を養う。物は仰ぎて徳を恃まざる莫し、此れ徳の高きなり、故に曰く「密なる者は、徳の高きなり」と。道して失う勿ければ、則ち道有り。得て之を守れば、則ち徳有り。行い休む無き有れば、則ち行成る。故に曰く「道此れ之を道と謂い、徳此れ之を徳と謂い、行此れ之を行と謂う」と。諸の此の言は、徳の変を尽くす。変なる者は、理なり。
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『弁名』理氣人欲夫れ道は聖人の立つる所、豈に道を見るを以て言ふを容れんや。又た豈に老氏と対言するを容れんや。夫れ道は民を安んずる所以なり。又た豈に生生化化を以て言ふを容れんや。理の玉に従ひ里に従ふは、亦た倉頡字を制する時、且く此を以て記憶に便するのみ。豈に泥むを容れんや。且つ道も亦た諸を道路に本づく。豈に死活有らんや。祇だ道は之を行ふを主とし、理は之を見るを主とす。老荘及び宋儒は皆其の見る所を主とす。故に喜んで理を言ふのみ。若し死活を以て説を為さば、則ち老荘も亦た道徳を言ふ、其れ之を何と謂はん。之を要するに理豈に廃するを容れんや。苟も聖人の教に遵ひ、礼義を以て之が極と為せば、則ち理豈に以て病と為すに足らんや。仁斎先生は羹に懲りて韲を吹くと謂ふべきのみ。学者諸を思へ。
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『童子問』卷上問ふ、何をか人の外に道無しと謂ふと。曰く、人とは何ぞ。君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟なり、朋友なり。夫れ道は一のみ。君臣に在りては之を義と謂ひ、父子には之を親と謂ひ、夫婦には之を別と謂ひ、昆弟には之を叙と謂ひ、朋友には之を信と謂ふ。皆人に由りて顕はる。人無ければ則ち以て道を見ること無し。故に曰く、人の外に道無しと。何をか道の外に人無しと謂ふ。曰く、道とは何ぞ。仁なり、義なり、礼なり、智なり。人其の中に囿まれて、須臾も離るることを得ず。離るれば則ち人に非ざるなり。故に曰く、道の外に人無しと。凡そ天地の外・古今の遠きを説きて、人倫に資すること無く、天下国家の治に益すること無き者は、皆邪説の魁なり。設令宇宙の外に復た宇宙有りとも、苟も人其の間に生まるること有らば、必ず当に君臣父子夫婦の倫有りて、仁義礼智の道に循ふべし。故に曰く、人に由りて顕はる、人無ければ則ち以て道を見ること無しと。謹んで此の説を聴き、異説の惑はす所と為ること勿かれ。
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