新書 / 禮容語下
今郄伯之語犯,郄叔訏,郄季伐;犯則凌人,訐則誣人,伐則揜人。有是寵也,而益之以三怨,其誰能忍之?齊國武子亦將有禍。齊,亂國也。立於淫亂之朝,而好盡言以暴人過,怨之本也。惟善人能受盡言,今齊既亂,其能善乎?」居二年,晉殺三卿。明年,厲公弑於東門。是歲也,齊人果殺國武子。詩曰:「敬之敬之,天惟顯思,命不易哉!毋曰高高在上,陟降厥士,日監在茲。惟予小子,不聰敬止。日就月將,學有緝熙于光明。佛時仔肩,視我顯德行。」故弗順弗敬,天下不定;忘敬而怠,人必乘之。嗚呼,戒之哉!
新字:今郄伯之語犯,郄叔訏,郄季伐;犯則凌人,訐則誣人,伐則揜人。有是寵也,而益之以三怨,其誰能忍之?斉国武子亦将有禍。斉,乱国也。立於淫乱之朝,而好尽言以暴人過,怨之本也。惟善人能受尽言,今斉既乱,其能善乎?」居二年,晋殺三卿。明年,厲公弑於東門。是歳也,斉人果殺国武子。詩曰:「敬之敬之,天惟顕思,命不易哉!毋曰高高在上,陟降厥士,日監在茲。惟予小子,不聰敬止。日就月将,学有緝熙于光明。仏時仔肩,視我顕徳行。」故弗順弗敬,天下不定;忘敬而怠,人必乗之。嗚呼,戒之哉!
書き下し
今郄伯の語は犯し、郄叔は訏り、郄季は伐る。犯せば則ち人を凌ぎ、訏れば則ち人を誣い、伐れば則ち人を揜う。是の寵有りて、之に益すに三怨を以てすれば、其れ誰か能く之を忍ばん。斉の国武子も亦た将に禍有らんとす。斉は乱国なり。淫乱の朝に立ちて、好んで言を尽くして以て人の過ちを暴くは、怨みの本なり。惟だ善人のみ能く尽言を受く。今斉既に乱る、其れ能く善ならんや」と。居ること二年、晋三卿を殺す。明年、厲公東門に弑せらる。是の歳や、斉人果たして国武子を殺す。詩に曰く、「之を敬め之を敬め、天惟れ顕らかなり、命は易からざるかな。高高として上に在りと曰う毋かれ、厥の士に陟降し、日に監ること茲に在り。惟れ予小子、聡からず、敬めり。日に就り月に将み、学は緝熙して光明に有らしめよ。仔肩を佛けよ、我に顕徳の行いを示せ」と。故に順わず敬せざれば、天下定まらず。敬を忘れて怠れば、人必ず之に乗ず。嗚呼、之を戒めよや。
現代語訳
いま郄伯の言葉は人を犯し、郄叔の言葉は大言を吐き、郄季の言葉は自慢です。犯せば人を凌ぎ、大言を吐けば人を欺き、自慢すれば人を覆い隠します。この寵愛を受けながら、さらに三つの怨みを重ねれば、誰がこれを耐えるでしょう。斉の国武子もまた禍を受けるでしょう。斉は乱れた国です。淫乱な朝廷に立って、好んで言いたいことを尽くして人の過ちを暴くのは、怨みのもとです。善人だけが、言い尽くされた言葉を受け入れられます。いま斉はすでに乱れているのに、善人がいるでしょうか」。二年たって、晋は三卿を殺しました。翌年、厲公は東門で弑されました。この年、斉の人々は果たして国武子を殺しました。『詩』にこうあります。「これを敬め、これを敬め、天はまことに明らかで、天命は容易ではない。高い所にいるといってはならない。天はその士に上り下りし、日々ここを見ている。私は若く聡くないが、つつしもう。日々に進み月ごとに改め、学びを積んで光明へ至らせよ。この重い任を助け、私に明らかな徳の行いを示せ」と。順わず、敬わなければ、天下は定まりません。敬いを忘れて怠れば、人は必ずそこにつけ込みます。ああ、これを戒めなさい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之三孔子の大人を畏るとは、其の爵位有るを尊びて、君上を敬するの意にして、其の勢を畏るるに非ず。是れ驕らざるなり。孟子の大人を藐るとは、其の富貴を畏れて屈辱せざるの意にして、其の人を藐るに非ず。是れ諂はざるなり。蓋し大人を畏ると富貴を藐るとは、道並び行はれて悖らざるなり。大凡礼の用は、和を貴しと為す。太だ促縮して、気をして屈辱せしむべからず。故に大人に説くには、則ち須らく志意をして舒展せしめ、言語をして尽くすを得しむべきなり。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一敬はつつしむと訓ず。つつしむとは、心に戒めおそるるを云ふ。和語の意はつつむなり。しはやすめ字なり。内につつんで、みだりに外に出さざるなり。敬めば本心をたもちて失はず、行ひなす事理にかなひてあやまりなし。ここを以て、敬は一心のまもり、万善の根本なり。故に敬めば身修り、敬まざれば乱る。万のこと、敬まざることなかれ。万善皆つつしみによつて行はれ、万悪皆不敬よりおこる。故に五常の徳是によつて立ち、五倫の道是によつて行はる。ここを以て、聖学は敬を以て要とす。故に聖学の始終、皆敬を以て宗とす。古来聖賢の心法、皆敬の一字を要とす。学者の尤つとむべき所なり。又よくつつしめば福あり。つつしまざれば禍あり。白楽天も、禍と福とは慎むと慎まざるとに在りといへり。身のわざはひは、皆つつしまざるによれり。故につつしみは禍にかつといへり。
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『慎思録』巻之一敬とは、戒慎恐懼の謂なり。把捉強持の謂に非ざるなり。若し心を操りて強ひて把捉を為さば、是れ助長の病と為す。所謂拘捉すれば、則ち久しくし難きなり。其の弊或いは流れて色荘の人と為る者多し。敬と為すべからざるなり。今の敬を執るの人、動もすれば敬を以て束縛強持の事と為す。聖賢の敬を言ふの本旨に非ず。然れども一に和して、安排布置し、之を節するに礼を以てせざる者も、亦敬を去ること弥遠し。
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言志四録・言志晩録 第八十条 震艮の工夫は一に帰す「其の背に艮まりて其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず」とは、敬以て誠を存するなり。「震は百里を驚かせども、匕鬯を喪はず」とは、誠以て敬を行ふなり。震と艮とは正倒なれども、工夫は一に帰す。
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