新書 / 脩政語上
大禹曰:「民無食也,則我弗能使也;功成而不利於民,我弗能勸也。」故鬟河而導之九牧,鑿江而導之九路,澄五湖而定東海,民勞矣而弗苦者,功成而利於民也。禹嘗晝不暇食,夜不暇寢矣。方是時也,憂務故也。故禹與士民同務,故不自言其信,而信諭矣。故治天下,以信爲之也。湯曰:「學聖王之道者,譬其如日;靜思而獨居,譬其若火。夫人舍學聖王之道而靜居獨思,譬其若去日之明於庭,而就火之光於室也,然可以小見,而不可以大知。」是故明君而君子,貴尚學道而賤下獨思也。故諸君得賢而舉之,得賢而與之,譬其若登山乎;得不肖而舉之,得不肖而與之,譬其若下淵乎。故登山而望,其何不臨而何不見?凌遲而入淵,其孰不陷溺?是以明君慎其舉,而君子慎其與,然後福可必歸,菑可必去也。
新字:大禹曰:「民無食也,則我弗能使也;功成而不利於民,我弗能勧也。」故鬟河而導之九牧,鑿江而導之九路,澄五湖而定東海,民労矣而弗苦者,功成而利於民也。禹嘗昼不暇食,夜不暇寝矣。方是時也,憂務故也。故禹与士民同務,故不自言其信,而信諭矣。故治天下,以信為之也。湯曰:「学聖王之道者,譬其如日;静思而独居,譬其若火。夫人舎学聖王之道而静居独思,譬其若去日之明於庭,而就火之光於室也,然可以小見,而不可以大知。」是故明君而君子,貴尚学道而賤下独思也。故諸君得賢而舉之,得賢而与之,譬其若登山乎;得不肖而舉之,得不肖而与之,譬其若下淵乎。故登山而望,其何不臨而何不見?凌遅而入淵,其孰不陥溺?是以明君慎其舉,而君子慎其与,然後福可必帰,菑可必去也。
書き下し
大禹曰く、「民食う無ければ、則ち我使う能わざるなり。功成りて民に利あらざれば、我勧むる能わざるなり」と。故に河を鬟りて之を九牧に導き、江を鑿ちて之を九路に導き、五湖を澄まして東海を定む。民労すれども苦しまざるは、功成りて民に利あればなり。禹嘗て昼は食らうに暇あらず、夜は寝ぬるに暇あらず。是の時に方りて、憂務の故なり。故に禹は士民と務めを同じくす。故に自ら其の信を言わずして、信諭る。故に天下を治むるは、信を以て之を為すなり。湯曰く、「聖王の道を学ぶ者は、譬えば其れ日の如し。静思して独居するは、譬えば其れ火の若し。夫れ人聖王の道を学ぶを舎てて静居独思するは、譬えば其れ日の庭に明らかなるを去りて、火の室に光るに就くが若し。然れども以て小しく見る可きも、以て大いに知る可からず」と。是の故に明君にして君子は、道を学ぶを貴尚して独思を賤下す。故に諸君賢を得て之を挙げ、賢を得て之に与するは、譬えば其れ山に登るが若し。不肖を得て之を挙げ、不肖を得て之に与するは、譬えば其れ淵に下るが若し。故に山に登りて望めば、其れ何ぞ臨まざらん、何ぞ見ざらん。凌遅して淵に入れば、其れ孰か陥溺せざらん。是を以て明君は其の挙ぐるを慎み、君子は其の与するを慎み、然る後に福必ず帰す可く、菑必ず去る可きなり。
現代語訳
大禹は言いました。「民に食べるものがなければ、私は民を使うことができない。仕事が成っても民の利にならなければ、私は民を励ますことができない」と。そこで黄河を巡らせて九つの州へ導き、長江を掘って九つの道へ通し、五つの湖を澄ませて東の海を定めました。民は骨を折りましたが苦しまなかったのは、成った仕事が民の利になったからです。禹は昼は食事の暇もなく、夜は寝る暇もありませんでした。憂いて務めに励んだからです。禹は士や民と務めを同じくしたので、自分から誠実さを説かなくても、それは自然に伝わりました。だから天下を治めるには信をもってするのです。湯は言いました。「聖王の道を学ぶ者は、日の光のようである。静かに考えて独りでいる者は、火の光のようである。聖王の道を学ぶことをやめて独りで考えるのは、庭に満ちる日の明るさを離れて、部屋の火の光に近づくようなものだ。少しは見えても、大きくは知ることができない」と。こういうわけで、明君や君子は道を学ぶことを尊び、独りの思索を低く見ます。諸君が賢者を得て挙げ、賢者を得て手を組むのは、山に登るようなものです。不肖の者を得て挙げ、手を組むのは、淵に下りるようなものです。山に登って眺めれば、見通せないものはありません。ずるずると淵に入れば、誰が溺れずにすむでしょう。だから明君は人を挙げることを慎み、君子は誰と組むかを慎み、そうして初めて福は必ず帰り、災いは必ず去るのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『五常訓』巻之五・信信は、天道にていはば誠なり。真実無妄を誠と云ふ。天道に春夏秋冬の四時あり。其内に土用あり。四時に元亨利貞の四徳あり。四徳の実にして、万世までたがはざるは誠なり。人に仁義礼智ありて、其内に信ある亦かくの如し。元亨利貞、四時のめぐりの序ちがはざるは、即誠なり。天道の、春生じ、夏長じ、秋をさめ、冬かくすこと、年々同じく、日月のめぐり、四時の温熱涼寒、人物のかたちも性も、万古より今に至りてかはらず。桃花は年々紅に、李花は年々白きも、皆是天道の誠たがはざるなり。天道にありては誠と云ひ、人に生れつきては信と云ふ。天にあり、人にある、理は一なり。
-
『五常訓』巻之一・総論又孟子はじめて仁義礼智の四徳をつらねて説き給へり。是又仁義の外、礼智あるにあらず。礼は仁よりいで、智は義の内にあり。朱子の、礼は仁の著るるなり。智は義の蔵るるなりといへるが如し。仁義をわかちて四徳を説くは、陰陽をわかてば、春夏秋冬の四時となるに本づけり。前漢の董仲舒曰く。仁義礼智信五常の道は、王者の当に修飾すべき所なりといへり。是四徳に信を加へて、五常と説ける始なり。四徳の外、別に信あるにあらず。四徳のまことありて偽無きは、即信なり。信なければ仁義礼智にあらず。たとへば四時の内に土用ありて、木火金水の気行はるるが如し。木火金水も、土なければ生ぜず。是董仲舒のはじめて説き出せるにもあらず。上代よりすでに此説あればなり。
-
『呻吟語』内篇・問學・第一に信を體するを要す我は我を信じ得過ぐるも、人は未だ必ずしも我を信じ得過ぎず。故に君子は嫌を避く。若し正大光明の心を以てすること青天白日の如く、又た至誠惻怛の意を以てすること火の熱く水の寒きが如くんば、何の嫌か避く可けん。故に君子の學問は第一に信を體するを要す。只だ信じ了はらば、天下に些子の事無し。
-
『五常訓』巻之五・信一子路無宿諾とは、一たび行はんと心にうけごひたる事を、延引せず、すみやかに行はれしとなり。是信ある所なり。一信は心に誠あるなり。心に誠あれば、言行の上にあらはる。言は行をかへりみていひ、行は言をかへりみて行ふ。是言行共に信あるなり。もし身に行はざる事を口にいひ、口に言ふ事を身に行はざるは、是言行共に信なきなり。言ふ事は易く、行ふ事はかたし。故に言をばひかへ、行をば過すべし。是信を行ふ道なり。
-
『十善法語』巻第十一・不邪見戒之中総シテ心ノアル処ハ形ノアル処。形ノ生スル処ニ其心生スルシヤ。此女人自ノ眉目鼻口ノソナヘニ自執着セシ故。一息截断ノ時。其着セル心還テ己カ面上ニ生シ。虫ト為テ暫モ離レ得ヌシヤ。摩訶羅ト云ハ梵語デ。此ニハ老ナリ愚ナリト翻スル。愚人ノ年ヲ重ネタル者ノ名シヤ。看ヨ。正法ハ智愚ヲ択ハヌ。唯信アル処ニ此縁起実相ハ顕ルルシヤ。今日ノ者モ純一ニ心ヲ寄セハ。仮令摩訶羅ナリトモ。甚深ノ法ニ通達スヘキシヤ。
-
『韓非子』外儲說左上第三十二賞罰信ならざれば則ち禁令行はれず、説は文公の原を攻むると箕鄭の餓を救ふとに在り。是を以て呉起故人を須ちて食し、文侯虞人に会して猟す。故に明主信を表すこと、曾子の彘を殺すが如きなり。患は厲王の警鼓を撃つと李悝の両和を謾くとに在り。一。宓子賤単父を治む。有若之を見て曰く、「子何ぞ臞せたるや。」宓子曰く、「君賤の不肖を知らず、単父を治めしむ、官事急にして、心之を憂ふ、故に臞せたり。」有若曰く、「昔者舜五絃を鼓し、南風の詩を歌ひて天下治まる。今単父の細を以て、之を治めて憂ふ、天下を治むるは将に奈何せんとするや。故に術有りて之を御すれば、身廟堂の上に坐し、処女子の色有るも、治に害無し。術無くして之を御すれば、身瘁臞すと雖も、猶ほ未だ益有らず。楚王田鳩に謂ひて曰く、「墨子は、顕学なり。其の身体は則ち可なり、其の言多くして弁ならざるは、何ぞや。」曰く、「昔秦伯其の女を晋の公子に嫁がしむ、晋をして之が為に装を飾らしめ、文衣の媵七十人を従へしむ。晋に至る、晋人其の妾を愛して公女を賤しむ。此れ善く妾を嫁がしむと謂ふべくして、未だ善く女を嫁がしむと謂ふべからざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る