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五常訓 / 巻之五・信

一子曰、人而無信不知其可也。人の心信實なるは、萬事の基にして、人にまじはるの道なり。若信なければ、萬事すべて、僞なれば、人にまじはりて、如何ぞ善なるべき。たとへば大車の荷車に輗なければ、牛の首に車をかくる事ならず。小車の乘車に軏なければ、車を馬にかくる事ならず。車と牛馬とは別の物なれど、輗と軏とあれば、是を以て牛馬に車をかけて引かしむべし。若此ものなくんば、何を以てか車をやるべきや。人にまじはるに信ならざるも、亦かくの如し。人と我とは、二物なり。信實を以て交はれば、互に感通して、道行はる。若信なくして人と交はらば、我人にまことなく、人我を信ぜず。彼と我と感通せず。何を以てか道行はれんや。

新字:一子曰、人而無信不知其可也。人の心信実なるは、万事の基にして、人にまじはるの道なり。若信なければ、万事すべて、偽なれば、人にまじはりて、如何ぞ善なるべき。たとへば大車の荷車に輗なければ、牛の首に車をかくる事ならず。小車の乗車に軏なければ、車を馬にかくる事ならず。車と牛馬とは別の物なれど、輗と軏とあれば、是を以て牛馬に車をかけて引かしむべし。若此ものなくんば、何を以てか車をやるべきや。人にまじはるに信ならざるも、亦かくの如し。人と我とは、二物なり。信実を以て交はれば、互に感通して、道行はる。若信なくして人と交はらば、我人にまことなく、人我を信ぜず。彼と我と感通せず。何を以てか道行はれんや。

書き下し

一子曰く、人にして信無くんば其の可なるを知らざるなり。人の心信実なるは、万事の基にして、人にまじはるの道なり。若信なければ、万事すべて、偽なれば、人にまじはりて、如何ぞ善なるべき。たとへば大車の荷車に輗なければ、牛の首に車をかくる事ならず。小車の乗車に軏なければ、車を馬にかくる事ならず。車と牛馬とは別の物なれど、輗と軏とあれば、是を以て牛馬に車をかけて引かしむべし。若此ものなくんば、何を以てか車をやるべきや。人にまじはるに信ならざるも、亦かくの如し。人と我とは、二物なり。信実を以て交はれば、互に感通して、道行はる。若信なくして人と交はらば、我人にまことなく、人我を信ぜず。彼と我と感通せず。何を以てか道行はれんや。

現代語訳

孔子は「人でありながら信がなければ、それでよいとは思えない」と言われました。人の心が信実であることは、万事の基であり、人と交わる道です。もし信がなければ、万事がすべて偽りなので、人と交わってどうして善いことがあるでしょうか。たとえば大車である荷車に輗(ながえの端の横木を留める具)がなければ、牛の首に車をかけることはできません。小車である乗用の車に軏がなければ、車を馬にかけることはできません。車と牛馬とは別のものですが、輗と軏とがあれば、これによって牛馬に車をかけて引かせることができます。もしこのものがなければ、何によって車を進めることができるでしょうか。人と交わるのに信でないのも、またこのようなものです。人と自分とは別の二つのものです。信実で交われば互いに感じ通じて、道は行われます。もし信がなくて人と交われば、自分は人に誠がなく、人は自分を信じません。彼と自分とが感じ通じません。何によって道が行われるでしょうか。

解説

論語為政篇の「人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり。大車輗無く、小車軏無くんば、其れ何を以て之を行らんや」の解説です。輗と軏は、車の轅と牛馬をつなぐ小さな部品です。車と牛馬は別物でも、この小さな部品があって初めて一体となって進みます。人と人も別の存在ですが、信があって初めて心が通い協力できます。小さな部品が欠けると車が動かないように、信がなければ関係は動き出しません。チームや取引が信頼でつながっていることを、具体的な道具で示した巧みな比喩です。

この章句が説くこと

信論語交わり信頼誠

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