新書 / 脩政語上
帝堯曰:「吾存心於先古,加志於窮民,痛萬姓之罹罪,憂眾生之不遂也。故一民或饑,曰此我饑之也;一民或寒,曰此我寒之也;一民有罪,曰此我陷之也。」仁行而義立,德博而化富,故不賞而民勸,不罰而民治,先恕而後行,是故德音遠也。是故堯教化及雕題、蜀、越,撫交趾,身涉流沙,地封獨山,西見王母,訓及大夏、渠叟,北中幽都,及狗國與人身,而鳥面及焦僥,好賢而隱不還,彊於行而菑於志,率以仁而恕,至此而已矣。帝舜曰:「吾盡吾敬以事吾上,故見謂忠焉;吾盡吾敬以接吾敵,故見謂信焉;吾盡吾敬以使吾下,故見謂仁焉。是以見愛親於天下之人,而歸樂於天下之民,而見貴信於天下之君。故吾取之以敬也,吾得之以敬也。」故欲明道而諭教,惟以敬者爲忠必服之。
新字:帝堯曰:「吾存心於先古,加志於窮民,痛万姓之罹罪,憂衆生之不遂也。故一民或饑,曰此我饑之也;一民或寒,曰此我寒之也;一民有罪,曰此我陥之也。」仁行而義立,徳博而化富,故不賞而民勧,不罰而民治,先恕而後行,是故徳音遠也。是故堯教化及雕題、蜀、越,撫交趾,身渉流沙,地封独山,西見王母,訓及大夏、渠叟,北中幽都,及狗国与人身,而鳥面及焦僥,好賢而隠不還,彊於行而菑於志,率以仁而恕,至此而已矣。帝舜曰:「吾尽吾敬以事吾上,故見謂忠焉;吾尽吾敬以接吾敵,故見謂信焉;吾尽吾敬以使吾下,故見謂仁焉。是以見愛親於天下之人,而帰楽於天下之民,而見貴信於天下之君。故吾取之以敬也,吾得之以敬也。」故欲明道而諭教,惟以敬者為忠必服之。
書き下し
帝堯曰く、「吾は心を先古に存し、志を窮民に加え、万姓の罪に罹るを痛み、衆生の遂げざるを憂う。故に一民或いは飢うれば、曰く此れ我之を飢えしむるなりと。一民或いは寒ければ、曰く此れ我之を寒からしむるなりと。一民罪有れば、曰く此れ我之を陥れたるなりと」と。仁行われて義立ち、徳博くして化富む、故に賞せずして民勧み、罰せずして民治まり、恕を先にして後に行う、是の故に徳音遠し。是の故に堯の教化は雕題・蜀・越に及び、交趾を撫し、身は流沙を渉り、地は独山に封じ、西のかた王母に見え、訓は大夏・渠叟に及び、北は幽都に中り、狗国と人身にして鳥面なる及び焦僥に及び、賢を好みて隠れて還らず、行いに彊くして志に菑し、率うるに仁にして恕を以てす、此に至るのみ。帝舜曰く、「吾は吾が敬を尽くして以て吾が上に事う、故に忠と見なさる。吾は吾が敬を尽くして以て吾が敵に接す、故に信と見なさる。吾は吾が敬を尽くして以て吾が下を使う、故に仁と見なさる。是を以て天下の人に愛親せられ、而して天下の民に帰楽せられ、而して天下の君に貴信せらる。故に吾は之を取るに敬を以てし、吾は之を得るに敬を以てす」と。故に道を明らかにして教えを諭さんと欲すれば、惟だ敬を以てする者のみ忠なり、必ず之を服せしむ。
現代語訳
帝堯は言いました。「私は心を昔の人に置き、志を困窮した民に向け、万民が罪に陥るのを痛み、人々が思いを遂げられないのを憂える。だから一人の民が飢えれば、これは私が飢えさせたのだと言い、一人の民が凍えれば、これは私が凍えさせたのだと言い、一人の民に罪があれば、これは私が陥れたのだと言う」と。仁が行われて義が立ち、徳が広まって教化が豊かになり、賞せずに民は励み、罰せずに民は治まり、思いやりを先にして後に行うので、徳の声は遠くまで届きました。そのため堯の教化は雕題・蜀・越に及び、交趾を慰撫し、自ら流沙を渡り、領土は独山に封じ、西では王母に会い、教えは大夏・渠叟に及び、北は幽都に至り、狗国や人の身に鳥の顔をした者、焦僥にも及びました。賢を好んで隠れた者を呼び戻し、行いに力を尽くしながら志には慎重で、仁と思いやりをもって率いることは、ここまで至りました。帝舜は言いました。「私は私の敬を尽くして上に仕えるので、忠と見なされる。私は私の敬を尽くして敵に接するので、信と見なされる。私は私の敬を尽くして下を使うので、仁と見なされる。だから天下の人に愛され親しまれ、天下の民に帰服して喜ばれ、天下の君に貴ばれ信じられる。私はこれを敬によって取り、敬によって得た」と。だから道を明らかにして教えを広めようと思うなら、ただ敬をもってする者だけが忠であり、必ず人を服させます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『慎思録』巻之三孔子の大人を畏るとは、其の爵位有るを尊びて、君上を敬するの意にして、其の勢を畏るるに非ず。是れ驕らざるなり。孟子の大人を藐るとは、其の富貴を畏れて屈辱せざるの意にして、其の人を藐るに非ず。是れ諂はざるなり。蓋し大人を畏ると富貴を藐るとは、道並び行はれて悖らざるなり。大凡礼の用は、和を貴しと為す。太だ促縮して、気をして屈辱せしむべからず。故に大人に説くには、則ち須らく志意をして舒展せしめ、言語をして尽くすを得しむべきなり。
-
『大和俗訓』巻之三・心術上一敬はつつしむと訓ず。つつしむとは、心に戒めおそるるを云ふ。和語の意はつつむなり。しはやすめ字なり。内につつんで、みだりに外に出さざるなり。敬めば本心をたもちて失はず、行ひなす事理にかなひてあやまりなし。ここを以て、敬は一心のまもり、万善の根本なり。故に敬めば身修り、敬まざれば乱る。万のこと、敬まざることなかれ。万善皆つつしみによつて行はれ、万悪皆不敬よりおこる。故に五常の徳是によつて立ち、五倫の道是によつて行はる。ここを以て、聖学は敬を以て要とす。故に聖学の始終、皆敬を以て宗とす。古来聖賢の心法、皆敬の一字を要とす。学者の尤つとむべき所なり。又よくつつしめば福あり。つつしまざれば禍あり。白楽天も、禍と福とは慎むと慎まざるとに在りといへり。身のわざはひは、皆つつしまざるによれり。故につつしみは禍にかつといへり。
-
『慎思録』巻之一敬とは、戒慎恐懼の謂なり。把捉強持の謂に非ざるなり。若し心を操りて強ひて把捉を為さば、是れ助長の病と為す。所謂拘捉すれば、則ち久しくし難きなり。其の弊或いは流れて色荘の人と為る者多し。敬と為すべからざるなり。今の敬を執るの人、動もすれば敬を以て束縛強持の事と為す。聖賢の敬を言ふの本旨に非ず。然れども一に和して、安排布置し、之を節するに礼を以てせざる者も、亦敬を去ること弥遠し。
-
『不動智神妙録』敬の字敬の字をは主一無適と致す程も、心を一所に定めて余所へ心をやらず、後に抜いて切るとも切る方へ心をやらぬが肝要の事にて候、殊に主君抔に御意を承る事、敬の字の心眼たるべし、仏法にも敬の字の心有り、敬白鐘を鳴らすとて鐘を三つ鳴して手を合せ敬白す、先つ仏と唱へ上る此敬白の心、主一無適、一心不乱、同義にて候、
-
言志四録・言志晩録 第八十条 震艮の工夫は一に帰す「其の背に艮まりて其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず」とは、敬以て誠を存するなり。「震は百里を驚かせども、匕鬯を喪はず」とは、誠以て敬を行ふなり。震と艮とは正倒なれども、工夫は一に帰す。
-
『山鹿語類』士道・毋不敬師嘗て曰。格致を明にし、天地の大徳に比し、聖学の源流を正さんとならば、敬身ざるときは、何を以て其要を可得。身を敬するの術、先威儀の則を正しくするにありぬべし。許文正公曰。威儀正于外。則敬身之大体得矣といへり。爰に威儀の則何をか先にせんとならば、身にをいて視聴言動を非礼のために感動せしめざる、是威儀の要と可謂也。而威儀いかんして正しきとならば、曲礼曰、毋不敬と云、此三字を能く工夫するに可有也。凡そ礼は其本人心の不得止の処より出生して、事物の上に自然の節あつて、其文章厳然としておかすべからず、斐然としてあやあるべき、是を礼といふ。身上の動静悉く礼を用たれば、一動一静一語一黙、各礼節あり。礼節の本毋不敬の三字にきはまれり。其ゆへいかんとなれば、語黙動静の間に詳に思て、其節にあたらん事を計らば、不中と云とも不遠のことわり也。何の思ひはかる処なく、唯当座にまかせて是をいたし、情欲に従て発せしむるを以て、非礼の用多く、威儀こゝに廃しこゝに絶す。事物の間にをいて常に思を深くし詳に慮らば、各当然の則りに近かるべし。是を毋不敬と教ゆる也。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る