新書 / 大政下
夫民之爲言也,暝也;萌之爲言也,盲也。故惟上之所扶而以之,民無不化也。故曰民萌。民萌哉,直言其意而爲之名也。夫民者,賢不肖之材也,賢不肖皆具焉。故賢人得焉,不肖者伏焉;技能輸焉,忠信飭焉。故民者積愚也。故夫民者雖愚也,明上選吏焉,必使民與焉。故士民譽之,則明上察之,見歸而舉之;故士民苦之,則明上察之,見非而去之。故王者取吏不妄,必使民唱,然後和之。故夫民者,吏之程也。察吏於民,然後隨之。夫民至卑也,使之取吏焉,必取其愛焉。故十人愛之有歸,則十人之吏也;百人愛之有歸,則百人之吏也;千人愛之有歸,則千人之吏也;萬人愛之有歸,則萬人之吏也。故萬人之吏,選卿相焉。
新字:夫民之為言也,暝也;萌之為言也,盲也。故惟上之所扶而以之,民無不化也。故曰民萌。民萌哉,直言其意而為之名也。夫民者,賢不肖之材也,賢不肖皆具焉。故賢人得焉,不肖者伏焉;技能輸焉,忠信飭焉。故民者積愚也。故夫民者雖愚也,明上選吏焉,必使民与焉。故士民誉之,則明上察之,見帰而舉之;故士民苦之,則明上察之,見非而去之。故王者取吏不妄,必使民唱,然後和之。故夫民者,吏之程也。察吏於民,然後随之。夫民至卑也,使之取吏焉,必取其愛焉。故十人愛之有帰,則十人之吏也;百人愛之有帰,則百人之吏也;千人愛之有帰,則千人之吏也;万人愛之有帰,則万人之吏也。故万人之吏,選卿相焉。
書き下し
夫れ民の言たる、暝なり。萌の言たる、盲なり。故に惟だ上の扶けて以て之を率うる所なれば、民化せざる無し。故に民萌と曰う。民萌なるかな、直に其の意を言いて之が名を為す。夫れ民は、賢不肖の材なり、賢不肖皆具わる。故に賢人は焉を得、不肖者は焉に伏す。技能は焉に輸し、忠信は焉に飭まる。故に民は積愚なり。故に夫れ民は愚なりと雖も、明らかなる上の吏を選ぶや、必ず民をして焉に与らしむ。故に士民之を誉むれば、則ち明上之を察し、帰せらるるを見て之を挙ぐ。故に士民之を苦しめば、則ち明上之を察し、非とせらるるを見て之を去る。故に王者の吏を取るや妄ならず、必ず民をして唱えしめ、然る後に之に和す。故に夫れ民は、吏の程なり。吏を民に察し、然る後に之に随う。夫れ民は至卑なれども、之をして吏を取らしむれば、必ず其の愛を取る。故に十人之を愛して帰する有れば、則ち十人の吏なり。百人之を愛して帰する有れば、則ち百人の吏なり。千人之を愛して帰する有れば、則ち千人の吏なり。万人之を愛して帰する有れば、則ち万人の吏なり。故に万人の吏は、卿相に選ばる。
現代語訳
民という言葉は、暝(くらい)という意味です。萌という言葉は、盲(めしい)という意味です。だから上の者が助けて率いれば、民が感化されないことはありません。そこで民萌と言います。民萌とは、その意味をそのまま言って名にしたものです。民は、賢者も不肖者もいる素材で、賢いも不肖もみなそろっています。賢人は民の中から得られ、不肖者は民の中に伏しています。技能はそこに集まり、忠信はそこで整えられます。だから民は愚かさが積もったものです。民は愚かであっても、明君が役人を選ぶときには、必ず民を関わらせます。士民が褒めるなら明君は調べ、民が帰服しているのを見て挙げ用います。士民が苦しむなら明君は調べ、民から非難されているのを見て退けます。だから王者は役人を取るのに軽々しくせず、必ず民に先に唱えさせ、そののちそれに応じます。民は役人の物差しなのです。役人を民のなかで調べ、そののち従います。民は最も卑しい者ですが、役人を選ばせれば、必ずその愛する者を選びます。十人が愛して慕う者は十人の役人であり、百人なら百人の役人、千人なら千人の役人、万人なら万人の役人です。万人の役人は、卿相に選ばれるのです。
解説
この章句が説くこと
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