呻吟語 / 内篇・應務・時に達し勢を審らかにす
不擇可與共事之人,則不既厥心,不堪其任。或以虛文相欺,或以意見相傾,譬以玉杯付小兒,而奔走於崎嶇之峰也。是故貴達時。時者,成事之期也。機有可乘,會有可際,不先不後,則其道易行。不達於時。譬投種於堅凍之候也。是故貴審勢。
新字:不択可与共事之人,則不既厥心,不堪其任。或以虚文相欺,或以意見相傾,譬以玉杯付小児,而奔走於崎嶇之峰也。是故貴達時。時者,成事之期也。機有可乗,会有可際,不先不後,則其道易行。不達於時。譬投種於堅凍之候也。是故貴審勢。
書き下し
與に事を共にす可きの人を擇ばずんば、則ち厥の心を既さず、其の任に堪へず。或いは虛文を以て相欺き、或いは意見を以て相傾く。譬へば玉杯を小兒に付して、崎嶇の峰に奔走するがごとし。是の故に時に達するを貴ぶ。時なる者は、事を成すの期なり。機に乘ず可き有り、會に際す可き有り。先んぜず後れざれば、則ち其の道行はれ易し。時に達せざるは、譬へば種を堅凍の候に投ずるがごとし。是の故に勢を審らかにするを貴ぶ。
現代語訳
共に事をなせる人を選ばなければ、その心を尽くさせられず、任にも堪えません。あるいは中身の無い言葉で欺き合い、あるいは意見でぶつかり合います。たとえれば玉の杯を子どもに預けて、険しい峰を駆けさせるようなものです。だから時に通ずることを貴びます。時とは事を成す時期です。乗るべき機があり、出会うべき会があります。早すぎず遅すぎなければ、その道は行われやすい。時に通じないのは、たとえれば凍りついた季節に種を蒔くようなものです。だから勢いを見極めることを貴びます。
解説
人選と時機の二つを説きます。人選の失敗は、玉の杯を子どもに持たせて険しい道を走らせる姿にたとえられ、時機の失敗は凍った地面に種を蒔く姿にたとえられます。どちらも本人が頑張っても結果が出ない形です。そして第三の勢へと話がつながっていきます。五用が順に鎖のように示される構成になっています。五用が順に、鎖のように示される構成になっています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
人選時機勢比喩五用
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