新書 / 大政下
王者有易政而無易國,有易吏而無易民。故因是國也而爲安,因是民也而爲治。故湯以桀之亂民爲治,武王以紂之北卒爲彊。故民之治亂在於吏,國之安危在於政。故是以明君之於政也慎之,於吏也選之,然後國興也。故君能爲善,則吏必能爲善矣;吏能爲善,則民必能爲善矣。故民之不善也,失之者吏也;故民之善者,吏之功也。故吏之不善也,失之者君也;故吏之善者,君之功也。是故君明而吏賢,吏賢而民治矣。故苟上好之,其下必化之,此道之謂也。
新字:王者有易政而無易国,有易吏而無易民。故因是国也而為安,因是民也而為治。故湯以桀之乱民為治,武王以紂之北卒為彊。故民之治乱在於吏,国之安危在於政。故是以明君之於政也慎之,於吏也選之,然後国興也。故君能為善,則吏必能為善矣;吏能為善,則民必能為善矣。故民之不善也,失之者吏也;故民之善者,吏之功也。故吏之不善也,失之者君也;故吏之善者,君之功也。是故君明而吏賢,吏賢而民治矣。故苟上好之,其下必化之,此道之謂也。
書き下し
王者は政を易うること有りて国を易うること無く、吏を易うること有りて民を易うること無し。故に是の国に因りて安きを為し、是の民に因りて治を為す。故に湯は桀の乱民を以て治を為し、武王は紂の北卒を以て彊を為す。故に民の治乱は吏に在り、国の安危は政に在り。故に是を以て明君の政に於けるや之を慎み、吏に於けるや之を選び、然る後に国興るなり。故に君能く善を為せば、則ち吏必ず能く善を為さん。吏能く善を為せば、則ち民必ず能く善を為さん。故に民の不善は、之を失う者は吏なり。故に民の善なる者は、吏の功なり。故に吏の不善は、之を失う者は君なり。故に吏の善なる者は、君の功なり。是の故に君明らかなれば吏賢に、吏賢なれば民治まる。故に苟くも上之を好めば、其の下必ず之に化す、此れ道の謂いなり。
現代語訳
王者は政を改めることはあっても国を取り替えることはなく、役人を取り替えることはあっても民を取り替えることはありません。そこで、その国をそのまま用いて安定をつくり、その民をそのまま用いて治めをつくります。湯は桀の乱れた民を使って治め、武王は紂の敗走した兵を使って強くしました。民が治まるか乱れるかは役人にあり、国が安らぐか危うくなるかは政にあります。だから明君は政を慎み、役人を選び、そののち国が興ります。君が善を行えば、役人も必ず善を行い、役人が善を行えば、民も必ず善を行います。民が善くないのは、役人が失ったからであり、民が善いのは役人の功です。役人が善くないのは、君が失ったからであり、役人が善いのは君の功です。だから君が明らかであれば役人は賢く、役人が賢ければ民は治まります。上がこれを好めば、下は必ず感化されるというのは、この道を言うのです。
解説
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