新書 / 道德說
道者無形,平和而神。道有載物者,畢以順理適行,故物有清而澤。澤者,鑑也。鑑以道之神。𢸆貫物形,道達空竅,奉一出入爲先,故謂之鑑。鑑者,所以能也。見者,目也。道德施物,精微而爲目。是故物之始形也,分先而爲目,目成也形乃從。是以人及有因之在氣,莫精於目。目清而潤澤若濡,無毳穢雜焉,故能見也。由此觀之,目足以明道德之潤澤矣,故曰「澤者,鑑也」,「生空竅,通之以道」。
新字:道者無形,平和而神。道有載物者,畢以順理適行,故物有清而沢。沢者,鑑也。鑑以道之神。𢸆貫物形,道達空竅,奉一出入為先,故謂之鑑。鑑者,所以能也。見者,目也。道徳施物,精微而為目。是故物之始形也,分先而為目,目成也形乃従。是以人及有因之在気,莫精於目。目清而潤沢若濡,無毳穢雑焉,故能見也。由此観之,目足以明道徳之潤沢矣,故曰「沢者,鑑也」,「生空竅,通之以道」。
書き下し
道は形無く、平和にして神なり。道に物を載する者有り、畢く以て理に順い行に適う、故に物に清くして沢なる有り。沢なる者は、鑑なり。鑑は道の神を以てす。𢸆ねて物の形を貫き、道は空竅に達し、一を奉じて出入するを先と為す、故に之を鑑と謂う。鑑なる者は、能くする所以なり。見る者は、目なり。道徳の物に施すや、精微にして目と為る。是の故に物の始めて形あるや、先を分ちて目と為り、目成れば形乃ち従う。是を以て人及び因有りて気に在るもの、目より精なるは莫し。目清くして潤沢なること濡うが若く、毳穢の雑わる無し、故に能く見るなり。此に由りて之を観れば、目は以て道徳の潤沢を明らかにするに足れり、故に曰く「沢なる者は、鑑なり」、「空竅を生じ、之に通ずるに道を以てす」と。
現代語訳
道には形がなく、穏やかで調和していて、はかり知れない働きがあります。道が物を載せるとき、すべて理に従い、ふさわしい動きに合わせるので、物には清らかでつややかなものが生まれます。このつやが鏡です。鏡は道の霊妙な働きによります。物の形を貫き、道は体の穴や隙間にまで届き、一つのものを奉じて出入りすることを第一とするので、これを鑑と呼びます。鑑とは、はたらきのもとになるものです。見るのは目です。道徳が物に施されるとき、細やかに凝り固まって目となります。だから物がはじめて形を持つときは、まず目が分かれ出て、目ができて形がそれに続きます。そのため人をはじめ、気の中にあるものの中で、目ほど精妙なものはありません。目は清らかで濡れたようにつややかで、毛やけがれが混じらないから見えるのです。これを見れば、目は道徳のうるおいを明らかに示すに足ります。だから「沢とは鑑である」「穴を生じ、これに道を通じる」と言うのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。
-
『徂徠先生答問書』卷下しかるに後世の儒者見識低く器量小く、何事も我身一つに思ひ取候故、心法理窟の説盛に成行、今日の脩行を以て聖人にならんと求め候。聖人に成得候得ば天下国家はおのづから治まると思取より、事は替れ共仏老の意地に陥候。釈迦は乞食の境界にて、家もなく妻子もなく、まして国天下も持不申身故、其道専ら我身一つの事に候。是等の所聖人の道之大段の分れめにて候。帝嚳以前は徳を以て天下を治玉へり。堯舜に至りて始て道を建立し玉へる故、孔子も祖述堯舜、又書経も堯舜より始まる事、我道の元祖たる故也。堯舜も徳を以て天下を治め玉はんには、道の建立に及ばざる事也。聖賢なき世にても、此道伝はる時は、聖賢在世のごとく天下国家平治なすべき様を工夫まし〳〵て、建立し玉へる事にて、禹湯文武周公相継で脩補まし〳〵たる事也。是によりて孔子も学玉はざれば道は知り玉はず、宋儒は只徳を以て天下を治むる事計を会得して、道といふ物を不存是によりて孔子の好学との玉ひ、博く学び玉へる事、其解不明白、或は謙詞といひ、或は学者を勉むるの語抔まぎらかし被置候也。是己が意を以て聖人を量り、聖言の真実なるを不知也。
-
『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
-
『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
-
『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
-
『山鹿語類』士道・惣論日用之事師嘗曰。易云、百姓日用而不知。中庸曰、道也者須臾不可離也。可離非道と云へり。人の世に在る、一動一静皆是を不出。我これを名けて道とす。知らずと云へども、天地我に形ちを与て是に理をそなへ其用をたらしめ、聖人上代に在て其彝倫の制を定め、不得止の則りを立てぬ。聖人爰に不出といへども、世々是により人々自是を守る。ゆゑに日々の用る処、悉く道の存する処也。世遠道次弟におとろへて、人物事変あることは、是道の離るゝゆゑ也。しかれども事変道によらざれば不成。こゝを以て云時は、治乱盛衰の大より一事一物の変動に至るまで、天地の法則をはなるゝことさらになし。君子大丈夫能此心を体認して、初めて道をかたるべし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る