呻吟語 / 内篇・談道・心力勤むる者は多くを得
道在天地間,不限於取數之多,心力勤者得多,心力衰者得少,昏弱者一無所得。假使天下皆聖人,道亦足以供其求;苟皆為盜跖,道之本體自在也,分毫無損。畢竟是世有聖人,道斯有主;道附聖人,道斯有用。
新字:道在天地間,不限於取数之多,心力勤者得多,心力衰者得少,昏弱者一無所得。仮使天下皆聖人,道亦足以供其求;苟皆為盗跖,道之本体自在也,分毫無損。畢竟是世有聖人,道斯有主;道附聖人,道斯有用。
書き下し
道は天地の間に在りて、取數の多きに限らず。心力勤むる者は多くを得、心力衰ふる者は少なきを得、昏弱なる者は一も得る所無し。假使ひ天下皆聖人ならば、道も亦た以て其の求めに供するに足る。苟くも皆盜跖と為るも、道の本體は自ら在り、分毫も損無し。畢竟是れ世に聖人有りて、道斯に主有り。道聖人に附きて、道斯に用有り。
現代語訳
道は天地のあいだにあって、取り分の多さに限りがありません。心の力を尽くす者は多く得、心の力が衰えた者は少なく得、ぼんやりして弱い者は何も得ません。たとえ天下がみな聖人になっても、道はその求めに応じるに足ります。かりにみな盗跖になっても、道の本体はそのままあって、わずかも減りません。結局、世に聖人があって道に主人ができ、道が聖人に付いて道に働きができるのです。
解説
道が有限の資源でないことが示されます。取り分に限りがなく、多く取っても減らない。全員が聖人になっても足り、全員が盗跖になっても道そのものは損なわれない、と。取り合いにならないものだという指摘です。そして最後に人の側の役割が置かれます。道は聖人があってはじめて主人を持ち、働きを持つ。無限だが、誰かが担わなければ用をなさないという関係です。
この章句が説くこと
道無限勤惰主用
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