新書 / 君道
紂作梏數千,睨諸侯之不謟己者,杖而梏之。文王桎梏於羑里,七年而後得免。及武王克殷,既定,令殷之民投撤桎梏而流之於河。民輸梏者以手撤之,弗敢墜也;跪之入水,弗敢投也。曰:「昔者,文王鬻常擁此。」故愛思文王,猶敬其梏,況於其法教乎!
新字:紂作梏数千,睨諸侯之不謟己者,杖而梏之。文王桎梏於羑里,七年而後得免。及武王克殷,既定,令殷之民投撤桎梏而流之於河。民輸梏者以手撤之,弗敢墜也;跪之入水,弗敢投也。曰:「昔者,文王鬻常擁此。」故愛思文王,猶敬其梏,況於其法教乎!
書き下し
紂梏数千を作り、諸侯の己に謟わざる者を睨み、杖して之を梏す。文王羑里に桎梏せられ、七年にして後免るるを得たり。武王殷に克つに及び、既に定まりて、殷の民をして桎梏を投撤して之を河に流さしむ。民梏を輸る者は手を以て之を撤し、敢えて墜とさず、跪きて之を水に入れ、敢えて投げず。曰く、「昔者、文王鬻く常に此れを擁す」と。故に愛思すること文王のごとく、猶お其の梏を敬す、況んや其の法教に於いてをや。
現代語訳
紂王は数千もの手かせを作り、自分にへつらわない諸侯をにらみつけては、打って手かせをかけました。文王は羑里で手かせ足かせをかけられ、七年たってからようやく許されました。武王が殷に勝ち、事が落ち着くと、殷の民に命じて、手かせ足かせを取り外して河に流させました。手かせを運ぶ民は、手でそっと外し、あえて落とさず、ひざまずいて水に入れ、あえて投げませんでした。民は言いました。「昔、文王はいつもこれをはめておられたのだ」と。このように民は文王を慕う思いから、その手かせにまで敬意を払いました。まして、その法や教えに対してはなおさらです。
解説
紂王の暴虐と文王の囚われ、そして殷の民が手かせを丁寧に扱う場面を描いた短い段です。賈誼は、手かせという忌まわしい物にまで敬意を払う民の姿から、文王がどれほど慕われたかを描き出します。「猶お其の梏を敬す、況んや其の法教に於いてをや」は、君主への愛慕は道具や遺物にまで及び、まして教えには従う、という推論です。苦難を共にした経験が、後の信頼の象徴になる、という見方もできます。経営者にとって、創業期の苦労や失敗を隠さず語ることは、社員の敬意を損なうどころか、教えに説得力を与えます。事業承継の場面でも、先代の苦労を物ではなく物語として伝える意味があります。
この章句が説くこと
君道文王紂桎梏愛敬新書
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『淮南子』道應訓文王 德を砥ぎ政を修め、三年にして天下の二垂 之に歸す。紂 聞きて之を患えて曰く、「余 夙に興き夜に寐ね、之と行いを競わば、則ち心を苦しめ形を勞す。縱にして之を置かば、余 一人を伐たんことを恐る」と。崇侯虎曰く、「周伯昌は仁義を行いて善く謀り、太子發は勇敢にして疑わず、中子旦は恭儉にして時を知る。若し之と從わば、則ち其の殃に堪えず。縱にして之を赦さば、身 必ず危亡せん。冠 弊ると雖も、必ず頭に加う。未だ成らざるに及びて、請う之を圖らん」と。屈商 乃ち文王を羑里に拘う。是に於いて散宜生 乃ち千金を以て天下の珍怪を求め、騶虞・鷄斯の乘、玄玉百工、大貝百朋、玄豹・黃羆・靑豻・白虎の文皮千合を得て、以て紂に獻ず。費仲に因りて通ず。紂 見て之を説び、乃ち其の身を免じ、牛を殺して之に賜う。文王 歸り、乃ち玉門を爲り、靈臺を築き、女童を相し、鐘鼓を撃ちて、以て紂の失を待つ。紂 之を聞きて曰く、「周伯昌 道を改め行いを易う。吾 憂い無し」と。乃ち炮烙を爲り、比干を剖き、孕婦を剔き、諫むる者を殺す。文王 乃ち其の謀を遂ぐ。故に老子曰く、「其の榮を知り、其の辱を守り、天下の穀と爲る」と。
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