呂氏春秋 / 行論③
昔者紂為無道,殺梅伯而醢之,殺鬼侯而脯之,以禮諸侯於廟。文王流涕而咨之。紂恐其畔,欲殺文王而滅周。文王曰:「父雖無道,子敢不事父乎?君雖不惠,臣敢不事君乎?孰王而可畔也?」紂乃赦之。天下聞之,以文王為畏上而哀下也。《詩》曰:「惟此文王,小心翼翼,昭事上帝,聿懷多福。」
新字:昔者紂為無道,殺梅伯而醢之,殺鬼侯而脯之,以礼諸侯於廟。文王流涕而咨之。紂恐其畔,欲殺文王而滅周。文王曰:「父雖無道,子敢不事父乎?君雖不恵,臣敢不事君乎?孰王而可畔也?」紂乃赦之。天下聞之,以文王為畏上而哀下也。《詩》曰:「惟此文王,小心翼翼,昭事上帝,聿懐多福。」
書き下し
昔者、紂、無道を為し、梅伯を殺して之を醢にし、鬼侯を殺して之を脯にし、以て諸侯を廟に禮す。文王流涕して之を咨く。紂、其の畔かんことを恐れ、文王を殺して周を滅ぼさんと欲す。文王曰く、「父無道なりと雖も、子敢て父に事えざらんや。君不惠なりと雖も、臣敢て君に事えざらんや。孰か王にして畔く可けんや。」紂乃ち之を赦す。天下之を聞き、文王を以て上を畏れて下を哀れむと為す。詩に曰く、「惟れ此の文王、小心翼翼たり、昭らかに上帝に事え、聿に多福を懷せり。」
現代語訳
昔、紂は無道を行い、梅伯を殺して塩漬けにし、鬼侯を殺して干し肉にし、それを諸侯に廟で供した。文王は涙を流してこれを嘆いた。紂は文王が背くことを恐れ、文王を殺して周を滅ぼそうとした。文王は言った、「父が無道でも、子は父に仕えないでいられようか。君が恵み深くなくても、臣は君に仕えないでいられようか。誰が王でありながら背いてよいものか」。紂はそこで文王を赦した。天下はこれを聞き、文王は上を畏れ下を哀れむ者だと考えた。詩に「この文王は、細やかに慎み深く、明らかに上帝に仕え、多くの福を招いた」とある。
解説
暴君紂に対する文王の忍従を描く段です。要点は、紂の残虐に嘆きつつも、君臣・父子の道を理由に背かず、忍耐して身と国を全うした文王の姿勢にあります。背景に、殷末の暴政と、やがて周を興す文王の徳望があります。無道の主にも軽々に叛かないという態度は、前段までの「私情を抑え、時が不利なら耐えて存続を図る」という篇の主題を体現します。感情的な反発を抑え、名分と大局を見て動くという忍耐の徳は、対立局面での自制や長期戦略として現代にも通じます。
この章句が説くこと
行論文王紂忍従君臣詩経
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