呂氏春秋 / 順民③
文王處歧事紂,冤侮雅遜,朝夕必時,上貢必適,祭祀必敬。紂喜,命文王稱西伯,賜之千里之地。文王載拜稽首而辭曰:“願為民請炮烙之刑。”文王非惡千里之地,以為民請炮烙之刑,必欲得民心也。得民心則賢於千里之地,故曰文王智矣。
新字:文王処歧事紂,冤侮雅遜,朝夕必時,上貢必適,祭祀必敬。紂喜,命文王称西伯,賜之千里之地。文王載拝稽首而辞曰:“願為民請炮烙之刑。”文王非悪千里之地,以為民請炮烙之刑,必欲得民心也。得民心則賢於千里之地,故曰文王智矣。
書き下し
文王、岐に處り紂に事う。冤侮せらるれども雅遜にして、朝夕必ず時にし、上貢必ず適し、祭祀必ず敬む。紂喜び、文王に命じて西伯と稱せしめ、之に千里の地を賜う。文王載拜稽首して辭して曰く、「願わくは民の為に炮烙の刑を去らんことを請う。」文王、千里の地を惡むに非ず。以て民の為に炮烙の刑を去らんことを請うは、必ず民心を得んと欲すればなり。民心を得れば則ち千里の地より賢る。故に曰く、文王は智なり、と。
現代語訳
周の文王は岐の地にいて殷の紂王に仕えた。いわれのない侮辱を受けても正しく従順に振る舞い、朝夕欠かさず礼を尽くし、貢ぎ物は必ず適切にし、祭祀は必ず敬んだ。紂王は喜び、文王に命じて西伯(西方の諸侯の長)と称させ、千里四方の土地を与えた。文王は再拝して額を地につけ、辞退して言った。「どうか民のために炮烙の刑を廃止してくださいますよう」と。文王は千里の土地を嫌ったのではない。民のために炮烙の刑の廃止を願ったのは、必ず民の心を得ようとしたからである。民心を得ることは千里の土地に勝る。だから文王は智者であったと言う。
解説
文王が広大な土地の下賜を辞退し、代わりに残酷な刑の廃止を願った故事です。要点は、目先の利益(千里の土地)より民心の獲得を選んだ文王の賢明さです。背景として、炮烙の刑は紂王の暴政を象徴する火あぶりの酷刑でした。文王はこれを廃させることで民の苦しみを除き、その支持を集めました。土地よりも人の心のほうが長期的に大きな力になると見抜いた判断が「智」と評されます。現代でも、短期の報酬より人々の信頼という無形の資産を優先する選択は、持続的なリーダーシップに通じます。
この章句が説くこと
文王紂王炮烙の刑西伯民心智
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