新書 / 連語
紂,天子之後也,有天下而宜然。苟背道棄義,釋敬慎而行驕肆,則天下之人,其離之若崩,其背之也不約而若期。夫爲人主者,誠奈何而不慎哉?紂將與武王戰,紂陳其卒,左臆右臆,鼓之不進;皆還其刃,顧以鄉紂也。紂走還於寢廟之上,身鬬而死,左右弗肯助也。紂之官衛輿紂之軀,棄之玉門之外。民觀之者皆進蹴之,蹈其腹,蹶其腎,踐其肺,履其肝。周武王乃使人帷而守之,民之觀者搴帷而入,提石之者猶未肯止。可悲也!夫埶爲民主,直與民爲仇,殃忿若此。夫民尚踐盤其軀,而況有其民政教乎?羞甚!臣竊聞之曰:「善不可謂小而無益,不善不可謂小而無傷。」夫牛之爲胎也,細若鼷鼠,紂損天下,自象箸始。故小惡大惡一類也,過敗雖小,皆紂之罪也。周諺曰:「前車覆而後車戒。」
新字:紂,天子之後也,有天下而宜然。苟背道棄義,釈敬慎而行驕肆,則天下之人,其離之若崩,其背之也不約而若期。夫為人主者,誠奈何而不慎哉?紂将与武王戦,紂陳其卒,左臆右臆,鼓之不進;皆還其刃,顧以郷紂也。紂走還於寝廟之上,身闘而死,左右弗肯助也。紂之官衛輿紂之躯,棄之玉門之外。民観之者皆進蹴之,蹈其腹,蹶其腎,践其肺,履其肝。周武王乃使人帷而守之,民之観者搴帷而入,提石之者猶未肯止。可悲也!夫埶為民主,直与民為仇,殃忿若此。夫民尚践盤其躯,而況有其民政教乎?羞甚!臣窃聞之曰:「善不可謂小而無益,不善不可謂小而無傷。」夫牛之為胎也,細若鼷鼠,紂損天下,自象箸始。故小悪大悪一類也,過敗雖小,皆紂之罪也。周諺曰:「前車覆而後車戒。」
書き下し
紂は、天子の後なり、天下を有して宜しく然るべし。苟くも道に背き義を棄て、敬慎を釈てて驕肆を行えば、則ち天下の人、其の之に離るること崩るるが若く、其の之に背くや約せずして期するが若し。夫れ人主たる者、誠に奈何ぞ慎まざらんや。紂将に武王と戦わんとし、紂其の卒を陳ね、左臆右臆、之を鼓するも進まず、皆其の刃を還して、顧みて以て紂に鄉う。紂走りて寝廟の上に還り、身ら闘いて死す、左右肯て助けず。紂の官衛紂の躯を輿して、之を玉門の外に棄つ。民の観る者皆進みて之を蹴り、其の腹を蹈み、其の腎を蹶し、其の肺を践み、其の肝を履む。周の武王乃ち人をして帷して之を守らしむ、民の観る者帷を搴げて入り、石を提げて之にする者猶お未だ止むを肯んぜず。悲しむ可きなり。夫れ埶は民の主たるに、直ちに民と仇を為し、殃忿此くの若し。夫れ民尚お其の躯を践盤す、而るを況んや其の民を有ち政教するをや。羞ずること甚だし。臣竊かに之を聞くに曰く、「善は小にして益無しと謂う可からず、不善は小にして傷無しと謂う可からず」と。夫れ牛の胎と為るや、細きこと鼷鼠の若し、紂の天下を損ずるは、象箸自り始まる。故に小悪も大悪も一類なり、過敗小なりと雖も、皆紂の罪なり。周諺に曰く、「前車覆れば後車戒む」と。
現代語訳
紂は、天子の後継であり、天下を持っていて当然の立場でした。ところが道に背き義を棄て、敬いと慎みを捨てて驕り勝手に振る舞えば、天下の人々は崩れるように離れ、約束もしないのに示し合わせたように背きます。人の主たる者は、まことにどうして慎まずにいられましょうか。紂が武王と戦おうとしたとき、紂は兵を並べましたが、左も右も、太鼓を打っても進まず、みな刃を返して、紂のほうへ向けました。紂は走って寝廟の上に戻り、自ら闘って死にました。側近は誰も助けませんでした。紂の官や護衛は紂の遺体を担いで玉門の外に棄てました。見物する民は進み出てこれを蹴り、腹を踏み、腎を蹴り、肺を踏み、肝を踏みました。周の武王はそこで人に幕を張らせて守らせましたが、見物の民は幕をまくって入り込み、石を持ち上げて(打つ)者はなお止めようとしませんでした。悲しむべきことです。勢いは民の主であるのに、まっすぐ民と仇になり、怒りと災いがこれほどでした。民が主の遺体まで踏みにじるのですから、まして民を治め教化することができましょうか。実に恥ずかしいことです。私はひそかにこう聞きました。「善は小さいからと益がないとは言えず、不善は小さいからと害がないとは言えない」。牛が胎に宿るときは、鼷鼠のように細いものです。紂が天下を損なったのは、象牙の箸から始まりました。小さな悪も大きな悪も同じ類であり、過ちや敗れが小さくても、すべて紂の罪です。周の諺に「前の車が覆れば、後ろの車は戒める」とあります。
解説
この章句が説くこと
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言志四録・言志録 第百八十一条 勢に因りて利導す人情の気機は、一定を以て求むべからず。之を誘へば勧み、之を禁ずれば遏む、順なり。之を導けば反つて阻み、之を抑ふれば益揚る、逆なり。是の故に駕馭の道は、当に其の向背を察し、其の軽重を審らかにし、勢に因りて之を利導し、機に応じて之を激励し、其をして自ら其の然る所以を覚えざらしむべし。此れを之れ得たりと為す。
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