新書 / 退讓
梁大夫宋就者,爲邊縣令,與楚鄰界。梁之邊亭與楚之邊亭皆種瓜,各有數。梁之邊亭劬力而數灌,其瓜美;楚窳而希灌,其瓜惡。楚令固以梁瓜之美,怒其亭瓜之惡也。楚亭惡梁瓜之賢己,因夜往,竊搔梁亭之瓜,皆有死焦者矣。梁亭覺之,因請其尉,亦欲竊往,報搔楚亭之瓜。尉以請。宋就曰:「惡!是何言也!是講怨分禍之道也。惡!何稱之甚也!若我教子,必誨莫令人往,竊爲楚亭夜善灌其瓜,令勿知也。」於是梁亭乃每夜往,竊灌楚亭之瓜。楚亭旦而行瓜,則此已灌矣,瓜日以美,楚亭怪而察之,則乃梁亭也。楚令聞之大悅,具以聞。楚王聞之,恕然醜以志自惛也,告吏曰:「微搔瓜,得無他罪乎?」說梁之陰讓也,乃謝以重幣,而請交於梁王。楚王時則稱說梁王以爲信,故梁、楚之由宋就始。
新字:梁大夫宋就者,為辺県令,与楚鄰界。梁之辺亭与楚之辺亭皆種瓜,各有数。梁之辺亭劬力而数灌,其瓜美;楚窳而希灌,其瓜悪。楚令固以梁瓜之美,怒其亭瓜之悪也。楚亭悪梁瓜之賢己,因夜往,窃搔梁亭之瓜,皆有死焦者矣。梁亭覚之,因請其尉,亦欲窃往,報搔楚亭之瓜。尉以請。宋就曰:「悪!是何言也!是講怨分禍之道也。悪!何称之甚也!若我教子,必誨莫令人往,窃為楚亭夜善灌其瓜,令勿知也。」於是梁亭乃毎夜往,窃灌楚亭之瓜。楚亭旦而行瓜,則此已灌矣,瓜日以美,楚亭怪而察之,則乃梁亭也。楚令聞之大悦,具以聞。楚王聞之,恕然醜以志自惛也,告吏曰:「微搔瓜,得無他罪乎?」説梁之陰譲也,乃謝以重幣,而請交於梁王。楚王時則称説梁王以為信,故梁、楚之由宋就始。
書き下し
梁の大夫宋就なる者、辺県の令と為り、楚と界を隣す。梁の辺亭と楚の辺亭と皆瓜を種え、各数有り。梁の辺亭は劬力して数灌ぎ、其の瓜美し。楚は窳にして灌ぐこと希にして、其の瓜悪し。楚令は固より梁の瓜の美なるを以て、其の亭の瓜の悪なるを怒る。楚亭は梁の瓜の己に賢るを悪み、因りて夜往き、竊かに梁亭の瓜を搔けば、皆死焦する者有り。梁亭之を覚り、因りて其の尉に請い、亦竊かに往き、報いて楚亭の瓜を搔かんと欲す。尉以て請う。宋就曰く、「悪、是れ何の言ぞや。是れ怨を講じ禍を分かつの道なり。悪、何ぞ称うることの甚だしきや。若し我子に教えば、必ず人をして往かしむること莫からんことを誨え、竊かに楚亭の為に夜善く其の瓜に灌ぎ、知らしむる勿からしめよ」と。是に於いて梁亭乃ち夜毎に往き、竊かに楚亭の瓜に灌ぐ。楚亭旦にして瓜を行るに、則ち此れ已に灌がれたり。瓜日に以て美なり。楚亭怪しみて之を察するに、則ち乃ち梁亭なり。楚令之を聞きて大いに悦び、具さに以て聞す。楚王之を聞き、恕然として醜じ、志を以て自ら惛みて、吏に告げて曰く、「微かに瓜を搔くこと、他の罪無きを得んや」と。梁の陰かに譲るを説び、乃ち謝するに重幣を以てし、交わりを梁王に請う。楚王時に則ち梁王を称説して以て信と為す。故に梁・楚の由は宋就より始まる。
現代語訳
梁の大夫である宋就は、辺境の県の長官となり、楚と国境を接していました。梁の国境の見張り所と楚の見張り所ではどちらも瓜を植え、それぞれ数がありました。梁の側は力を尽くして何度も水をやり、瓜は美しく実りました。楚の側は怠けて水やりが少なく、瓜はまずいものでした。楚の長官は梁の瓜の出来のよさと自分の側の瓜の悪さに腹を立てました。楚の見張り所の者は、梁の瓜が自分たちより優れているのを憎んで、夜こっそり行って梁の瓜を引っかいたので、枯れてしまうものが出ました。梁の見張り所の者はこれに気づき、上官に願い出て、やはりこっそり行って楚の瓜を引っかいて仕返しをしようとしました。上官がこれを宋就に願い出ました。宋就は言いました。「いけない。何を言うのか。それは恨みを深めて禍を分け合うやり方だ。ああ、何と言いすぎることか。もし私が子に教えるなら、必ず『人を行かせるな』と教えるだろう。むしろこっそり、夜に楚の見張り所の瓜に上手に水をやり、知られないようにせよ」と。そこで梁の見張り所の者は、毎夜こっそり行って楚の瓜に水をやりました。楚の者は朝に瓜を見回ると、すでに水がやられており、瓜は日ごとに美しくなりました。不審に思って調べると、梁の見張り所の仕業だと分かりました。楚の長官はこれを聞いて大いに喜び、事の次第をすべて報告しました。楚王はこれを聞いて、はっと恥じ入り、心の中で自分を省みて、役人に言いました。「ひそかに瓜を引っかいたことは、他にも罪があるのではないか」と。楚王は梁がひそかに譲ったことを喜び、重い贈り物で詫びて、梁王に親交を求めました。楚王はしばしば梁王を称えて信頼を寄せました。梁と楚の友好は、宋就から始まったのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・虚実篇孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚く、後に戦地に処して戦いに趨く者は労す。
-
『春秋左氏伝』昭公二十一年 先んずれば人の心を奪う冬、十月、華登吳の師を以って華氏を救ふ。齊の烏枝鳴宋を戍る。廚人濮曰く、「軍志に之れ有り、『人に先んずれば人の心を奪ふ有り、人に後るれば其の衰へを待つ有り』と。盍ぞ其の勞して且つ未だ定まらざるに及びて、諸を伐たざる。若し入りて固くせば、則ち華氏衆からん。悔ゆとも及ぶ無からん」と。之に從ふ。丙寅、齊の師・宋の師、吳の師を鴻口に敗り、其の二帥、公子苦雂・偃州員を獲たり。華登、其の餘を帥ゐて以って宋の師を敗る。公出でんと欲す。廚人濮曰く、「吾は小人なり、死を藉(か)す可くして亡を送る能はず。君請ふ之を待て」と。乃ち徇へて曰く、「徽を楊ぐる者は、公の徒なり」と。衆之に從ふ。公楊門より之を見、下りて之を巡りて曰く、「國亡び君死するは、二三子の恥なり。豈に專ら孤の罪ならんや」と。齊の烏枝鳴曰く、「少を用ゐるは齊しく死を致すに如くは莫く、齊しく死を致すは備へを去るに如くは莫し。彼は兵多し。
-
『春秋左氏伝』宣公十二年 人に先んずる趙嬰齊其の徒をして先づ舟を河に具へしむ、故に敗れて先づ濟る。潘黨既に魏錡を逐ふ。趙旃夜楚の軍に至り、軍門の外に席して、其の徒をして之に入らしむ。楚子乘廣三十乘を為り、分ちて左右と為す。右廣は、雞鳴にして駕し、日中にして說く。左則ち之を受け、日入にして說く。許偃右廣に御し、養由基右と為る。彭名左廣に御し、屈蕩右と為る。乙卯、王左廣に乘りて、以て趙旃を逐ふ。趙旃車を棄てて林に走る、屈蕩之に搏ちて、其の甲裳を得たり。晉人二子の楚の師を怒らせんことを懼るるや、軘車をして之を逆へしむ。潘黨其の塵を望み、騁せて告げしめて曰く、「晉の師至れり」と。楚人も亦た王の晉の軍に入らんことを懼るるや、遂に出でて陳す。孫叔曰く、「之を進めよ。寧ろ我人に薄るとも、人の我に薄ること無かれ。詩に云ふ、『元戎十乘、以て先づ行を啟く』と、人に先んずるなり。軍志に曰く、『人に先んずれば人の心を奪ふこと有り』と、之に薄るなり」と。遂に疾く師を進め、車馳せ卒奔りて、晉の軍に乘ず。桓子為す所を知らず、軍中に鼓して、曰く、「先づ濟る者には賞有り」と。
-
尉繚子・戰威善く兵を用うる者は、能く人を奪いて人に奪われず。
-
『呻吟語』内篇・修身・四つの與其暴戾の氣を抑ふるは、和平の心を養ふに若かず。既に溢るるの恩を裁つは、分外の望を絕つに若かず。後事の厚きを為すは、先事の簿きを施すに若かず。延年の藥を服するは、保身の方を守るに若かず。
-
尉繚子・戰權兵法に曰く、「千人にして権を成し、万人にして武を成す。権先づ人に加ふる者は、敵力交へず。武先づ人に加ふる者は、敵威接せず」と。故に兵は先を貴ぶ。此に勝てば、則ち彼に勝つ。此に勝たざれば、則ち彼に勝たず。凡そ我往けば則ち彼来たり、彼来たれば則ち我往き、相勝敗を為す、此れ戦の理の然るなり。夫れ精誠は神明に在り、戦権は道の極まる所に在り。有る者は之を無くし、無き者は之を有らしむ、安んぞ之を信ずる所あらん。先王の伝聞する所の者は、正に任じ詐を去り、其の慈順を存し、決して留刑無し。故に道を知る者は、必ず先づ止まるを知らざるの敗を図る、悪んぞ必ず往きて功有るに在らんや。軽く進みて戦を求むれば、敵復た止まるを図り、我往きて敵勝を制す。故に兵法に曰く、「求めて之に従ひ、見て之に加へ、主人敢へて当たらざるに之を陵げば、必ず其の権を喪ふ」と。凡そ奪はるる者は気無く、恐るる者は守るべからず、敗るる者は人無し、兵に道無ければなり。意往きて疑はざれば、則ち之に従ふ。敵を奪ひて前無ければ、則ち之に加ふ。明らかに視て高く居れば、則ち之を威す。兵の道極まれり。其の言謹み無ければ、偸みて失はしむ。其の陵犯節無ければ、破る。水のごとく潰し雷のごとく撃てば、三軍乱る。必ず其の危ふきを安んじ、其の患を去り、智を以て之を決す。之を高くするに廊廟の論を以てし、之を重くするに受命の論を以てし、之を鋭くするに踰垠の論を以てすれば、則ち敵国戦はずして服すべし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る