新書 / 諭誠
豫讓事中行之君,智伯滅中行氏,豫讓徙事智伯,及趙襄子破智伯,豫讓劑面而變容,吞炭而爲啞,乞其妻所而妻弗識,乃伏刺襄子,五起而弗中。襄子患之,食不甘味,一夕而五易臥,見不全身。人謂豫讓曰:「子不死中行而反事其讎,何無可耻之甚也?今必碎身靡軀以爲智伯,何其與前異也?」豫讓曰:「我事中行之君,與帷而衣之,與關而枕之。夫衆人畜我,我故衆人事之。及智伯分吾以服衣,饀吾以鼎實,舉袂而爲禮。是以國士遇我,我故國士報之。」故曰「士爲知己者死,女爲悅己者容」,非冗言也,故在主而已。
新字:予譲事中行之君,智伯滅中行氏,予譲徙事智伯,及趙襄子破智伯,予譲剤面而変容,呑炭而為唖,乞其妻所而妻弗識,乃伏刺襄子,五起而弗中。襄子患之,食不甘味,一夕而五易臥,見不全身。人謂予譲曰:「子不死中行而反事其讎,何無可耻之甚也?今必砕身靡躯以為智伯,何其与前異也?」予譲曰:「我事中行之君,与帷而衣之,与関而枕之。夫衆人畜我,我故衆人事之。及智伯分吾以服衣,饀吾以鼎実,舉袂而為礼。是以国士遇我,我故国士報之。」故曰「士為知己者死,女為悦己者容」,非冗言也,故在主而已。
書き下し
豫譲は中行の君に事え、智伯中行氏を滅ぼすや、豫譲は徙りて智伯に事う。趙襄子智伯を破るに及び、豫譲は面を剤みて容を変え、炭を呑みて唖と為り、其の妻の所に乞うも妻識らず、乃ち伏して襄子を刺さんとし、五たび起つも中らず。襄子之を患い、食らうに味を甘しとせず、一夕にして五たび臥を易え、見ゆるに身を全うせず。人豫譲に謂いて曰く、「子は中行に死せずして反って其の讎に事う。何ぞ恥ずる無きことの甚だしきや。今必ず身を砕き軀を靡して以て智伯の為にせんとす。何ぞ其れ前と異なるや」と。豫譲曰く、「我中行の君に事うるや、帷を与えて之に衣せ、関を与えて之に枕せしむ。夫の衆人我を畜う。我故に衆人として之に事う。智伯の吾を分かつに服衣を以てし、吾に饀するに鼎実を以てし、袂を挙げて礼を為すに及びては、是を以て国士として我を遇す。我故に国士として之に報ゆ」と。故に曰く、「士は己を知る者の為に死し、女は己を悦ぶ者の為に容る」と、冗言に非ざるなり。故は主に在るのみ。
現代語訳
豫譲は中行氏の君に仕えていましたが、智伯が中行氏を滅ぼすと、豫譲は智伯に仕え替えました。趙襄子が智伯を破ると、豫譲は顔を傷つけて姿を変え、炭を呑んで唖になり、妻のところで物乞いをしても妻が気づかないほどでした。そうして身を伏せて襄子を刺そうとし、五度起ちましたが当たりませんでした。襄子はこれを気にして、食べても味が分からず、一晩に五度寝床を変え、人に会うときも身を守りきれない様子でした。ある人が豫譲に言いました。「あなたは中行氏のために死なずに、かえってその仇に仕えました。なんと恥知らずなことでしょう。今は必ず身を砕いて智伯のために尽くそうとしています。どうして以前とこれほど違うのですか」と。豫譲は言いました。「私が中行氏の君に仕えたとき、帷を与えて着せ、閂を与えて枕にさせる程度でした。それは多くの人と同じように私を養ったということです。だから私も多くの人として彼に仕えました。智伯は、私に衣服を分け、ごちそうを分け、袖を上げて礼を尽くしてくれました。それは国士として私を遇したということです。だから私も国士として報いるのです」と。だから「士は自分を知る者のために死に、女は自分を愛する者のために装う」といいますが、これは無駄な言葉ではありません。要は主君次第なのです。
解説
この章句が説くこと
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『新書』階級豫譲 中行の君に事う。智伯 中行を伐ちて之を滅ぼし、豫譲 移りて智伯に事う。趙 智伯を滅ぼすに及び、豫譲 面に釁り容を変え、炭を吸いて声を変え、必ず襄子に報いんとす。五たび起こして中らず。襄子は一夕にして五たび臥を易う。人 豫譲に問う。譲 曰く、「中行は衆人もて我を畜う。我 故に衆人もて之に事う。智伯は国士もて我を遇す。故に之の為に国士として用いらる」と。故に此の一豫譲や、君に反き讎に事え、行い狗彘の若し。已にして節を折りて忠を致し、行い烈士に出づるは、人主 然らしむるなり。故に人主 其の大臣を遇すること犬馬を遇するが如くすれば、彼は将に犬馬の自如たらんとす。官徒を遇するが如くすれば、彼は将に官徒の自為たらんとす。頑鈍にして恥無く、奊苟にして節無く、廉恥 立たず、且つ自ら好まざれば、則ち苟若にして可とし、利を見れば則ち逝き、便を見れば則ち奪う。主上に敗れ有らば、則ち困しめて之を推し、主上に患い有らば、則ち吾は苟くも免れんのみ、立ちて之を観るのみ。吾が身を便にする者有らば、則ち欺き売りて之を利す。人主 将に此に何をか便にせん。群下は至って衆く、主は至って少なし。財器・職業を托する所の者は、群下に率う。但だ恥無く、但だ苟くも安んずれば、則ち主 罷病す。
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説苑・復恩智伯趙襄子と晋陽の下に戦ひて死す、智伯の臣豫譲怒り、其の精気を以て襄主の心を動かす能ふを以て、乃ち身に漆して形を変じ、炭を吞みて声を更ふ、襄主将に出でんとするに、豫譲偽りて死人と為り、梁の下に処る、駟馬驚きて進まず、襄主心を動かし、使者をして梁下を視しめ豫譲を得たり、襄主其の義を重んじて殺さざるなり。又盗み、罪に抵る為り、刑を被るの人赭衣を為し、繕宮に入る、襄主心を動かし、則ち曰く必ず豫譲ならん、と。襄主執へて之に問ひて曰く、「子始め中行君に事へ、智伯中行君を殺すも、子死する能はず、還りて反りて之に事ふ、今吾智伯を殺すや、乃ち身を漆して癘を為し、炭を吞みて啞を為し、寡人を殺さんと欲するは、何ぞ先行と異なるか」と。豫譲曰く、「中行君は衆人もて臣を畜ふ、臣も亦た衆人もて之に事ふ、智伯は朝士もて臣を待す、臣も亦た朝士として之が用を為す」と。襄子曰く、「義に非ずや、子は壮士なり」と。乃ち自ら車庫の中に置き、水漿口に入る者三たびするも日ならず以て豫譲を礼す、譲自ら知り、遂に自殺するなり。
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史記 刺客列伝豫譲は、晋人なり。故嘗て范氏及び中行氏に事へ、而して名を知らるる所無し。去りて智伯に事ふ。智伯甚だ之を尊寵す。智伯の趙襄子を伐つに及び、趙襄子、韓・魏と合謀して智伯を滅ぼす。智伯を滅ぼすの後、其の地を三分す。趙襄子最も智伯を怨み、其の頭に漆して以て飲器と為す。豫譲山中に遁逃して曰く、「嗟乎、士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ者の為に容づくる。今、智伯我を知る。我必ず為に讎を報じて死し、以て智伯に報ぜば、則ち吾が魂魄愧ぢざらん」と。乃ち名姓を変じて刑人と為り、宮に入りて廁を塗り、中に匕首を挟み、以て襄子を刺さんと欲す。襄子廁に如き、心動く。廁を塗る刑人を執へ問へば、則ち豫譲なり。内に刀兵を持ちて曰く、「智伯の為に仇を報ぜんと欲す」と。左右之を誅せんと欲す。襄子曰く、「彼は義人なり。吾謹んで之を避けんのみ。且つ智伯亡びて後無く、而して其の臣為に仇を報ぜんと欲す。此れ天下の賢人なり」と。卒に醳して之を去らしむ。
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史記 刺客列伝居ること頃之、豫譲又身に漆して厲と為り、炭を呑みて唖と為り、形状をして知るべからざらしめ、市に行乞す。其の妻識らざるなり。行きて其の友に見ゆ。其の友之を識りて曰く、「汝は豫譲に非ずや」と。曰く、「我是なり」と。其の友為に泣きて曰く、「子の才を以て、質を委ねて臣として襄子に事へば、襄子必ず子を近幸せん。子を近幸せば、乃ち欲する所を為すこと、顧って易からずや。何ぞ乃ち身を残し形を苦しめ、以て襄子に報ぜんことを求めんと欲する。亦難からずや」と。豫譲曰く、「既已に質を委ねて臣として人に事へ、而して之を殺さんことを求むるは、是れ二心を懐きて以て其の君に事ふるなり。且つ吾が為す所の者は極めて難きのみ。然れども此を為す所以の者は、将に以て天下後世の人臣と為りて二心を懐きて以て其の君に事ふる者を愧ぢしめんとするなり」と。既に去り、頃之、襄子当に出づべし。豫譲、当に過ぐべき所の橋の下に伏す。襄子橋に至り、馬驚く。襄子曰く、「此れ必ず是れ豫譲ならん」と。人をして之を問はしむれば、果して豫譲なり。是に於て襄子乃ち豫譲を数めて曰く、「子は嘗て范・中行氏に事へずや。智伯尽く之を滅ぼす。而るに子は為に讎を報ぜず、而して反って質を委ねて智伯に臣たり。智伯も亦已に死せり。而るに子独り何を以て之が為に讎を報ずることの深きや」と。豫譲曰く、「臣、范・中行氏に事ふ。范・中行氏は皆衆人もて我を遇す。我故に衆人もて之に報ず。智伯に至りては、国士もて我を遇す。我故に国士もて之に報ず」と。襄子喟然として嘆息して泣きて曰く、「嗟乎豫子。子の智伯の為にする、名既に成れり。而して寡人の子を赦す、亦已に足れり。子其れ自ら計を為せ。寡人復た子を釈さず」と。兵をして之を囲ましむ。豫譲曰く、「臣聞く、明主は人の美を掩はず、而して忠臣は名に死するの義有りと。前に君已に寛く臣を赦し、天下君の賢を称せざる莫し。今日の事、臣固より誅に伏せん。然れども願はくは君の衣を請ひて之を撃ち、以て讎を報ずるの意を致さば、則ち死すと雖も恨みず。敢て望む所に非ざるなり。敢て腹心を布く」と。是に於て襄子大いに之を義とし、乃ち使をして衣を持ちて豫譲に与へしむ。豫譲剣を抜きて三たび躍りて之を撃ち、
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戦国策・晉畢陽之孫豫讓晉の畢陽の孫豫讓、始め范中行氏に事えて說ばれず、去りて知伯に就き、知伯之を寵す。三晉知氏を分かつに及び、趙襄子最も知伯を怨み、其の頭を以て飲器と爲す。豫讓山中に遁逃して曰く、「嗟乎、士は己を知る者の爲に死し、女は己を悅ぶ者の爲に容づくる。吾其れ知氏の讎に報いん。」乃ち姓名を變じ、刑人と爲り、宮に入りて厠を塗り、以て襄子を刺さんと欲す。襄子厠に如くに、心動き、塗る者を執えて問えば、則ち豫讓なり。其の扞を刃にして曰く、「知伯の爲に讎に報いんと欲す。」左右之を殺さんと欲す。趙襄子曰く、「彼義士なり、吾謹みて之を避くるのみ。且つ知伯已に死し、後無く、而して其の臣至りて讎に報ゆ、此れ天下の賢人なり。」卒に之を釋つ。豫讓又身に漆して厲と爲し、鬚を滅し眉を去り、自ら刑して以て其の容を變じ、乞人と爲りて往きて乞う、其の妻識らずして曰く、「狀貌吾が夫に似ず、其の音何ぞ吾が夫に類すること甚だしきや。」と。又炭を吞みて啞と爲り、其の音を變ず。其の友之に謂いて曰く、「子の道甚だ難くして功無し、子志有りと謂わば則ち然り、子智なりと謂わば則ち否らん。子の才を以て、善く襄子に事えば、襄子必ず子を近幸せん。子の近きを得て行いて欲する所をなさば、此れ甚だ易くして功必ず成らん。」豫讓乃ち笑いて之に應えて曰く、「是れ先知の爲に後知に報い、故君の爲に新君を賊うなり、大いに君臣の義を亂す者此れより無し。凡そ吾の此れを爲す所以の者は、以て君臣の義を明らかにす、易きに從うに非ざるなり。且つ夫れ質を委ねて人に事え、而して之を弒せんことを求む、是れ二心を懷いて以て君に事うるなり。吾が爲す所の難きも、亦將に以て天下後世人臣の二心を懷く者を愧じしめんとするなり。」居ること頃くして、襄子當に出づべし、豫讓當に過ぐべき橋の下に伏す。襄子橋に至りて馬驚く。襄子曰く、「此れ必ず豫讓なり。」人をして之を問わしむれば、果たして豫讓なり。是に於て趙襄子面のあたり豫讓を數めて曰く、「子嘗て范中行氏に事えざりしか。知伯范中行氏を滅ぼすに、子讎に報いずして、反りて質を委ねて知伯に事う。知伯已に死せり、子獨り何爲れぞ讎に報ゆること之れ深きや。」豫讓曰く、「臣范中行氏に事うるに、范中行氏眾人を以て臣を遇う、臣故に眾人を以て之に報ゆ。知伯國士を以て臣を遇う、臣故に國士を以て之に報ゆ。」襄子乃ち喟然として歎泣して曰く、「嗟乎、豫子よ。豫子の知伯の爲にするや、名既に成れり、寡人子を舍すも、亦以て足れり。子自ら計を爲せ、寡人子を舍さず。」兵をして之を環ましむ。豫讓曰く、「臣聞く、明主は人の義を掩わず、忠臣は死を愛しまずして以て名を成すと。君前已に寬く臣を舍し、天下君の賢を稱えざる莫し。今日の事、臣故より誅に伏す、然れども願わくは君の衣を請いて之を撃たん、死すと雖も恨みず。望む所に非ざるも、敢えて腹心を布く。」是に於て襄子之を義とし、乃ち使者をして衣を持して豫讓に與えしむ。豫讓劍を拔きて三たび躍り、天を呼びて之を撃ちて曰く、「而して以て知伯に報ゆ可し。」遂に劍に伏して死す。死するの日、趙國の士之を聞き、皆爲に涕泣す。
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呂氏春秋・恃君④豫讓、趙襄子を殺さんと欲し、鬚を滅し眉を去り、自ら刑して以て其の容を變じ、乞人と為りて往き、其の妻の所に乞う。其の妻曰く、「狀貌は吾が夫に似たる者無きも、其の音の何ぞ吾が夫に似たるの甚だしき。」又炭を吞みて以て其の音を變ず。其の友之に謂いて曰く、「子の道とする所は甚だ難くして功無し。子を志有りと謂うは則ち然り、子を智と謂うは則ち然らず。子の材を以てして、襄子に事うるを索むれば、襄子必ず子を近づけん。子、近づくを得て欲する所を行わば、此れ甚だ易くして功必ず成らん。」豫讓笑いて之に應えて曰く、「是れ先知のために後知に報ゆるなり。故君の為に新君を賊うなり。大いに君臣の義を亂す者なり、此れ無し。吾が之を為す所為を失う。凡そ吾の此を為す所為の者は、君臣の義を明らかにする所以なり。易きに從うに非ざるなり。」
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