呂氏春秋 / 恃君④
豫讓欲殺趙襄子,滅鬚去眉,自刑以變其容,為乞人而往乞於其妻之所。其妻曰:「狀貌無似吾夫者,其音何類吾夫之甚也?」又吞炭以變其音。其友謂之曰:「子之所道甚難而無功。謂子有志則然矣,謂子智則不然。以子之材而索事襄子,襄子必近子,子得近而行所欲,此甚易而功必成。」豫讓笑而應之曰:「是先知報後知也,為故君賊新君矣,大亂君臣之義者無此,失吾所為為之矣。凡吾所為為此者,所以明君臣之義也,非從易也。」
新字:予譲欲殺趙襄子,滅鬚去眉,自刑以変其容,為乞人而往乞於其妻之所。其妻曰:「状貌無似吾夫者,其音何類吾夫之甚也?」又吞炭以変其音。其友謂之曰:「子之所道甚難而無功。謂子有志則然矣,謂子智則不然。以子之材而索事襄子,襄子必近子,子得近而行所欲,此甚易而功必成。」予譲笑而応之曰:「是先知報後知也,為故君賊新君矣,大乱君臣之義者無此,失吾所為為之矣。凡吾所為為此者,所以明君臣之義也,非従易也。」
書き下し
豫讓、趙襄子を殺さんと欲し、鬚を滅し眉を去り、自ら刑して以て其の容を變じ、乞人と為りて往き、其の妻の所に乞う。其の妻曰く、「狀貌は吾が夫に似たる者無きも、其の音の何ぞ吾が夫に似たるの甚だしき。」又炭を吞みて以て其の音を變ず。其の友之に謂いて曰く、「子の道とする所は甚だ難くして功無し。子を志有りと謂うは則ち然り、子を智と謂うは則ち然らず。子の材を以てして、襄子に事うるを索むれば、襄子必ず子を近づけん。子、近づくを得て欲する所を行わば、此れ甚だ易くして功必ず成らん。」豫讓笑いて之に應えて曰く、「是れ先知のために後知に報ゆるなり。故君の為に新君を賊うなり。大いに君臣の義を亂す者なり、此れ無し。吾が之を為す所為を失う。凡そ吾の此を為す所為の者は、君臣の義を明らかにする所以なり。易きに從うに非ざるなり。」
現代語訳
豫讓は趙襄子を殺そうとして、ひげを剃り眉を除き、自ら身を傷つけて容貌を変え、乞食となって襄子の妻の所に物乞いに行った。その妻は「姿かたちは私の夫に似た者はいないのに、その声はなんと私の夫にそっくりなことか」と言った。そこで豫讓は炭を呑んで声も変えた。その友が言うには、「君のやり方はひどく困難で効果がない。君に志があるとは言えるが、知恵があるとは言えない。君の才能で襄子に仕えることを求めれば、襄子は必ず君を近づけるだろう。近づいて望みを行えば、たやすく必ず成功する」。豫讓は笑って答えた、「それは以前の主君のために後の主君に報いさせようとするもので、旧主のために新主を害することだ。君臣の義を大いに乱すもので、そんなことはしない。私がこれを行う理由を失ってしまう。そもそも私がこれをするのは、君臣の義を明らかにするためであり、たやすい道に従うためではない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 刺客列伝居ること頃之、豫讓又身に漆して厲と為し、炭を吞みて啞と為し、形状をして知る可からざらしめ、市に行乞す。其の友之を識りて曰く、「子の才を以て、質を委ねて襄子に臣事せば、襄子必ず子を近幸せん、乃ち欲する所を為さば、顧って易からずや。何ぞ乃ち身を残ひ形を苦しめ、以て襄子に報いんことを求むるや、亦た難からずや」と。豫讓曰く、「既に已に質を委ねて人に臣事して、而して之を殺さんことを求むるは、是れ二心を懐きて以て其の君に事ふるなり。且つ吾が為す所の者極めて難きのみ。然れども此を為す所以の者は、将に以て天下後世の人臣為りて二心を懐きて以て其の君に事ふる者を愧ぢしめんとすればなり」と。後襄子出づ。豫讓橋下に伏す。襄子橋に至り、馬驚く。襄子之を数へて曰く、「子独り何を以て之が報讎を為すの深きや」と。豫讓曰く、「臣范・中行氏に事ふるに、范・中行氏皆衆人として我を遇す、我故に衆人として之に報ゆ。智伯に至りては、国士として我を遇す、我故に国士として之に報ゆ」と。襄子喟然として嘆息し、兵をして之を囲ましむ。豫讓君の衣を請ひて之を撃ち、以て報讎の意を致し、剣を抜きて三たび躍りて之を撃ち、遂に剣に伏して自殺す。
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戦国策・晉畢陽之孫豫讓晉の畢陽の孫豫讓、始め范中行氏に事えて說ばれず、去りて知伯に就き、知伯之を寵す。三晉知氏を分かつに及び、趙襄子最も知伯を怨み、其の頭を以て飲器と爲す。豫讓山中に遁逃して曰く、「嗟乎、士は己を知る者の爲に死し、女は己を悅ぶ者の爲に容づくる。吾其れ知氏の讎に報いん。」乃ち姓名を變じ、刑人と爲り、宮に入りて厠を塗り、以て襄子を刺さんと欲す。襄子厠に如くに、心動き、塗る者を執えて問えば、則ち豫讓なり。其の扞を刃にして曰く、「知伯の爲に讎に報いんと欲す。」左右之を殺さんと欲す。趙襄子曰く、「彼義士なり、吾謹みて之を避くるのみ。且つ知伯已に死し、後無く、而して其の臣至りて讎に報ゆ、此れ天下の賢人なり。」卒に之を釋つ。豫讓又身に漆して厲と爲し、鬚を滅し眉を去り、自ら刑して以て其の容を變じ、乞人と爲りて往きて乞う、其の妻識らずして曰く、「狀貌吾が夫に似ず、其の音何ぞ吾が夫に類すること甚だしきや。」と。又炭を吞みて啞と爲り、其の音を變ず。其の友之に謂いて曰く、「子の道甚だ難くして功無し、子志有りと謂わば則ち然り、子智なりと謂わば則ち否らん。子の才を以て、善く襄子に事えば、襄子必ず子を近幸せん。子の近きを得て行いて欲する所をなさば、此れ甚だ易くして功必ず成らん。」豫讓乃ち笑いて之に應えて曰く、「是れ先知の爲に後知に報い、故君の爲に新君を賊うなり、大いに君臣の義を亂す者此れより無し。凡そ吾の此れを爲す所以の者は、以て君臣の義を明らかにす、易きに從うに非ざるなり。且つ夫れ質を委ねて人に事え、而して之を弒せんことを求む、是れ二心を懷いて以て君に事うるなり。吾が爲す所の難きも、亦將に以て天下後世人臣の二心を懷く者を愧じしめんとするなり。」居ること頃くして、襄子當に出づべし、豫讓當に過ぐべき橋の下に伏す。襄子橋に至りて馬驚く。襄子曰く、「此れ必ず豫讓なり。」人をして之を問わしむれば、果たして豫讓なり。是に於て趙襄子面のあたり豫讓を數めて曰く、「子嘗て范中行氏に事えざりしか。知伯范中行氏を滅ぼすに、子讎に報いずして、反りて質を委ねて知伯に事う。知伯已に死せり、子獨り何爲れぞ讎に報ゆること之れ深きや。」豫讓曰く、「臣范中行氏に事うるに、范中行氏眾人を以て臣を遇う、臣故に眾人を以て之に報ゆ。知伯國士を以て臣を遇う、臣故に國士を以て之に報ゆ。」襄子乃ち喟然として歎泣して曰く、「嗟乎、豫子よ。豫子の知伯の爲にするや、名既に成れり、寡人子を舍すも、亦以て足れり。子自ら計を爲せ、寡人子を舍さず。」兵をして之を環ましむ。豫讓曰く、「臣聞く、明主は人の義を掩わず、忠臣は死を愛しまずして以て名を成すと。君前已に寬く臣を舍し、天下君の賢を稱えざる莫し。今日の事、臣故より誅に伏す、然れども願わくは君の衣を請いて之を撃たん、死すと雖も恨みず。望む所に非ざるも、敢えて腹心を布く。」是に於て襄子之を義とし、乃ち使者をして衣を持して豫讓に與えしむ。豫讓劍を拔きて三たび躍り、天を呼びて之を撃ちて曰く、「而して以て知伯に報ゆ可し。」遂に劍に伏して死す。死するの日、趙國の士之を聞き、皆爲に涕泣す。
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史記 刺客列伝豫讓は、晉人なり、故と嘗て范氏及び中行氏に事ふるも、名を知らるる所無し。去りて智伯に事ふ。智伯甚だ之を尊寵す。趙襄子智伯を滅ぼし、其の頭に漆して以て飲器と為すに及び、豫讓山中に遁逃して曰く、「嗟乎、士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ者の為に容づくる。今智伯我を知る、我必ず為に讎を報じて死し、以て智伯に報いば、則ち吾が魂魄愧ぢざらん」と。乃ち名姓を変じて刑人と為り、宮に入りて廁を涂り、中に匕首を挟み、以て襄子を刺さんと欲す。襄子廁に如きて心動き、執へ問へば、則ち豫讓なり。左右之を誅せんと欲す。襄子曰く、「彼は義人なり、吾謹みて之を避くるのみ。且つ智伯亡びて後無く、其の臣為に讎を報いんと欲するは、此れ天下の賢人なり」と。卒に醳して之を去らしむ。
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説苑・復恩智伯趙襄子と晋陽の下に戦ひて死す、智伯の臣豫譲怒り、其の精気を以て襄主の心を動かす能ふを以て、乃ち身に漆して形を変じ、炭を吞みて声を更ふ、襄主将に出でんとするに、豫譲偽りて死人と為り、梁の下に処る、駟馬驚きて進まず、襄主心を動かし、使者をして梁下を視しめ豫譲を得たり、襄主其の義を重んじて殺さざるなり。又盗み、罪に抵る為り、刑を被るの人赭衣を為し、繕宮に入る、襄主心を動かし、則ち曰く必ず豫譲ならん、と。襄主執へて之に問ひて曰く、「子始め中行君に事へ、智伯中行君を殺すも、子死する能はず、還りて反りて之に事ふ、今吾智伯を殺すや、乃ち身を漆して癘を為し、炭を吞みて啞を為し、寡人を殺さんと欲するは、何ぞ先行と異なるか」と。豫譲曰く、「中行君は衆人もて臣を畜ふ、臣も亦た衆人もて之に事ふ、智伯は朝士もて臣を待す、臣も亦た朝士として之が用を為す」と。襄子曰く、「義に非ずや、子は壮士なり」と。乃ち自ら車庫の中に置き、水漿口に入る者三たびするも日ならず以て豫譲を礼す、譲自ら知り、遂に自殺するなり。
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呂氏春秋・不侵③豫讓の友、豫讓に謂いて曰く、「子の行い、何ぞ其れ惑えるや。子嘗て范氏・中行氏に事え、諸侯盡く之を滅ぼせども、子為に報いず。智氏に至りて、子必ず之が為に報ゆるは、何の故ぞ。」豫讓曰く、「我將に子に其の故を告げんとす。范氏・中行氏は、我寒ゆれども、我に衣せず、我饑ゆれども、我に食らわせずして、時に我をして千人と其の養いを共にせしむ。是れ衆人もて我を畜うなり。夫れ衆人もて我を畜う者には、我も亦た衆人もて之に事う。智氏に至りては、則ち然らず。出づれば則ち我を乘するに車を以てし、入れば則ち我を足らしむるに養いを以てす。衆人廣く朝すれども、必ず禮を吾が所に加う。是れ國士もて我を畜うなり。夫れ國士もて我を畜う者には、我も亦た國士もて之に事う。」豫讓は國士なり。而も猶ほ人の己に於けるを以て念と為す。又況んや中人に於いてをや。
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呂氏春秋・序意②趙襄子、囿中に游び、梁に至る。馬卻きて肯て進まず。青荓、參乘為り。襄子曰く、「進んで梁下を視よ。人有るに類たり。」青荓進みて梁下を視る。豫讓卻ぎて寢ね、佯りて死人と為り、青荓を叱して曰く、「去れ。長者、吾且に事有らんとす。」青荓曰く、「少にして子と友たり。子且に大事を為さんとす、而るに我之を言えば、是れ相與に友の道を失うなり。子將に吾が君を賊せんとす、而るに我之を言わずんば、是れ人臣為るの道を失うなり。我が如き者は惟だ死のみ可なりと為す。」乃ち退きて自殺す。青荓、死を樂しむに非ざるなり。人臣の節を失うことを重んじ、交友の道を廢することを惡めばなり。青荓と豫讓とは、之を友なりと謂う可きなり。