新書 / 諭誠
昔楚昭王與吳人戰,楚軍敗,昭王走,屨決背而行失之,行三十步,復旋取屨。及至於隋,左右問曰:「王何曾惜一踦屨乎?」昭王曰:「楚國雖貧,豈愛一踦哉?思與偕反也。」自是之後,楚國之俗無相棄者。文王晝臥,夢人登城而呼己曰:「我東北陬之枯骨也,速以王禮葬我。」文王曰:「諾!」覺,召吏視之,信有焉。文王曰:「速以人君禮葬之。」吏曰: 「此無主矣,請以五大夫。」文王曰:「吾夢中己許之矣,奈何其倍之也!」士民聞之曰:「我君不以夢之故而倍枯骨,況於生人乎?」於是,下信其上。
新字:昔楚昭王与呉人戦,楚軍敗,昭王走,屨決背而行失之,行三十歩,復旋取屨。及至於隋,左右問曰:「王何曽惜一踦屨乎?」昭王曰:「楚国雖貧,豈愛一踦哉?思与偕反也。」自是之後,楚国之俗無相棄者。文王昼臥,夢人登城而呼己曰:「我東北陬之枯骨也,速以王礼葬我。」文王曰:「諾!」覚,召吏視之,信有焉。文王曰:「速以人君礼葬之。」吏曰: 「此無主矣,請以五大夫。」文王曰:「吾夢中己許之矣,奈何其倍之也!」士民聞之曰:「我君不以夢之故而倍枯骨,況於生人乎?」於是,下信其上。
書き下し
昔楚の昭王呉人と戦い、楚軍敗れ、昭王走りて、屨背に決けて行きて之を失う。行くこと三十歩、復た旋りて屨を取る。隋に至るに及び、左右問いて曰く、「王何ぞ曾て一踦の屨を惜しむや」と。昭王曰く、「楚国貧しと雖も、豈に一踦を愛しまんや。偕に反らんことを思うなり」と。是より後、楚国の俗は相棄つる者無し。文王昼臥し、夢に人城に登りて己を呼びて曰く、「我は東北の陬の枯骨なり。速やかに王礼を以て我を葬れ」と。文王曰く、「諾」と。覚めて、吏を召して之を視しむるに、信に有り。文王曰く、「速やかに人君の礼を以て之を葬れ」と。吏曰く、「此れ主無し、請う五大夫を以てせん」と。文王曰く、「吾夢中に己に之を許せり。奈何ぞ其れ之に倍かんや」と。士民之を聞きて曰く、「我が君は夢の故を以て枯骨に倍かず、況んや生人に於いてをや」と。是に於いて、下は其の上を信ず。
現代語訳
昔、楚の昭王が呉の人々と戦い、楚軍は敗れて、昭王は逃げましたが、靴が背中のほうで脱げ、そのまま失ってしまいました。三十歩ほど行ってから、また戻って靴を拾いました。隋に着いたとき、側近が尋ねました。「王はなぜ片方の靴を惜しまれたのですか」と。昭王は言いました。「楚の国は貧しいとはいえ、どうして片方の靴を惜しもうか。共に帰ろうと思ったのだ」と。このときから、楚の国には仲間を見捨てる風習がなくなりました。文王が昼寝をしていたとき、夢に人が城壁に登って自分を呼んで言いました。「私は東北の隅の枯骨である。早く王の礼で私を葬ってほしい」と。文王は「よろしい」と答えました。目を覚まして、役人を呼んで調べさせると、確かにその骨がありました。文王は言いました。「すぐに君主の礼で葬れ」と。役人は言いました。「この者には主がいませんので、五大夫の礼にしたいと思います」と。文王は言いました。「私は夢の中ですでに許した。どうしてそれに背けようか」と。士民はこれを聞いて言いました。「わが君は、夢のためでも枯骨に背かれない。まして生きている人に対してはなおさらだ」と。こうして、下の者は上を信じました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之五・信信は、天道にていはば誠なり。真実無妄を誠と云ふ。天道に春夏秋冬の四時あり。其内に土用あり。四時に元亨利貞の四徳あり。四徳の実にして、万世までたがはざるは誠なり。人に仁義礼智ありて、其内に信ある亦かくの如し。元亨利貞、四時のめぐりの序ちがはざるは、即誠なり。天道の、春生じ、夏長じ、秋をさめ、冬かくすこと、年々同じく、日月のめぐり、四時の温熱涼寒、人物のかたちも性も、万古より今に至りてかはらず。桃花は年々紅に、李花は年々白きも、皆是天道の誠たがはざるなり。天道にありては誠と云ひ、人に生れつきては信と云ふ。天にあり、人にある、理は一なり。
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『五常訓』巻之一・総論又孟子はじめて仁義礼智の四徳をつらねて説き給へり。是又仁義の外、礼智あるにあらず。礼は仁よりいで、智は義の内にあり。朱子の、礼は仁の著るるなり。智は義の蔵るるなりといへるが如し。仁義をわかちて四徳を説くは、陰陽をわかてば、春夏秋冬の四時となるに本づけり。前漢の董仲舒曰く。仁義礼智信五常の道は、王者の当に修飾すべき所なりといへり。是四徳に信を加へて、五常と説ける始なり。四徳の外、別に信あるにあらず。四徳のまことありて偽無きは、即信なり。信なければ仁義礼智にあらず。たとへば四時の内に土用ありて、木火金水の気行はるるが如し。木火金水も、土なければ生ぜず。是董仲舒のはじめて説き出せるにもあらず。上代よりすでに此説あればなり。
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『呻吟語』内篇・問學・第一に信を體するを要す我は我を信じ得過ぐるも、人は未だ必ずしも我を信じ得過ぎず。故に君子は嫌を避く。若し正大光明の心を以てすること青天白日の如く、又た至誠惻怛の意を以てすること火の熱く水の寒きが如くんば、何の嫌か避く可けん。故に君子の學問は第一に信を體するを要す。只だ信じ了はらば、天下に些子の事無し。
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『五常訓』巻之五・信一子路無宿諾とは、一たび行はんと心にうけごひたる事を、延引せず、すみやかに行はれしとなり。是信ある所なり。一信は心に誠あるなり。心に誠あれば、言行の上にあらはる。言は行をかへりみていひ、行は言をかへりみて行ふ。是言行共に信あるなり。もし身に行はざる事を口にいひ、口に言ふ事を身に行はざるは、是言行共に信なきなり。言ふ事は易く、行ふ事はかたし。故に言をばひかへ、行をば過すべし。是信を行ふ道なり。
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『十善法語』巻第十一・不邪見戒之中総シテ心ノアル処ハ形ノアル処。形ノ生スル処ニ其心生スルシヤ。此女人自ノ眉目鼻口ノソナヘニ自執着セシ故。一息截断ノ時。其着セル心還テ己カ面上ニ生シ。虫ト為テ暫モ離レ得ヌシヤ。摩訶羅ト云ハ梵語デ。此ニハ老ナリ愚ナリト翻スル。愚人ノ年ヲ重ネタル者ノ名シヤ。看ヨ。正法ハ智愚ヲ択ハヌ。唯信アル処ニ此縁起実相ハ顕ルルシヤ。今日ノ者モ純一ニ心ヲ寄セハ。仮令摩訶羅ナリトモ。甚深ノ法ニ通達スヘキシヤ。
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『韓非子』外儲說左上第三十二賞罰信ならざれば則ち禁令行はれず、説は文公の原を攻むると箕鄭の餓を救ふとに在り。是を以て呉起故人を須ちて食し、文侯虞人に会して猟す。故に明主信を表すこと、曾子の彘を殺すが如きなり。患は厲王の警鼓を撃つと李悝の両和を謾くとに在り。一。宓子賤単父を治む。有若之を見て曰く、「子何ぞ臞せたるや。」宓子曰く、「君賤の不肖を知らず、単父を治めしむ、官事急にして、心之を憂ふ、故に臞せたり。」有若曰く、「昔者舜五絃を鼓し、南風の詩を歌ひて天下治まる。今単父の細を以て、之を治めて憂ふ、天下を治むるは将に奈何せんとするや。故に術有りて之を御すれば、身廟堂の上に坐し、処女子の色有るも、治に害無し。術無くして之を御すれば、身瘁臞すと雖も、猶ほ未だ益有らず。楚王田鳩に謂ひて曰く、「墨子は、顕学なり。其の身体は則ち可なり、其の言多くして弁ならざるは、何ぞや。」曰く、「昔秦伯其の女を晋の公子に嫁がしむ、晋をして之が為に装を飾らしめ、文衣の媵七十人を従へしむ。晋に至る、晋人其の妾を愛して公女を賤しむ。此れ善く妾を嫁がしむと謂ふべくして、未だ善く女を嫁がしむと謂ふべからざるなり。
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