新書 / 諭誠
湯見設網者四面張,祝曰:「自天下者,自地出者,自四方至者,皆羅我網。」湯曰:「嘻!盡之矣。非桀其孰能如此?」令去三面,舍一面,而教之祝曰:「蛛蝥作網,今之人脩緒,欲左者左,欲右者右,欲高者高,欲下者下。吾請受其犯命者。」士民聞之,曰:「湯之德及於禽獸矣,而況我乎!」於是下親其上。楚昭王當房而立,愀然有寒色,曰:「寡人朝饑饉時,酒二𨠚,重裘而立,猶憯然有寒氣,將奈我元元之百姓何?」是日也,出府之裘以衣寒者,出倉之粟以賑饑者。居二年,闔閭襲郢,昭王奔隋。諸當房之賜者,請還,致死之寇。闔閭一夕而十徙臥,不能賴楚,曳師而去。昭王乃復。當房之德也。
新字:湯見設網者四面張,祝曰:「自天下者,自地出者,自四方至者,皆羅我網。」湯曰:「嘻!尽之矣。非桀其孰能如此?」令去三面,舎一面,而教之祝曰:「蛛蝥作網,今之人脩緒,欲左者左,欲右者右,欲高者高,欲下者下。吾請受其犯命者。」士民聞之,曰:「湯之徳及於禽獣矣,而況我乎!」於是下親其上。楚昭王当房而立,愀然有寒色,曰:「寡人朝饑饉時,酒二𨠚,重裘而立,猶憯然有寒気,将奈我元元之百姓何?」是日也,出府之裘以衣寒者,出倉之粟以賑饑者。居二年,闔閭襲郢,昭王奔隋。諸当房之賜者,請還,致死之寇。闔閭一夕而十徙臥,不能頼楚,曳師而去。昭王乃復。当房之徳也。
書き下し
湯網を設くる者の四面に張るを見る。祝りて曰く、「天より下る者、地より出づる者、四方より至る者、皆我が網に羅れ」と。湯曰く、「嘻、尽くせり。桀に非ざれば其れ孰か能く此くの如くならん」と。三面を去らしめ、一面を舎き、之に教えて祝らしめて曰く、「蛛蝥網を作る、今の人緒を脩む。左せんと欲する者は左し、右せんと欲する者は右し、高からんと欲する者は高く、下らんと欲する者は下れ。吾は其の命を犯す者を受けんことを請う」と。士民之を聞きて曰く、「湯の徳禽獣に及べり、而るを況んや我をや」と。是に於いて下は其の上に親しむ。楚の昭王房に当たりて立ち、愀然として寒き色有り、曰く、「寡人朝に饑饉の時、酒二𨠚、重裘にして立つも、猶お憯然として寒気有り。将に我が元元の百姓を奈何せんとす」と。是の日や、府の裘を出して以て寒き者に衣せ、倉の粟を出して以て饑うる者を賑わす。居ること二年、闔閭郢を襲い、昭王隋に奔る。諸々の房に当たるの賜を得し者、還らんことを請い、死を致すの寇たり。闔閭一夕にして十たび臥を徙し、楚に賴ること能わず、師を曳きて去る。昭王乃ち復す。房に当たるの徳なり。
現代語訳
湯王は、網を張る者が四方すべてに網を広げているのを見ました。その者は祈って言っていました。「天から降るもの、地から出るもの、四方から来るもの、みなわが網にかかれ」と。湯王は言いました。「ああ、すべて取り尽くしてしまう。桀でなければ、誰がこのようなことをするだろう」と。そこで三面の網を取り除かせ、一面だけ残させて、祈り方を教えました。「蜘蛛が網を作る。今の人はそのやり方を整える。左へ行きたい者は左へ、右へ行きたい者は右へ、高く行きたい者は高く、低く行きたい者は低く行け。私は、その命令を犯す者だけを受け取りたい」と。士民はこれを聞いて言いました。「湯王の徳は鳥獣にまで及んでいる。まして私たち人間はなおさらだ」と。こうして下の者は上に親しみました。楚の昭王は、部屋に立って悲しげに寒そうな顔をして言いました。「私は朝、飢饉の時に、酒を二杯飲み、厚い皮衣を着て立っていても、なお身にしみる寒さがある。私の民たちはどうしているのだろう」と。その日、蔵の皮衣を出して寒さに震える者に着せ、倉の穀物を出して飢える者を救いました。二年が過ぎ、闔閭が郢を襲い、昭王は隋へ逃げました。かつて部屋に立つ施しを受けた者たちは、都に戻ることを願い、死を覚悟して敵に当たりました。闔閭は一晩に十度も寝所を移して落ち着かず、楚を頼みにすることができず、軍を引いて去りました。昭王はやがて国に復しました。部屋に立って民を思った徳のおかげです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二造化の人に於けるや、富貴爵禄を靳しまずして、独り徳を靳しむ。此れ造化靳惜に心有るに非ず、自然にして然り。故に富貴なる者は、古今常に多く、賢哲なる者は、古今常に少なし。蓋し徳は是れ天地神秀の気、純粋精美の理にして、鍾会して人身に附与する者なり。夫れ陰陽の気は、霄壌の間に充塞すと雖も、然れども清明粋美なる者は少なし。故に人の生まるる、其の清粋の気を禀受する者甚だ寡し。亦た宜ならずや。此れ君子の常に寡く、小人の常に衆き所以なり。天の命を降すや、人をして徳有りて道を知らしむる者は、是れ天の独り君子を寵異する所にして、富貴爵禄の其の生を厚くする者に百倍す。此れ君子の以て至楽と為して、富貴爵禄を願はざる所以なり。然らば則ち学者は当に貧賤不遇を憂へずして、特に学の講ぜざる、徳の修まらざるを憂ふべきのみ。
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呂氏春秋・精通③德なる者は、萬民の宰なり。月なる者は、群陰の本なり。月望なれば則ち蚌蛤實ち、群陰盈つ。月晦なれば則ち蚌蛤虚しく、群陰虧く。夫れ月、天に形われて、群陰、淵に化す。聖人、德を己に行いて、四方咸仁に飭し。
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『翁問答』上卷之末体充曰、儒門の心学をきはめずして、軍法に達し軍法をたてゝ、その名たかき大将、倭漢ともに古来多く候へば、心学のみがきなくても、軍法のまなびはなり申べく候、しかるにまづ儒門の心学をきはめてのちに軍法をまなびたるがよしと仰せられ候は不審に存候。師の曰、よきうたがひにて候、大将の才を逞じく生れたる人は、心学のみがきなくても、軍法に達し軍功をば立るといへども、その徳なきゆへに才のたくまじきに迷ひ、必ず人を殺す事を好み、不義無道のふるまひあれば、万民その毒にあたりなげき悲むによつて、終には天罰をかうぶり、其身もほろび国も必ず絶滅するものなり、その証拠はもろこしにても我朝にても、其徳なくて才のみ逞しき大将に、其身難なく子孫繁昌したる人まれなり倭漢の史書にて考へ見るべし、
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『山鹿語類』士道・勵忠孝出て君に仕ふるに徳を不以、入て父兄に仕へて其孝弟に誠あらざらんには、養気存心の用更にあらはれず。抑徳と云は、内に養ひ存する処を、外に用ひて其誠を尽して無不究理、是をなづけて徳とす。養気存心すと云とも、君父にをいて其誠たらずんば、何ぞ其下に及ばん。然れば所養所存、唯空談にして実なし。凡そ聖人の道は普く天下に施し、大小精粗ともに其用足りて、四海其化に及ぶにをいて、初めて道々たり。わづかに一己にてらし一身を清くせんことは、碌々たる小人、言必信じ行必果すの輩也。されば君父につかへ、其可致のつとめ聊不怠して、しかも其理にかなひ、四海安寧に、家内無事にして、常に変に更に滞る処なきときは、天地の覆て無外、のせて無棄にことならず。是大徳に非ずや。故に徳を練る事は、先づ忠孝を励まして其誠を尽し、君父に事る間、天性にしたがひ守て、更に不違を以て本とすべきなり。
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『春秋左氏伝』閔公二年 慶父、自ら縊る二年春、虢公犬戎を渭汭に敗る。舟之僑曰く、「德無くして祿あるは、殃なり。殃將に至らんとす」と。遂に晉に奔る。夏、莊公に吉禘す、速やかなるなり。初め、公の傅卜齮の田を奪ふ。公禁ぜず。秋八月辛丑、共仲卜齮をして公を武闈に賊せしむ。成季僖公を以って邾に適く。共仲莒に奔る。乃ち入りて、之を立つ。賂を以って共仲を莒に求む。莒人之を歸す。密に及び、公子魚をして請はしむ。許さず。哭して往く。共仲曰く、「奚斯の聲なり」と。乃ち縊る。閔公は、哀姜の娣叔姜の子なり。故に齊人之を立つ。共仲哀姜に通ず。哀姜之を立てんと欲す。閔公の死するや、哀姜與り知る。故に邾に孫る。齊人取りて之を夷に殺し、其の尸を以って歸る。僖公請ひて之を葬る。成季の將に生まれんとするや、桓公卜楚丘の父をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を友と曰ひ、公の右に在らん。兩社に間はり、公室の輔と爲らん。季氏亡びなば、則ち魯昌えず」と。又之を筮し、《大有》の《乾》に之くに遇ふ。曰く、「同じく父に復り、敬すること君の所の如し」と。生まるるに及び、文の其の手に在る有りて「友」と曰ふ。遂に以って之に命く。
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『童子問』卷中問ふ、唯だ心学の名は、害無きに似たり。知らず以て如何と為す。曰く、心学の称も、亦禅学より来たる。禅家自ら其の法を以て心宗と名づく。性学の号も亦然り。蓋し理学者流、其の記誦詞章の学に非ざるを以て、斯の名を創建し、以て世に標榜す。然れども実は聖人の意に非ざるなり。禅者は本本然の徳を知らず、硬く己が心上に就いて功を用ふ。後世の儒者は本然の徳に由ることを知ると雖も、其の工夫は却つて亦一心上に就いて道を見る。遂に心学を以て之を称す。殊に知らず、人斯の形を具ふれば、則ち必ず斯の心有り、聖人より愚夫愚婦に至るまで、一なり。本貴きに非ず、亦賤しきに非ず。故に聖人は徳を言ひて心を言はず。其の千言万語、皆人をして本然の徳に由らしむる所以に非ざる莫きなり。孟子屡々心を言ふと雖も、亦皆仁義の良心を指して言ふ。所謂本心・恒心、是れなり。蓋し聖人は天下の上より道を見、仏者は一身の上より道を見る。天下の上より道を見る、故に天下の同じく然る所の理を見る。徳を貴びて心を貴ばざる所以なり。一身の上より道を見る、心を知りて徳を知らざる所以なり。故に其の学自ら霄壌にして、卒に人倫を離るるに至る。察せざるべけんや。
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