新書 / 春秋
齊桓公之始伯也,翟人伐燕,桓公爲燕北伐翟,乃至於孤竹,反,而使燕君復召公之職。桓公歸,燕君送桓公入齊地百六十六裏。桓公問於管仲曰:「禮,諸侯相送,固出境乎?」管仲曰:「非天子不出境。」桓公曰:「然則燕君畏而失禮也,寡人恐後世之以寡人能存燕而朝之也。」乃下車,而令燕君還車,乃剖燕君所至而與之,遂溝以爲境而後去。諸侯聞桓公之義,口不言而心皆服矣。故九合諸侯,莫不樂聽;扶興天子,莫不勸從。誠退讓人,人孰弗戴也。二世胡亥之爲公子,昆弟數人,詔置酒饗羣臣,召諸子賜食先罷。胡亥下陛,視羣臣陳履狀善者,因行殘敗而去。諸侯聞之,莫不大息。及二世即位,皆知天下之棄之也。
新字:斉桓公之始伯也,翟人伐燕,桓公為燕北伐翟,乃至於孤竹,反,而使燕君復召公之職。桓公帰,燕君送桓公入斉地百六十六裏。桓公問於管仲曰:「礼,諸侯相送,固出境乎?」管仲曰:「非天子不出境。」桓公曰:「然則燕君畏而失礼也,寡人恐後世之以寡人能存燕而朝之也。」乃下車,而令燕君還車,乃剖燕君所至而与之,遂溝以為境而後去。諸侯聞桓公之義,口不言而心皆服矣。故九合諸侯,莫不楽聴;扶興天子,莫不勧従。誠退譲人,人孰弗戴也。二世胡亥之為公子,昆弟数人,詔置酒饗羣臣,召諸子賜食先罷。胡亥下陛,視羣臣陳履状善者,因行残敗而去。諸侯聞之,莫不大息。及二世即位,皆知天下之棄之也。
書き下し
斉の桓公の始めて伯たるや、翟人燕を伐つ。桓公燕の為に北のかた翟を伐ち、乃ち孤竹に至り、反りて、燕君をして召公の職を復さしむ。桓公帰る。燕君桓公を送りて斉の地に入ること百六十六里なり。桓公管仲に問いて曰く、「礼に、諸侯相送るに、固より境を出ずるか」と。管仲曰く、「天子に非ざれば境を出でず」と。桓公曰く、「然らば則ち燕君畏れて礼を失えるなり。寡人は後世の寡人の能く燕を存して之を朝せしむと以うを恐る」と。乃ち車より下り、燕君をして車を還さしめ、乃ち燕君の至る所を剖きて之に与え、遂に溝して以て境と為して而る後に去る。諸侯桓公の義を聞き、口には言わずして心は皆な服す。故に諸侯を九合して、聴くを楽しまざる莫く、天子を扶興して、勧め従わざる莫し。誠に人に退譲すれば、人孰か戴かざらん。二世胡亥の公子たりしとき、昆弟数人あり。詔して酒を置き群臣に饗し、諸子を召して食を賜い、先に罷めしむ。胡亥陛を下り、群臣の陳ぬる履の状の善き者を視て、因りて行きて残敗して去る。諸侯之を聞き、大息せざる莫し。二世即位するに及び、皆な天下の之を棄つるを知る。
現代語訳
斉の桓公が初めて覇者となったころ、翟の人々が燕を攻めました。桓公は燕のために北へ翟を討ち、孤竹まで行って引き返し、燕の君に召公の職を回復させました。桓公が帰るとき、燕の君は桓公を見送って斉の領内に百六十六里も入りました。桓公は管仲に尋ねました。「礼では、諸侯が見送るのに、もともと国境を出るものか」。管仲は答えました。「天子でなければ国境を出ません」。桓公は言いました。「それなら燕の君は恐れて礼を失ったのだ。私は、後世に、私が燕を存続させて朝見させたのだと思われることを恐れる」。そして車を降り、燕の君に車を戻させ、燕の君が到達した土地を割いて燕に与え、溝を掘って境とし、その後に去りました。諸侯は桓公の義を聞いて、口には出さなくても、みな心から従いました。そのため諸侯を九度集めても聞き入れない者はなく、天子を助け興しても勧めに従わない者はありませんでした。まことに人にへりくだり譲れば、誰が慕い戴かないでしょうか。二世皇帝の胡亥は、公子のとき数人の兄弟がいました。詔して酒宴を設け、群臣をもてなし、諸子を呼んで食事を賜い、先に退出させました。胡亥は階段を下りて、群臣が並べた履物の様子を見て、良いものを見つけると、その上を踏み荒らして去りました。諸侯はこれを聞いて、嘆かない者はありませんでした。二世が即位すると、みな天下が彼を見放していることを知りました。
解説
この章句が説くこと
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒此盗戒ヲ古ヨリ義ニ配スル。是モ的当テハナイ。義ト云ハ。支那国上代ノ教テ。其字ノココロスラムツカシキシヤ。釈名ニハ。義者宜也。裁制事物使合宜也トアル。礼記ニ。父慈子孝。兄良弟弟。夫義婦聴。長恵幼順。君仁臣忠。謂之人義也トアル。戦国ノ時。告子ハ仁内也義外也ト云。孟子ハ義モ内ナリト云。今ノ代ニ至テ。儒者カ講訳スルニモ。家家ニ違フ。又義ノ取用ヒ様ハ。古ノ君子ニテモ人人違フ。古今一定セヌコトシヤ。勿論学匠儒生ニ付シテ。其義趣ヲ説セテ聞ハ。面白キコトモ有ヘク。古今ノ事実行跡ヲ鑑ミハ。治道ノ一助ト成ルヘキナレトモ。王公大人テモ学才ナケレハ。其字義スラ解シ難キシヤ。万国古今ニ推通シ。智愚ニ推通シテ。教ヘ導ク道テハナイ。史記ニ。由余曰。中国所以乱也。夫自上世黄帝作為礼楽。身以先之。僅以小治。及其後世。日以驕婬。阻法度之威。以責督於下。下罷極則以仁義怨望於上。上下交争。怨而相篡弑。至絶滅宗。皆以此類也ト。看ヨ。仁義ハヨク取用レハ聖人ノ道ナレトモ。取ソコナヘハ乱ノ端トナル。
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『晏子春秋』雑上・崔慶劫齊將軍大夫盟晏子不與崔杼既に莊公を弑して景公を立て、杼と慶封と之を相け、諸将軍大夫、及び顕士庶人を太宮の坎上に劫し、盟わざるを得ざらしむ。壇を為ること三仞、其の下を塪り、甲千を以て列ねて其の内外を環らす。盟う者皆剣を脱して入る。維だ晏子のみ肯んぜず、崔杼之を許す。敢えて盟わざる者有らば、戟其の頸を鉤し、剣其の心を承く。自ら盟わしめて曰く、「崔・慶に与せずして、公室に与する者は、其の不祥を受けん」と。言疾からず、指血に至らざる者は死す。殺す所七人。次いで晏子に及ぶ。晏子杯血を奉じ、天を仰ぎて歎じて曰く、「嗚呼。崔子は無道を為して其の君を弑す。公室に与せずして崔・慶に与する者は、此の不祥を受けん」と。俛して血を飲む。崔杼、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を変えれば、則ち斉国は吾子と之を共にせん。子の言を変えざれば、戟既に脰に在り、剣既に心に在り、維だ子之を図れ」と。晏子曰く、「吾を劫すに刃を以てして其の志を失うは、勇に非ざるなり。吾を回すに利を以てして其の君に倍くは、義に非ざるなり。崔子、子独り夫の詩を為まざるか。詩に云う、『莫莫たる葛藟、条枚に施く。愷悌たる君子、福を求めて回ならず』と。今嬰且に以て回りて福を求む可けんや。曲刃もて之を鉤し、直兵もて之を推すとも、嬰は革まらず」と。
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