武士訓 / 卷三・第6段
たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
新字:たとえば。人ありて。命を千貫万貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて抛こと。塵よりも軽し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
書き下し
たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
現代語訳
たとえば、命を千貫、万貫に替えようと言う人がいても、替える者はないでしょう。それほど大切な命でありながら、義によって投げ出すことは、塵よりも軽いのです。そうであれば、義ほど重いものは、世にあるはずがありません。源致雄の歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは」とあります(風雅集に見えます)。
解説
命は千貫万貫でも替えられないほど大切なのに、義のためには塵より軽く捨てる、だから義ほど重いものはない、という筋立ての段です。数字を挙げた比べ方は具体的で、義の重さを命の価値との対比で示しています。引かれた和歌は、武士の道ほど重い道はない、という趣旨です。命を捨てるという話は、今の仕事にそのまま適用するものではありません。ただ、損得では測れない一線を持つことの意味は読み取れます。自分が仕事で守りたい義とは何かを、金額や評価に換算できないものとして言葉にしておくことが、迷ったときの支えになります。
この章句が説くこと
義命の重さ一線価値の比較武士の道武士訓
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