新書 / 容經
不可選,衆也。言接君臣、上下、父子、兄弟、內外、大小品事之各有容志也。子贛由其家來,謁於孔子。孔子正顏,舉杖磬折而立,曰:「子之大親毋乃不寧乎?」放杖而立,曰:「子之兄弟亦得無恙乎?」曳杖倍下而行,曰:「妻子家中得毋病乎?」故身之倨佝,手之高下,顏色聲氣,各有宜稱,所以明尊卑,別疏戚也。子路見孔子之背,磬折舉褎,曰:「唯由也見。」孔子聞之,曰:「由也,何以遺亡也?」故過猶不及,有餘猶不足也。語曰:「沉乎明王,執中履衡。」言秉中適而據乎宜,故威勝德則淳,德勝威則施。威之與德,文若繆纆,且畏且懷,君道正矣。「質勝文則野,文勝質則史,文質彬彬,然後君子。」
新字:不可選,衆也。言接君臣、上下、父子、兄弟、内外、大小品事之各有容志也。子贛由其家来,謁於孔子。孔子正顔,舉杖磬折而立,曰:「子之大親毋乃不寧乎?」放杖而立,曰:「子之兄弟亦得無恙乎?」曳杖倍下而行,曰:「妻子家中得毋病乎?」故身之倨佝,手之高下,顔色声気,各有宜称,所以明尊卑,別疏戚也。子路見孔子之背,磬折舉褎,曰:「唯由也見。」孔子聞之,曰:「由也,何以遺亡也?」故過猶不及,有余猶不足也。語曰:「沈乎明王,執中履衡。」言秉中適而拠乎宜,故威勝徳則淳,徳勝威則施。威之与徳,文若繆纆,且畏且懐,君道正矣。「質勝文則野,文勝質則史,文質彬彬,然後君子。」
書き下し
選ぶ可からずとは、衆きなり。君臣、上下、父子、兄弟、内外、大小の品事に接して各おの容志有るを言うなり。子贛家より来たりて、孔子に謁す。孔子顔を正し、杖を挙げ磬折して立ちて曰く、「子の大親は乃ち寧からざる毋からんや」と。杖を放ちて立ちて曰く、「子の兄弟も亦た恙無きを得るか」と。杖を曳き倍下して行きて曰く、「妻子家中は病むこと毋きを得るか」と。故に身の倨佝、手の高下、顔色声気、各おの宜称有り、尊卑を明らかにし、疎戚を別つ所以なり。子路孔子の背を見、磬折し褎を挙げて曰く、「唯だ由や見ゆ」と。孔子之を聞きて曰く、「由や、何を以て遺亡するや」と。故に過ぎたるは猶お及ばざるがごとく、余り有るは猶お足らざるがごとし。語に曰く、「沉乎たる明王は、中を執り衡を履む」と。言うこころは中適を秉りて宜しきに拠るなり。故に威徳に勝てば則ち淳、徳威に勝てば則ち施す。威と徳とは、文は繆纏の若く、且つ畏れ且つ懐けば、君道正し。「質、文に勝てば則ち野、文、質に勝てば則ち史、文質彬彬として、然る後に君子なり」と。
現代語訳
「選び出せない」とは、多いということです。君臣、上下、父子、兄弟、内外、大小といったあらゆる物事に接して、それぞれにふさわしい振る舞いと志がある、ということを言っています。子貢が家から来て孔子に会ったとき、孔子は顔つきを正し、杖を挙げて腰を折って立ち、「あなたの親御さんは、安らかでおられないことはないだろうか」と言いました。次に杖を下ろして立ち、「あなたの兄弟も、変わりなくおられるだろうか」と言いました。さらに杖を引いて身を一段低くして歩き、「奥さんや子供さんたちは、家で病んではいないだろうか」と言いました。だから体のかがめ具合、手の高さ、顔色や声の気配には、それぞれにふさわしい度合いがあり、それによって尊卑を明らかにし、疎遠と親しさを分けるのです。子路は孔子の背中を見て、腰を折り袖を上げて「由が参りました」と言いました。孔子はそれを聞いて、「由よ、なぜ礼を捨ててしまうのか」と言いました。だから、過ぎるのは足りないのと同じで、余りがあるのも足りないのと同じです。語にこうあります。「深く落ち着いた明王は、中を執って均衡を踏む」と。中庸を守って適切なところに拠るということです。だから、威が徳に勝てば純朴になり、徳が威に勝てば施しが過ぎます。威と徳が、文様のように絡み合い、畏れつつ慕われるなら、君主の道は正しいのです。「素朴さが飾りに勝てば粗野になり、飾りが素朴さに勝てば形式に流れ、素朴さと飾りが釣り合って初めて君子である」とあります。
解説
この章句が説くこと
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