新書 / 容經
龍也者,人主之辟也。亢龍往而不返,故易曰「有悔」。悔者,凶也。潛龍入而不能出,故曰「勿用」。勿用者,不可也。龍之神也,其惟茲龍乎。能與細細,能與巨巨,能與高高,能與下下。吾故曰:龍變無常,能幽能章。故聖人者,在小不寶,在大不宨;狎而不能作,習而不能順;姚不惽,卒不妄;饒裕不贏,迫不自喪;明是審非,察中居宜。此之謂有威儀。古之爲路輿也,蓋圜以象天,二十八橑以象列宿,軫方以象地,三十輻以象月。故仰則觀天文,俯則察地理,前視則覩鸞和之聲,側視則聽四時之運。此輿教之道也。
新字:竜也者,人主之辟也。亢竜往而不返,故易曰「有悔」。悔者,凶也。潜竜入而不能出,故曰「勿用」。勿用者,不可也。竜之神也,其惟茲竜乎。能与細細,能与巨巨,能与高高,能与下下。吾故曰:竜変無常,能幽能章。故聖人者,在小不宝,在大不宨;狎而不能作,習而不能順;姚不惽,卒不妄;饒裕不贏,迫不自喪;明是審非,察中居宜。此之謂有威儀。古之為路輿也,蓋圜以象天,二十八橑以象列宿,軫方以象地,三十輻以象月。故仰則観天文,俯則察地理,前視則睹鸞和之声,側視則聴四時之運。此輿教之道也。
書き下し
龍なる者は、人主の辟なり。亢龍は往きて返らず、故に易に「悔い有り」と曰う。悔いとは、凶なり。潜龍は入りて出ずる能わず、故に「用うる勿れ」と曰う。用うる勿れとは、不可なり。龍の神なるや、其れ惟れ茲の龍か。細と細たる能く、巨と巨たる能く、高と高たる能く、下と下たる能く。吾故に曰く、龍の変は常無く、能く幽にして能く章らかなり。故に聖人は、小に在りて宝とせず、大に在りて宨とせず。狎れて作すこと能わず、習いて順うこと能わず。姚にして惽せず、卒にして妄ならず。饒裕にして贏せず、迫まるも自ら喪わず。是を明らかにし非を審らかにし、中を察して宜しきに居る。此れを之れ威儀有りと謂う。古の路輿を為るや、蓋は圜にして以て天に象り、二十八橑は以て列宿に象り、軫は方にして以て地に象り、三十輻は以て月に象る。故に仰げば則ち天文を観、俯せば則ち地理を察し、前を視ては則ち鸞和の声を覩、側を視ては則ち四時の運を聴く。此れ輿教の道なり。
現代語訳
龍は君主のたとえです。高く昇りすぎた龍は行ったきり戻れず、だから『易』に「悔いあり」とあります。悔いとは凶のことです。潜んだ龍は入ったきり出られず、だから「用いるな」とあります。用いるなとは、不可ということです。龍の霊妙さは、まさにこの龍でしょう。細かいものには細かく、大きいものには大きく、高いものには高く、低いものには低く合わせることができます。だから私は、龍の変化には決まりがなく、隠れることも現れることもできる、と言います。そこで聖人は、小さなことがあっても宝としてしがみつかず、大きなことがあってもおごりません。馴れても勝手をせず、慣れても流されません。穏やかで混乱せず、慌ただしくてもでたらめにならず、豊かで余らせず、迫られても自分を見失いません。是を明らかにし、非をはっきりさせ、中を察して適切なところに身を置きます。これを威儀があるというのです。昔の天子の車は、蓋を丸くして天に象り、二十八本の骨組みで星座の宿に象り、車台の枠を四角にして地に象り、三十本の輻で月に象りました。だから仰げば天の文様を見、俯けば地の条理を察し、前を見れば鸞の鈴の音を聞き、側を見れば四季の巡りを聴きます。これが車を通じた教えの道です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『新書』容經古の聖王は居るに法則有り、動くに文章有り、位に戒輔を執り、玉を鳴らして以て行く。玉を鳴らすとは、玉を佩ぶるなり。上に双珩有り、下に双璜有り、衝牙蠙珠以て其の間に納め、琚瑀以て之を雑ず。行くには采薺を以てし、趨るには肆夏を以てし、歩むは規に中たり、折るるは矩に中たる。車に登れば則ち馬行きて鸞鳴り、鸞鳴りて和応ず。声を和と曰い、和すれば則ち敬あり。故に詩に曰く、「和鸞噰噰たり、万福の同まる攸」と。言動紀度を以てすれば、則ち万福の聚まる所なり。故に曰く、明君位に在れば畏る可く、施舎は愛す可く、進退は度る可く、周旋は則る可く、容貌は観る可く、事を作すは法る可く、徳行は象る可く、声気は楽しむ可く、動作に文有り、言語に章有り、以て其の上を承け、以て其の等に接し、以て其の下に臨み、以て其の民を畜う。故に之が上たる者は敬して之を信じ、等しき者は親しみて之を重んじ、下なる者は畏れて之を愛し、民なる者は粛みて之を楽しむ。是を以て上下和協して士民順一なり。故に能く其の国を宗揖して以て天子を藩衛し、義を行いて法るに足る。夫れ威有りて畏る可きを之を威と謂い、儀有りて象る可きを之を文と謂う。富は量を為す可からず、多きは数を為す可からず。故に詩に曰く、「威儀棣棣たり、選ぶ可からず」と。棣棣とは、富なり。
-
『新書』容經人主大いに浅ければ則ち知闇く、太だ博ければ則ち業厭く、二者は失を異にして敗を同じくし、其の傷必ず至る。故に師傅の道は、既に其の施しを美し、又其の斉を慎む。疾徐を適にし、多少を任ず。造りて趣すこと勿く、稍して苦しむること勿し。其の省すべき所を省し、其の堪うる所に堪えしむ。故に力労れずして身大いに盛んなり。此れ聖人の化なり。
-
易経・文言上九に曰く、「亢龍悔い有り」とは、何の謂ぞや。子曰く、「貴くして位无く、高くして民无く、賢人下位に在りて輔くる无し、是を以て動きて悔い有るなり」と。「潛龍用うるなかれ」とは、下ればなり。「見龍田に在り」とは、時舍なり。「終日乾乾」とは、事を行うなり。「或いは躍りて淵に在り」とは、自ら試むるなり。「飛龍天に在り」とは、上りて治むるなり。「亢龍悔い有り」とは、窮まるの災なり。乾元の「九を用う」とは、天下治まるなり。
-
『新書』容經選ぶ可からずとは、衆きなり。君臣、上下、父子、兄弟、内外、大小の品事に接して各おの容志有るを言うなり。子贛家より来たりて、孔子に謁す。孔子顔を正し、杖を挙げ磬折して立ちて曰く、「子の大親は乃ち寧からざる毋からんや」と。杖を放ちて立ちて曰く、「子の兄弟も亦た恙無きを得るか」と。杖を曳き倍下して行きて曰く、「妻子家中は病むこと毋きを得るか」と。故に身の倨佝、手の高下、顔色声気、各おの宜称有り、尊卑を明らかにし、疎戚を別つ所以なり。子路孔子の背を見、磬折し褎を挙げて曰く、「唯だ由や見ゆ」と。孔子之を聞きて曰く、「由や、何を以て遺亡するや」と。故に過ぎたるは猶お及ばざるがごとく、余り有るは猶お足らざるがごとし。語に曰く、「沉乎たる明王は、中を執り衡を履む」と。言うこころは中適を秉りて宜しきに拠るなり。故に威徳に勝てば則ち淳、徳威に勝てば則ち施す。威と徳とは、文は繆纏の若く、且つ畏れ且つ懐けば、君道正し。「質、文に勝てば則ち野、文、質に勝てば則ち史、文質彬彬として、然る後に君子なり」と。
-
『管子』形勢解天は萬物を覆いて之を制し、地は萬物を載せて之を養い、四時は萬物を生長して之を収藏す。古より今に至るまで、其の道を更めず。故に曰く、「古今一なり」と。蛟龍は、水蟲の神なる者なり、水に乘れば則ち神立ち、水を失えば則ち神廢る。人主は、天下の威有る者なり、民を得れば則ち威立ち、民を失えば則ち威廢る。蛟龍は水を得るを待ちて後に其の神を立て、人主は民を得るを待ちて後に其の威を成す。故に曰く、「蛟龍水を得て神立つ可きなり」と。虎豹は、獸の猛き者なり、深林廣澤の中に居れば、則ち人其の威を畏れて之を載く。人主は、天下の勢有る者なり、深く居れば則ち人其の勢を畏る。故に虎豹其の幽を去りて人に近づけば、則ち人之を得て其の威を易る。人主其の門を去りて民に迫れば、則ち民之を輕んじて其の勢に傲る。故に曰く、「虎豹幽に託して威載す可きなり」と。
-
新語・道基夫れ人なる者は、寛博浩大、恢廓密微、遠きに附き近きを寧んじ、万邦を懐来す。故に聖人は仁を懐き義に仗り、纖微を分明にし、天地を忖度し、危うくして傾かず、佚にして乱れざる者は、仁義の治むる所なり。之を親近に行えば疎遠悦び、之を閨門の内に修むれば名誉外に馳す。故に仁は隠れて著れざる無く、幽にして彰らかならざる無き者なり。虞舜は父母に蒸蒸として、天地に光耀す。伯夷・叔斉は首陽に餓うれど、功美は万代に垂る。太公は布衣より三公の位に昇り、累世千乗の爵を享く。知伯は威に仗り力に任せ、三晋を兼ねて亡ぶ。是を以て君子は道を握りて治め、徳に拠りて行い、仁に席して坐し、義を杖つきて彊く、虚無寂寞にして、通動量り無し。故に事を制するに短に因れば、動きて益々長く、円を以て規を制し、矩を以て方を立つ。聖人世に王として、賢者功を建つ。湯は伊尹を挙げ、周は呂望を任ず。行い天地に合し、徳陰陽に配し、天を承けて悪を誅し、暴に克ち殃を除き、気を将いて物を養い、明□光を設け、耳は八極を聴き、目は四方を覩、忠進みて讒退き、直立ちて邪亡び、道行われて姦止み、両つながらは張るを得ず、□□本理、漸を杜ぎ萌を消す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る