新書 / 禮
昔周文王使太公望傅太子發,太子嗜鮑魚,而太公弗與,太公曰:「禮,鮑魚不登於俎,豈有非禮而可以養太子哉?」尋常之室無奧剽之位,則父子不別;六尺之輿無左右之義,則君臣不明。尋常之室、六尺之輿,處無禮,即上下踳逆,父子悖亂,而況其大者乎!故道德仁義,非禮不成;教訓正俗,非禮不備;分爭辯訟,非禮不決;君臣、上下、父子、兄弟,非禮不定;宦學事師,非禮不親;班朝治軍、莅官行法,非禮威嚴不行;禱祠祭祀,供給鬼神,非禮不誠不莊。是以君子恭敬、撙節、退讓以明禮。
新字:昔周文王使太公望傅太子発,太子嗜鮑魚,而太公弗与,太公曰:「礼,鮑魚不登於俎,豈有非礼而可以養太子哉?」尋常之室無奥剽之位,則父子不別;六尺之輿無左右之義,則君臣不明。尋常之室、六尺之輿,処無礼,即上下踳逆,父子悖乱,而況其大者乎!故道徳仁義,非礼不成;教訓正俗,非礼不備;分争弁訟,非礼不決;君臣、上下、父子、兄弟,非礼不定;宦学事師,非礼不親;班朝治軍、莅官行法,非礼威厳不行;祷祠祭祀,供給鬼神,非礼不誠不荘。是以君子恭敬、撙節、退譲以明礼。
書き下し
昔周の文王、太公望をして太子発に傅かしむ、太子鮑魚を嗜む、而るに太公与えず、太公曰く、「礼に、鮑魚は俎に登らず、豈に礼に非ずして以て太子を養う可き有らんや」と。尋常の室に奥剽の位無ければ、則ち父子別たず。六尺の輿に左右の義無ければ、則ち君臣明らかならず。尋常の室、六尺の輿すら、処るに礼無ければ、即ち上下踳逆し、父子悖乱す、而るを況んや其の大なる者をや。故に道徳仁義、礼に非ざれば成らず。教訓正俗、礼に非ざれば備わらず。分争弁訟、礼に非ざれば決せず。君臣・上下・父子・兄弟、礼に非ざれば定まらず。宦学事師、礼に非ざれば親しまず。班朝治軍、官に莅み法を行うこと、礼に非ざれば威厳行われず。禱祠祭祀、鬼神に供給すること、礼に非ざれば誠ならず荘ならず。是を以て君子は恭敬・撙節・退譲して以て礼を明らかにす。
現代語訳
昔、周の文王は太公望に太子の発(のちの武王)の傅を命じました。太子は鮑魚(干した魚)を好みましたが、太公は与えませんでした。太公は「礼では、鮑魚は祭りのまな板に載せません。どうして礼に外れたもので太子を養ってよいでしょうか」と言いました。小さな部屋に奥と隅の位置の区別がなければ、父子の別がつきません。六尺の車に左右の分がなければ、君臣の別が明らかになりません。小さな部屋や小さな車ですら、礼がなければ上下が乱れ、父子が道理に背きます。まして大きな事柄ではなおさらです。だから道徳や仁義は礼がなければ成らず、教え諭して風俗を正すことは礼がなければ備わらず、争いや訴えは礼がなければ決まらず、君臣・上下・父子・兄弟は礼がなければ定まらず、仕えて学び師に事えることは礼がなければ親しめず、朝廷を整え軍を治め、官に臨み法を行うことは礼がなければ威厳が行われず、祈りや祭りで鬼神に捧げることは礼がなければ誠も荘重さも得られません。だから君子は恭しく慎み、節度を保ち、退いて譲ることで礼を明らかにします。
解説
この章句が説くこと
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史記 劉敬叔孫通列伝遂に徵す所の三十人と西し、及び上の左右の學を為す者と其の弟子百餘人と、綿蕞(めんぜつ)を野外に為す。之を習ふこと月餘、叔孫通曰く、「上試みに觀るべし」と。上既に觀て、禮を行はしめて曰く、「吾能く此を為さん」と。乃ち群臣をして習肄せしめ、十月に會す。漢の七年、長樂宮成り、諸侯群臣皆十月に朝す。儀は、平明に先だち、謁者禮を治め、引きて次を以て殿門に入らしむ。廷中には車騎步卒を陳ねて宮を衛らしめ、兵を設け旗志を張る。傳へて「趨れ」と言ふ。殿下には郎中陛を俠み、陛ごとに數百人。功臣・列侯・諸將軍・軍吏は次を以て西方に陳なりて東鄉し、文官は丞相以下東方に陳なりて西鄉す。大行九賓を設け、臚傳す。是に於いて皇帝輦にて房を出づ。百官職を執りて警を傳へ、諸侯王以下吏六百石に至るまでを引きて次を以て賀を奉ぜしむ。諸侯王より以下、振恐して肅敬せざる莫し。禮畢はるに至りて、復た法酒を置く。諸々の殿上に侍坐する者、皆伏して首を抑へ、尊卑の次を以て起ちて壽を上る。觴九たび行き、謁者「酒を罷めよ」と言ふ。御史法を執り、儀の如くならざる者を舉げて輒ち引き去る。朝を竟へて酒を置くに、敢へて讙譁して禮を失ふ者無し。是に於いて高帝曰く、「吾乃ち今日皇帝為るの貴きを知れり」と。乃ち叔孫通を拜して太常と為し、金五百斤を賜ふ。叔孫通因りて進みて曰く、「諸弟子儒生、臣に隨ふこと久し。臣と共に儀を為す。願はくは陛下之を官とせよ」と。高帝悉く以て郎と為す。叔孫通出でて、皆五百斤の金を以て諸生に賜ふ。諸生乃ち皆喜びて曰く、「叔孫生は誠に聖人なり。當世の要務を知る」と。漢の九年、高帝叔孫通を徙して太子太傅と為す。漢の十二年、高祖趙王如意を以て太子に易へんと欲す。叔孫通上を諫めて曰く、「昔者晉の獻公、驪姬の故を以て太子を廢し、奚齊を立つ。晉國亂るること數十年、天下の笑ひと為る。
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 礼の以て国を為むべきや久し式(もっ)て謌(うた)ひ且つ舞へ』と。陳氏の施し、民之を謌舞す。後世若し少しく惰りて陳氏にして亡びずんば、則ち國は其の國ならんのみ」と。公曰く、「善いかな。是れ若何す可き」と。對へて曰く、「唯だ禮以って之を已む可し。禮に在りては、家の施しは國に及ばず、民は遷らず、農は移らず、工・賈は變ぜず、士は濫せず、官は滔(おご)らず、大夫は公利を收めず」と。公曰く、「善いかな。我能はざるなり。吾今にして後に禮の以って國を為む可きを知る」と。對へて曰く、「禮の以って國を為む可きや久し。天地と並ぶ。君令し臣共し、父慈に子孝に、兄愛し弟敬し、夫和し妻柔に、姑慈に婦聽く、禮なり。君令して違はず、臣共して貳(ふたごころ)あらず、父慈にして教へ、子孝にして箴(いさ)め、兄愛して友に、弟敬して順ひ、夫和して義あり、妻柔にして正しく、姑慈にして從ひ、婦聽きて婉(ゑん)なるは、禮の善物なり」と。公曰く、「善いかな。寡人今にして後に此の禮の上を聞く」と。對へて曰く、「先王の天地に稟くる所にして、以って其の民を為むるなり。是を以って先王之を上ぶ」と。
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『春秋左氏伝』文公十五年 君弱きも怠るべからず六月、辛丑朔、日之を食する有り。鼓して牲を社に用ゐる、禮に非ざるなり。日之を食する有れば、天子舉げず、鼓を社に伐つ。諸侯は幣を社に用ゐ、鼓を朝に伐つ。以って神に事ふるを昭らかにし、民に君に事ふるを訓へ、等威有るを示す、古の道なり。齊人單伯の請ひを許して之を赦し、來りて命を致さしむ。書に曰く、「單伯齊より至る」と、之を貴ぶなり。新城の盟に、蔡人與らず。晉の郤缺上軍・下軍を以って蔡を伐ちて、曰く、「君弱し、以って怠る可からず」と。戊申、蔡に入り、城下の盟を以って還る。凡そ國に勝つを、之を滅ぼすと曰ひ、大城を獲るを、之に入ると曰ふ。秋、齊人我が西鄙を侵す、故に季文子晉に告ぐ。
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論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
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