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弁道 / 第二十四則

繼之者善。如繼天之繼。善者謂善人也。訓流行者。失繼字義矣。成之者性。謂人各隨性所近而成務也。凡言德者。有對怨言者。有對財言者。其單言者。皆性之德也。不爾。據於德。何其荒唐。人心者民心也。如朽索之馭。故曰危。道心者導民心也。其機甚微。故曰微。

新字:継之者善。如継天之継。善者謂善人也。訓流行者。失継字義矣。成之者性。謂人各随性所近而成務也。凡言徳者。有対怨言者。有対財言者。其単言者。皆性之徳也。不爾。拠於徳。何其荒唐。人心者民心也。如朽索之馭。故曰危。道心者導民心也。其機甚微。故曰微。

書き下し

「之を継ぐ者は善」とは、天を継ぐの継の如し。善とは善人を謂ふなり。流行と訓ずる者は継の字の義を失へり。「之を成す者は性」とは、人各〻性の近き所に随ひて務めを成すを謂ふなり。凡そ徳と言ふ者、怨に対して言ふ者有り、財に対して言ふ者有り。其の単に言ふ者は、皆性の徳なり。爾らずんば、「徳に拠る」、何ぞ其れ荒唐なるや。人心とは民心なり。朽索の馭の如し。故に危ふしと曰ふ。道心とは民心を導くなり。其の機甚だ微なり。故に微なりと曰ふ。

現代語訳

「これを継ぐ者は善である」というのは、「天を継ぐ」の「継ぐ」と同じである。「善」とは善人のことである。これを(天理の)流行と解するのは、「継」の字の意味を取り違えている。「これを成す者は性である」というのは、人がそれぞれ自分の性に近いところに従って務めを成し遂げることをいう。およそ「徳」という語には、怨みに対して言うもの(恩徳)があり、財に対して言うものがある。単独で言う場合は、みな性に備わる徳である。そうでなければ、「徳に拠る」とはなんと荒唐無稽なことになろうか。「人心」とは民の心である。腐った手綱で馬を御するようなものなので「危うい」と言う。「道心」とは民の心を導くことである。その機微はきわめて細やかなので「微か」と言う。

解説

続いて『易』繋辞伝の「之を継ぐ者は善、之を成す者は性」と、『書経』大禹謨の「人心惟れ危ふく、道心惟れ微なり」を読み直す。朱子学はこれを天理の流行や、心の中の人欲と天理の葛藤として読むが、徂徠は「人心」を民の心、「道心」を民の心を導くことと解し、腐った手綱で馬を御す危うさとして政治の言葉に戻す。内面の修養論を統治の技術論に読み替える古文辞学の手法がよく表れている。自分の心より、預かる人々の心をどう導くかに目を向けよという示唆でもある。

この章句が説くこと

人心道心民心書経易経徳

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