新書 / 連語
今前車已覆矣,而後車不知戒,不可不察也。梁嘗有疑獄,羣臣半以爲當罪,半以爲不當,雖梁王亦疑。梁王曰:「陶之朱叟,以布衣而富侔國,是必有奇智。」乃召朱公而問之,曰:「梁有疑獄,吏半以爲當罪,半以爲不當,雖寡人亦疑焉,爲吾決是奈何?」朱公曰:「臣鄙人也,不知當獄,然臣家有二白璧,其色相如也,其徑相如也,其澤相如也。然其價也,一者千金,一者五百金。」王曰:「徑與色澤皆相如也,一者千金,一者五百金。何也?」朱公曰:「側而視之,其一者厚倍之,是以千金。」王曰:「善。」故獄疑則從去,賞疑則從予,梁國說。以臣誼竊觀之,墻薄咫亟壞,繒薄咫亟裂,器薄咫亟毀,酒薄咫亟酸。夫薄而可以曠日持久者,殆未有也。故有國畜民施政教者,臣竊以爲厚之而可耳。
新字:今前車已覆矣,而後車不知戒,不可不察也。梁嘗有疑獄,羣臣半以為当罪,半以為不当,雖梁王亦疑。梁王曰:「陶之朱叟,以布衣而富侔国,是必有奇智。」乃召朱公而問之,曰:「梁有疑獄,吏半以為当罪,半以為不当,雖寡人亦疑焉,為吾決是奈何?」朱公曰:「臣鄙人也,不知当獄,然臣家有二白璧,其色相如也,其径相如也,其沢相如也。然其価也,一者千金,一者五百金。」王曰:「径与色沢皆相如也,一者千金,一者五百金。何也?」朱公曰:「側而視之,其一者厚倍之,是以千金。」王曰:「善。」故獄疑則従去,賞疑則従予,梁国説。以臣誼窃観之,墻薄咫亟壊,繒薄咫亟裂,器薄咫亟毀,酒薄咫亟酸。夫薄而可以曠日持久者,殆未有也。故有国畜民施政教者,臣窃以為厚之而可耳。
書き下し
今前車已に覆れり、而るに後車戒むを知らず、察せざる可からざるなり。梁嘗て疑獄有り、群臣半ばは以て罪に当たると為し、半ばは以て当たらずと為し、梁王すら亦た疑う。梁王曰く、「陶の朱叟は、布衣を以て富は国に侔し、是れ必ず奇智有らん」と。乃ち朱公を召して問うて曰く、「梁に疑獄有り、吏半ばは以て罪に当たると為し、半ばは以て当たらずと為し、寡人すら亦た焉れを疑う、吾が為に是れを決するは奈何」と。朱公曰く、「臣は鄙人なり、獄に当たるを知らず、然れども臣の家に二白璧有り、其の色相如し、其の径相如し、其の沢相如し。然れども其の価や、一は千金、一は五百金なり」と。王曰く、「径と色沢と皆相如きに、一は千金、一は五百金。何ぞや」と。朱公曰く、「側にして之を視れば、其の一は厚きこと倍す、是を以て千金なり」と。王曰く、「善し」と。故に獄疑えば則ち従って去り、賞疑えば則ち従って予う、梁国説ぶ。臣誼の竊かに観るを以てすれば、墻薄ければ咫亟かに壊れ、繒薄ければ咫亟かに裂け、器薄ければ咫亟かに毀れ、酒薄ければ咫亟かに酸す。夫れ薄くして以て日を曠しくし久しきを持す可き者は、殆ど未だ有らざるなり。故に国を有ち民を畜い政教を施す者は、臣竊かに以て之を厚くして可なるのみと為す。
現代語訳
いま前の車はすでに覆ったのに、後ろの車は戒めることを知りません。よく見極めなければなりません。梁にかつて判断のつかない訴訟があり、群臣の半ばは有罪に当たるとし、半ばは当たらないとし、梁王自身も迷いました。梁王は「陶の朱公は、庶民の身から国に並ぶほど富を築いた。きっと並外れた知恵があるだろう」と言い、朱公を召して尋ねました。「梁に判断のつかない訴訟があり、役人の半ばは有罪とし、半ばは無罪とし、私自身も迷っている。私のためにこれを決めるにはどうすればよいか」。朱公は「私は卑しい者で、裁判のことは分かりません。ただ、私の家に二つの白璧があり、色も直径も艶も同じです。ところが値は、一つは千金、一つは五百金です」と答えました。王が「直径も色も艶も同じなのに、一つは千金、一つは五百金とはなぜか」と尋ねると、朱公は「横から見ると、一つは厚さが倍あります。だから千金なのです」と言いました。王は「なるほど」と言いました。そこで、裁判に疑いがあれば罪を去らせ、賞に疑いがあれば与えることにし、梁の国は喜びました。私、誼がひそかに考えるに、垣が薄ければすぐ崩れ、絹が薄ければすぐ裂け、器が薄ければすぐ壊れ、酒が薄ければすぐ酸っぱくなります。薄くして長く保てるものは、まずありません。だから国を有し民を養い政教を施す者は、これを厚くすればよいのだと私は考えます。
解説
この章句が説くこと
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