晏子春秋 / 外篇上・景公坐路寢曰誰將有此晏子諫
景公坐于路寢,曰:「美哉室,其誰將有此乎!」晏子對曰:「其田氏乎,田無宇為垾矣。」公曰:「然則奈何?」晏子對曰:「為善者,君上之所勸也,豈可禁哉!夫田氏,國門擊柝之家,父以托其子,兄以托其弟,於今三世矣。山木如市,不加於山;魚鹽蚌蜃,不加於海,民財為之歸。今歲凶饑,蒿種芼斂不半,道路有死人。齊舊四量,四升為豆,豆四而區,區四而釜,釜十而鐘。田氏四量,各加一焉。以家量貸,以公量收,則所以糴,百姓之死命者澤矣。今公家驕汰,而田氏慈惠,國澤是將焉歸?田氏雖無德,而有施於民。公厚斂,而田氏厚施焉。詩曰:『雖無德與汝,式歌且舞。』田氏之施,民歌舞之也,國之歸焉,不亦宜乎!」
新字:景公坐于路寝,曰:「美哉室,其誰将有此乎!」晏子対曰:「其田氏乎,田無宇為垾矣。」公曰:「然則奈何?」晏子対曰:「為善者,君上之所勧也,豈可禁哉!夫田氏,国門撃柝之家,父以托其子,兄以托其弟,於今三世矣。山木如市,不加於山;魚塩蚌蜃,不加於海,民財為之帰。今歳凶饑,蒿種芼斂不半,道路有死人。斉旧四量,四升為豆,豆四而区,区四而釜,釜十而鐘。田氏四量,各加一焉。以家量貸,以公量収,則所以糴,百姓之死命者沢矣。今公家驕汰,而田氏慈恵,国沢是将焉帰?田氏雖無徳,而有施於民。公厚斂,而田氏厚施焉。詩曰:『雖無徳与汝,式歌且舞。』田氏之施,民歌舞之也,国之帰焉,不亦宜乎!」
書き下し
景公路寝に坐して、曰く、「美なるかな室、其れ誰か将に此を有たんとするか」と。晏子対えて曰く、「其れ田氏か。田無宇は垾を為せり」と。公曰く、「然らば則ち奈何」と。晏子対えて曰く、「善を為す者は、君上の勧むる所なり。豈に禁ず可けんや。夫れ田氏は、国門に柝を撃つの家にして、父は以て其の子に托し、兄は以て其の弟に托し、今に於て三世なり。山の木は市の如くにして、山に加えず。魚塩蚌蜃は、海に加えず。民財之が為に帰す。今歳凶饑にして、蒿種芼斂は半ばならず、道路に死人有り。斉の旧四量は、四升を豆と為し、豆四にして区、区四にして釜、釜十にして鐘なり。田氏の四量は、各々一を加う。家の量を以て貸し、公の量を以て収む。則ち糴する所以、百姓の死命を澤うこと多し。今公家は驕汰にして、田氏は慈恵なり。国の澤は是に焉くにか帰せん。田氏は徳無しと雖も、民に施す有り。公厚く斂め、田氏は厚く施す。詩に曰く、『汝に与うる徳無しと雖も、式て歌い且つ舞う』と。田氏の施しは、民之を歌舞するなり。国の帰するも、亦た宜ならずや」と。
現代語訳
景公は路寝に座って言いました。「なんと立派な屋敷だ。これは誰が所有することになるのだろう」。晏子は答えました。「田氏でしょうか。田無宇はすでにその基礎を作っています」。公は言いました。「ではどうすればよいのか」。晏子は答えました。「善を行う者は、君上が奨励するところです。どうして禁じることができましょう。田氏は、国門で拍子木を打つ番人の家柄から出て、父は子に託し、兄は弟に託して、今に至って三代になります。山の木は市場に出しても山の値を上げず、魚や塩や貝は海の値を上げません。民の財はそれゆえに田氏に帰します。今年は凶作で飢え、野菜や穀物の収穫は半分にも及ばず、道に死人がいます。斉の古い四つの量は、四升を豆とし、豆四つで区、区四つで釜、釜十で鐘です。田氏の四つの量は、それぞれ一つずつ加えます。自分の家の量で貸し、公の量で収めます。そうして糴を行うことで、民の命を潤す所が大きいのです。いま公室は驕って奢り、田氏は慈しみ恵みます。国の恵みはどこへ帰するでしょうか。田氏は徳がないとはいえ、民に施しがあります。公が重く取り、田氏が厚く施しています。詩にこうあります。『あなたに与える徳はなくても、歌い、そして舞う』。田氏の施しを、民は歌い舞って喜んでいます。国がそこに帰するのも、当然ではありませんか」。
解説
この章句が説くこと
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論語・子張篇孟氏、陽膚をして士師たらしむ。曾子に問う。曾子曰く、「上其の道を失いて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ。」
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李衛公問対・卷中蕭王、赤心を人の腹中に推す。
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史記 高祖本紀趙王敖を廃して宣平侯と為す。是の歳、貴族の楚の昭・屈・景・懐、斉の田氏を関中に徙す。未央宮成る。高祖大いに諸侯群臣を朝し、未央の前殿に置酒す。高祖玉卮を奉じ、起ちて太上皇の為に寿して、曰く、「始め大人常に臣を以て無頼にして、産業を治むる能はず、仲の力むるに如かずと為す。今某の業の就る所仲に孰与(いづれ)ぞ多き。」と。殿上の群臣皆万歳を呼び、大いに笑ひて楽しみと為す。十年十月、淮南王黥布・梁王彭越・燕王盧綰・荊王劉賈・楚王劉交・斉王劉肥・長沙王呉芮皆来りて長楽宮に朝す。春夏事無し。七月、太上皇櫟陽宮に崩ず。楚王・梁王皆来りて葬を送る。櫟陽の囚を赦す。酈邑を更命して新豊と曰ふ。八月、趙の相国陳豨代の地に反す。上曰く、「豨嘗て吾が使と為り、甚だ信有り。代の地は吾の急とする所なり、故に豨を封じて列侯と為し、相国を以て代を守らしむ、今乃ち王黄等と代の地を劫掠す。代の地の吏民は罪有るに非ざるなり。其れ代の吏民を赦せ。」と。九月、上自ら東のかた往きて之を撃つ。邯鄲に至り、上喜びて曰く、「豨南のかた邯鄲に拠りて漳水を阻てず、吾其の能く為す無きを知る。」と。豨の将皆故の賈人なりと聞き、上曰く、「吾之に与ふる所以を知る。」と。乃ち多く金を以て豨の将に啗はす、豨の将多く降る者あり。十一年、高祖邯鄲に在りて豨等を誅すること未だ畢らず、豨の将侯敞万余人を将ゐて游行し、王黄曲逆に軍し、張春河を渡りて聊城を撃つ。漢将軍郭蒙をして斉の将と撃たしめ、大いに之を破る。太尉周勃太原より道して入り、代の地を定む。馬邑に至る、馬邑下らず、即ち攻めて之を残す。豨の将趙利東垣を守る、高祖之を攻むるも、下らず。月余にして、卒高祖を罵る、高祖怒る。城降る、罵る者を出だして之を斬らしめ、罵らざる者は之を原(ゆる)す。
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言志四録・言志録 第百八十一条 勢に因りて利導す人情の気機は、一定を以て求むべからず。之を誘へば勧み、之を禁ずれば遏む、順なり。之を導けば反つて阻み、之を抑ふれば益揚る、逆なり。是の故に駕馭の道は、当に其の向背を察し、其の軽重を審らかにし、勢に因りて之を利導し、機に応じて之を激励し、其をして自ら其の然る所以を覚えざらしむべし。此れを之れ得たりと為す。
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