呻吟語 / 内篇・應務・一の拙法有り
世人相與,非面上則口中也。人之心固不能掩於面與口,而不可測者則不盡於面與口也。故惟人心最可畏,人心最不可知。此天下之陷阱,而古今生死之衢也。余有一拙法,推之以至誠,施之以至厚,持之以至慎,遠是非,讓利名,處後下,則夷狄鳥獸可骨肉而腹心矣。將令深者且傾心,險者且化德,而何陷阱之予及哉?不然,必予道之未盡也。
新字:世人相与,非面上則口中也。人之心固不能掩於面与口,而不可測者則不尽於面与口也。故惟人心最可畏,人心最不可知。此天下之陥阱,而古今生死之衢也。余有一拙法,推之以至誠,施之以至厚,持之以至慎,遠是非,譲利名,処後下,則夷狄鳥獣可骨肉而腹心矣。将令深者且傾心,険者且化徳,而何陥阱之予及哉?不然,必予道之未尽也。
書き下し
世人の相與するは、面上に非ざれば則ち口中なり。人の心は固より面と口とに掩ふ能はず。而して測る可からざる者は則ち面と口とに盡きざるなり。故に惟だ人心のみ最も畏る可く、人心最も知る可からず。此れ天下の陷阱にして、古今生死の衢なり。余に一の拙法有り。之を推すに至誠を以てし、之を施すに至厚を以てし、之を持するに至慎を以てし、是非を遠ざけ、利名を讓り、後下に處せば、則ち夷狄鳥獸も骨肉腹心とす可し。將に深き者をして且つ心を傾けしめ、險なる者をして且つ德に化せしめんとす。而して何ぞ陷阱の予に及ばんや。
現代語訳
世の人が交わるのは、顔つきか口先かです。人の心は顔と口に隠しきれませんが、測り知れない部分は顔と口に尽きません。だから人の心こそ最も恐ろしく、最も知りがたい。これが天下の落とし穴であり、昔から今まで生死を分かつ辻です。私には一つの不器用な方法があります。この上ない誠で推し、この上ない厚さで施し、この上ない慎みで保ち、是非を遠ざけ、利と名を譲り、後ろに下がって身を置く。そうすれば異民族も鳥獣も肉親のように親しめます。腹の深い者も心を傾け、険しい者も徳に感化される。どうして落とし穴が私に及ぶでしょうか。
解説

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『新書』連語紂は、天子の後なり、天下を有して宜しく然るべし。苟くも道に背き義を棄て、敬慎を釈てて驕肆を行えば、則ち天下の人、其の之に離るること崩るるが若く、其の之に背くや約せずして期するが若し。夫れ人主たる者、誠に奈何ぞ慎まざらんや。紂将に武王と戦わんとし、紂其の卒を陳ね、左臆右臆、之を鼓するも進まず、皆其の刃を還して、顧みて以て紂に鄉う。紂走りて寝廟の上に還り、身ら闘いて死す、左右肯て助けず。紂の官衛紂の躯を輿して、之を玉門の外に棄つ。民の観る者皆進みて之を蹴り、其の腹を蹈み、其の腎を蹶し、其の肺を践み、其の肝を履む。周の武王乃ち人をして帷して之を守らしむ、民の観る者帷を搴げて入り、石を提げて之にする者猶お未だ止むを肯んぜず。悲しむ可きなり。夫れ埶は民の主たるに、直ちに民と仇を為し、殃忿此くの若し。夫れ民尚お其の躯を践盤す、而るを況んや其の民を有ち政教するをや。羞ずること甚だし。臣竊かに之を聞くに曰く、「善は小にして益無しと謂う可からず、不善は小にして傷無しと謂う可からず」と。夫れ牛の胎と為るや、細きこと鼷鼠の若し、紂の天下を損ずるは、象箸自り始まる。故に小悪も大悪も一類なり、過敗小なりと雖も、皆紂の罪なり。周諺に曰く、「前車覆れば後車戒む」と。
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