新書 / 淮難
淮南王罪已明,陛下赦其死罪,解之嚴道以爲之神,其人自病死,陛下何負?天下大指孰能以王之死爲不當?陛下無負也!
新字:淮南王罪已明,陛下赦其死罪,解之厳道以為之神,其人自病死,陛下何負?天下大指孰能以王之死為不当?陛下無負也!
書き下し
淮南王の罪已に明らかなり、陛下其の死罪を赦し、之を厳道に解きて以て之が神と為す、其の人自ら病みて死す、陛下何をか負わん。天下の大指、孰か能く王の死を以て不当と為さん。陛下負う無きなり。
現代語訳
淮南王の罪はすでに明らかでした。陛下はその死罪を許し、王を厳道へ送りました(「以て之が神と為す」の一句は意味がはっきり取れません)。ところが王は自ら病んで亡くなりました。陛下に何の負い目がありましょうか。天下の大勢を見て、王の死を不当だと言える者がいるでしょうか。陛下に負い目はないのです。
解説
淮南王の死をめぐり、文帝が世間から責められる立場にあることを前提に、賈誼がまず「陛下に落ち度はない」と言い切る冒頭の段です。罪が明らかで、死罪を許し、王は病で亡くなったという筋を並べ、疑問文で畳みかけて結論を押し出します。ただし厳道に送った経緯を述べる一句は読みが定まらず、ここでは断定を避けて読んでいます。賈誼は擁護から入ることで、次の段で述べる懸念を、文帝の責任追及としてではなく先手の警告として聞かせる構えを取っています。組織でも、不祥事の後にまず自分の側に非がないことを整理しておく人は多いですが、問題は非の有無とは別に、残された側の感情がどう動くかです。事実の正しさと人心の収まりは別の勘定で見るべきだ、という導入と読めます。
この章句が説くこと
淮南王責任人心先手弁明新書
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