新書 / 屬遠
古者天子地方千里,中之而爲都,輸將繇使,其遠者不出五百里而至;公侯地百里,中之而爲都,輸將繇使,遠者不出五十里而至。輸將者不苦其繇,繇使者不傷其費。故遠方人安其居,士民皆有歡樂其上,此天下之所以長久也。及秦而不然,秦不能分尺寸之地,欲盡自有之耳。輸將起海上而來,一錢之賤耳,十錢之費,弗輕能致也。上之所得者甚少,而民毒苦之甚深,故陳勝一動而天下不振。
新字:古者天子地方千里,中之而為都,輸将繇使,其遠者不出五百里而至;公侯地百里,中之而為都,輸将繇使,遠者不出五十里而至。輸将者不苦其繇,繇使者不傷其費。故遠方人安其居,士民皆有歓楽其上,此天下之所以長久也。及秦而不然,秦不能分尺寸之地,欲尽自有之耳。輸将起海上而来,一銭之賤耳,十銭之費,弗軽能致也。上之所得者甚少,而民毒苦之甚深,故陳勝一動而天下不振。
書き下し
古者天子の地は方千里、之を中にして都と為し、輸将繇使、其の遠き者も五百里を出でずして至る。公侯は地百里、之を中にして都と為し、輸将繇使、遠き者も五十里を出でずして至る。輸将する者は其の繇に苦しまず、繇使する者は其の費を傷めず。故に遠方の人は其の居に安んじ、士民皆な其の上を歓楽する有り。此れ天下の長久なる所以なり。秦に及びて然らず、秦は尺寸の地をも分かつ能わず、尽く自ら之を有せんと欲するのみ。輸将、海上より起こりて来たり、一銭の賤なるも、十銭の費あり、軽がるしくは致す能わず。上の得る所は甚だ少なく、而るに民の毒苦甚だ深し。故に陳勝一たび動きて天下振わず。
現代語訳
古は、天子の領地は四方千里で、その中央に都を置き、物資の運搬や労役の徴発でも、遠い者でも五百里以内で着きました。公侯の領地は百里四方で、その中央に都を置き、遠い者でも五十里以内で着きました。運ぶ者は労役に苦しまず、労役に就く者は費用を傷めません。だから遠方の人も自分の居所に安んじ、士も民もみな上を喜び楽しみました。これが天下が長く続いた理由です。秦の代になるとそうではなく、秦はわずかな土地も分けることができず、すべてを自分で持とうとしました。物資の輸送は海のほとりから始まり、一銭の安い物でも十銭の費用がかかり、軽々しくは運べません。上が得るものは少ないのに、民の苦しみは非常に深かった。だから陳勝がひとたび動くと、天下は持ちこたえられなくなったのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・作戦篇国の師に貧しきは遠く輸すればなり。遠く輸すれば百姓貧し。
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『晏子春秋』諫上・景公從畋十八日不返國晏子諫景公、署梁に畋し、十有八日にして返らず。晏子、国より往きて公に見ゆ。至るに比び、衣冠正しからず。衣冠を革めず、遊を望みて馳す。公、晏子を望み見、車を下りて逆え労いて曰く、「夫子、何ぞ遽かなる。国家に故有ること無きか」と。晏子対えて曰く、「亦急ならずや。然りと雖も、嬰、復すること有らんことを願う。国人皆君を以て野に安んじて国に安んぜず、獣を好みて民を悪むと為す。乃ち不可ならざらんや」と。公曰く、「何ぞや。吾、夫婦の獄訟の正しからざるが為ならば、則ち泰士子牛存せり。社稷宗廟の享けざるが為ならば、則ち泰祝子遊存せり。諸侯賓客の之に応ずる莫きが為ならば、則ち行人子羽存せり。田野の辟かれず、倉庫の実たざるが為ならば、則ち申田存せり。国家の余り有り不足あるを聘うが為ならば、則ち吾が子存せり。寡人の五子有るは、猶お心の四支有るがごとし。心に四支有り、故に心は佚を得たり。今、寡人に五子有り、故に寡人は佚を得たり。豈に不可ならんや」と。晏子対えて曰く、「嬰之を聞く、君の言とは異なり。若し乃ち心に四支有りて、心は佚を得ば、則ち可なり。四支をして心無からしめて、十有八日、亦久しからずや」と。公、是に於いて畋を罷めて帰る。
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老子・第29章将に天下を取りて之を為さんと欲するも、吾れ其の已むを得ざるを見る。天下は神器なり、為すべからざるなり、執るべからざるなり。為す者は之を敗り、執る者は之を失う。故に物は或いは行き或いは随い、或いは歔き或いは吹き、或いは強く或いは羸く、或いは挫け或いは隳る。是を以て聖人は甚を去り、奢を去り、泰を去る。
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