晏子春秋 / 諫上・景公從畋十八日不返國晏子諫
景公畋于署梁,十有八日而不返。晏子自國往見公。比至,衣冠不正,不革衣冠,望遊而馳。公望見晏子,下車逆勞曰:「夫子何為遽?國家得無有故乎?」晏子對曰:「不亦急也!雖然,嬰願有復也。國人皆以君為安於野而不安于國,好獸而惡民,毋乃不可乎?」公曰:「何哉?吾為夫婦獄訟之不正乎?則泰士子牛存矣;為社稷宗廟之不享乎?則泰祝子遊存矣;為諸侯賓客莫之應乎?則行人子羽存矣;為田野之不辟,倉庫之不實乎?則申田存矣;為國家之有餘不足聘乎?則吾子存矣。寡人之有五子,猶心之有四支,心有四支,故心得佚焉。今寡人有五子,故寡人得佚焉,豈不可哉!」晏子對曰:「嬰聞之,與君言異。若乃心之有四支,而心得佚焉,則可,令四支無心,十有八日,不亦久乎!」公於是罷畋而歸。
新字:景公畋于署梁,十有八日而不返。晏子自国往見公。比至,衣冠不正,不革衣冠,望遊而馳。公望見晏子,下車逆労曰:「夫子何為遽?国家得無有故乎?」晏子対曰:「不亦急也!雖然,嬰願有復也。国人皆以君為安於野而不安于国,好獣而悪民,毋乃不可乎?」公曰:「何哉?吾為夫婦獄訟之不正乎?則泰士子牛存矣;為社稷宗廟之不享乎?則泰祝子遊存矣;為諸侯賓客莫之応乎?則行人子羽存矣;為田野之不辟,倉庫之不実乎?則申田存矣;為国家之有余不足聘乎?則吾子存矣。寡人之有五子,猶心之有四支,心有四支,故心得佚焉。今寡人有五子,故寡人得佚焉,豈不可哉!」晏子対曰:「嬰聞之,与君言異。若乃心之有四支,而心得佚焉,則可,令四支無心,十有八日,不亦久乎!」公於是罷畋而帰。
書き下し
景公、署梁に畋し、十有八日にして返らず。晏子、国より往きて公に見ゆ。至るに比び、衣冠正しからず。衣冠を革めず、遊を望みて馳す。公、晏子を望み見、車を下りて逆え労いて曰く、「夫子、何ぞ遽かなる。国家に故有ること無きか」と。晏子対えて曰く、「亦急ならずや。然りと雖も、嬰、復すること有らんことを願う。国人皆君を以て野に安んじて国に安んぜず、獣を好みて民を悪むと為す。乃ち不可ならざらんや」と。公曰く、「何ぞや。吾、夫婦の獄訟の正しからざるが為ならば、則ち泰士子牛存せり。社稷宗廟の享けざるが為ならば、則ち泰祝子遊存せり。諸侯賓客の之に応ずる莫きが為ならば、則ち行人子羽存せり。田野の辟かれず、倉庫の実たざるが為ならば、則ち申田存せり。国家の余り有り不足あるを聘うが為ならば、則ち吾が子存せり。寡人の五子有るは、猶お心の四支有るがごとし。心に四支有り、故に心は佚を得たり。今、寡人に五子有り、故に寡人は佚を得たり。豈に不可ならんや」と。晏子対えて曰く、「嬰之を聞く、君の言とは異なり。若し乃ち心に四支有りて、心は佚を得ば、則ち可なり。四支をして心無からしめて、十有八日、亦久しからずや」と。公、是に於いて畋を罷めて帰る。
現代語訳
景公は署梁で狩りをし、十八日たっても帰りませんでした。晏子は都から出向いて公に会いに行きました。到着したとき、衣冠は乱れていました。衣冠を改めずに、遊びの場を目指して馬を走らせたのです。公は晏子を見つけると、車を下りて迎え、ねぎらって言いました。「あなたは、なぜそんなに慌てている。国に何か事でも起きたのか」。晏子は答えました。「急ではありませんか。それでも、どうか申し上げたいことがあります。国の人々はみな、君が野にいて落ち着き、国にいると落ち着かず、獣を好んで民を憎んでいると言っています。これはよろしくないことではありませんか」。公は言いました。「何を言う。私が夫婦の訴訟の裁きが正しくないのを案じるなら、泰士の子牛がいる。社稷や宗廟の祭りが受け入れられないのを案じるなら、泰祝の子遊がいる。諸侯や賓客に応対する者がいないのを案じるなら、行人の子羽がいる。田野が開かれず倉庫が満ちないのを案じるなら、申田がいる。国家の余りと不足を調べるなら、あなたがいる。私に五人の臣がいるのは、心に四本の手足があるのと同じだ。心に四肢があるから、心は安楽でいられる。いま私に五人の臣がいるから、私は安楽でいられる。何がいけないのか」。晏子は答えました。「私はこう聞いています。君の言うことは違います。もし心に四肢があって心が安楽でいられるのなら、結構です。しかし四肢に心がなくなって十八日ですよ、あまりに長くはありませんか」。公はそこで狩りをやめて帰りました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・奉使趙王使者を楚に遣わす。方に瑟を鼓して之を遣わし、之を誡めて曰く、「必ず吾が言の如くせよ。」使者曰く、「王の瑟を鼓するや、未だ嘗て此くの如く悲しからざりき。」王曰く、「宮商固より方に調えり。」使者曰く、「調うれば則ち何ぞ其の柱に書さざるか。」王曰く、「天に燥濕有り、絃に緩急有り、宮商の移徙知るべからず、是を以て書さず。」使者曰く、「明君の人を使うや、之に任ずるに事を以てし、制するに辭を以てせず。吉に遇えば則ち之を賀し、凶には則ち之を弔う。今楚と趙と相去ること千有餘里、吉凶憂患、豫め知るべからざること、猶お柱の書すべからざるがごとし。詩に云う、『莘莘たる征夫、每に懷えども及ぶこと靡し。』」
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史記 傅靳蒯成列伝蒯成侯緤(せつ)は、沛の人なり、姓は周氏。常に高祖の参乗と為り、舎人を以て従ひて沛に起つ。霸上に至り、西のかた蜀・漢に入り、還りて三秦を定め、池陽に食邑す。東のかた甬道を絶ち、従ひて出でて平陰を度り、淮陰侯の兵に襄国に遇ふ。軍乍ち利あり乍ち利あらざるも、終に上を離るるの心無し。緤を以て信武侯と為し、食邑三千三百戸。高祖の十二年、緤を以て蒯成侯と為し、前に食む所の邑を除く。上自ら陳豨を撃たんと欲するに、蒯成侯泣きて曰く、「始め秦天下を攻め破るに、未だ嘗て自ら行かず。今上常に自ら行く、是れ人の使ふべき者無しと為すか」と。上以て「我を愛す」と為し、殿門に入りて趨らず、人を殺すも死せざるを賜ふ。
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『春秋左氏伝』隠公五年 公、魚を棠に観る五年春、公將に棠に如きて魚する者を觀んとす。臧僖伯諫めて曰く、「凡そ物の以って大事を講ずるに足らず、其の材の以って器用に備ふるに足らざれば、則ち君舉げず。君は、將に民を軌・物に納れんとする者なり。故に事を講じて以って軌量を度る、之を『軌』と謂ふ。材を取りて以って物采を章らかにする、之を『物』と謂ふ。軌ならず物ならざる、之を亂政と謂ふ。亂政亟々行はるるは、敗るる所以なり。故に春蒐・夏苗・秋獮・冬狩、皆農隙に於いて以って事を講ずるなり。三年にして兵を治め、入りて旅を振ひ、歸りて飲至し、以って軍實を數ふ。文章を昭らかにし、貴賤を明らかにし、等列を辨じ、少長を順にし、威儀を習ふなり。鳥獸の肉俎に登らず、皮革齒牙・骨角毛羽器に登らざれば、則ち公射ず、古の制なり。夫の山林川澤の實、器用の資、皁隸の事、官司の守の若きは、君の及ぶ所に非ざるなり」と。公曰く、「吾將に地を略せんとす」と。遂に往き、魚を陳ねて之を觀る。僖伯疾と稱して從はず。書して「公魚を棠に矢ぬ」と曰ふは、禮に非ざればなり、且つ地の遠きを言ふなり。曲沃の莊伯鄭人・邢人を以って翼を伐つ。王尹氏・武氏をして之を助けしむ。翼侯隨に奔る。夏、衛の桓公を葬る。衛亂る、是を以って緩し。
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