新書 / 時變
今者何如,進取之時去矣,幷兼之勢過矣。胡以孝弟循順爲?善書而爲吏耳。胡以行義節爲?家富而出官耳。驕耻偏而爲祭尊,黥劓者攘臂而爲祭政。行雖狗彘也,苟家富財足,隱机盱視而爲天子耳。唯告罪昆弟,欺突伯父,逆於父母乎,然錢財多也,衣服修也,我何妨爲世之基公。唯愛季母、妻公之接女乎,車馬嚴也,走犬良也。矯誙而家美,盜賊而財多,何傷?欲交,吾擇貴寵者而交之;欲勢,擇吏權者而使之。取婦嫁子,非有權勢,吾不與婚姻;非有貴戚,不與兄弟;非富大家,不與出入。因何也?今俗侈靡以出倫踰等相驕,以富過其事相競。今世貴空爵而賤良,俗靡而尊奸;富民不爲奸而貧爲里侮也,廉吏釋官而歸爲邑笑;居官敢行奸而富爲賢吏,家處者犯法爲利爲材士。
新字:今者何如,進取之時去矣,幷兼之勢過矣。胡以孝弟循順為?善書而為吏耳。胡以行義節為?家富而出官耳。驕耻偏而為祭尊,黥劓者攘臂而為祭政。行雖狗彘也,苟家富財足,隠机盱視而為天子耳。唯告罪昆弟,欺突伯父,逆於父母乎,然銭財多也,衣服修也,我何妨為世之基公。唯愛季母、妻公之接女乎,車馬厳也,走犬良也。矯誙而家美,盗賊而財多,何傷?欲交,吾択貴寵者而交之;欲勢,択吏権者而使之。取婦嫁子,非有権勢,吾不与婚姻;非有貴戚,不与兄弟;非富大家,不与出入。因何也?今俗侈靡以出倫踰等相驕,以富過其事相競。今世貴空爵而賤良,俗靡而尊奸;富民不為奸而貧為里侮也,廉吏釈官而帰為邑笑;居官敢行奸而富為賢吏,家処者犯法為利為材士。
書き下し
今は何如。進取の時 去り、幷兼の勢い 過ぐ。胡ぞ孝弟循順を以て為さんや。書を善くして吏と為るのみ。胡ぞ行義節を以て為さんや。家 富みて官に出づるのみ。驕恥 偏にして祭尊と為り、黥劓の者 臂を攘いて祭政と為る。行い狗彘なりと雖も、苟くも家 富み財 足らば、机に隠れ盱視して天子と為るのみ。唯だ昆弟に罪を告げ、伯父を欺突し、父母に逆らうも、然れども銭財 多く、衣服 修まる。我 何ぞ世の基公たるを妨げん。唯だ季母・妻公の接女を愛するも、車馬 厳しく、走犬 良し。矯誙して家 美しく、盗賊して財 多し、何ぞ傷まん。交わらんと欲すれば、吾 貴寵の者を択びて之と交わり、勢いを欲すれば、吏権の者を択びて之を使う。婦を取り子を嫁がしむるに、権勢有るに非ざれば、吾 与に婚姻せず。貴戚有るに非ざれば、与に兄弟たらず。富大家に非ざれば、与に出入せず。何に因る。今 俗は侈靡にして倫を出で等を踰ゆるを以て相い驕り、富の其の事に過ぐるを以て相い競う。今世は空爵を貴び良を賤しみ、俗は靡にして奸を尊ぶ。富民は奸を為さずして貧なるは里に侮られ、廉吏は官を釈てて帰れば邑に笑わる。官に居りて敢えて奸を行いて富む者は賢吏と為り、家に処りて法を犯して利を為す者は才士と為る。
現代語訳
では今はどうでしょうか。進んで奪い取る時代は去り、併合の勢いは過ぎました。それなのに、どうして孝悌や従順が必要でしょうか。文字がうまければ役人になれるだけです。どうして義や節が必要でしょうか。家が富めば官に出られるだけです。傲慢で恥知らずな者が祭祀の尊い席に就き、入れ墨や鼻削ぎの刑を受けた者が腕をまくって祭祀の政をつかさどります。行いは犬や豚のようでも、家が富んで財が足りれば、机にもたれて睨みつけ、天子のように振る舞います。兄弟を告発し、伯父を欺いて突き放し、父母に逆らっても、銭財が多く、衣服が整っていれば、何の妨げがあるでしょう。末の叔母や妻の父の接待する女を愛しても、車馬が厳めしく、猟犬がよければ構わないのです。偽って家を美しくし、盗賊のようにして財を築いても、何が悪いでしょう。交際を望めば、私は貴く寵愛される者を選んで交わり、権勢を望めば、役人の権限を持つ者を選んで使います。嫁を取るにも嫁がせるにも、権勢がある者でなければ婚姻を結びません。貴い親戚がいなければ兄弟の交わりを結びません。富める大家でなければ出入りもしません。なぜでしょう。いまの風俗は贅沢で、分を越え等を踰えることで互いに驕り、富が仕事に見合わないほど大きいことで競い合っているからです。いまの世は名ばかりの爵位を貴び、良い人を賤しみ、風俗は贅沢で奸を尊びます。富んだ民は悪を為さずとも貧しければ里で侮られ、廉潔な役人は官を辞して帰れば村で笑われます。官にいて敢えて悪を行って富む者は賢い役人とされ、家にあって法を犯して利を得る者は才ある士とされます。
解説
この章句が説くこと
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