論語 / 述而篇
子曰:「富而可求也,雖執鞭之士,吾亦爲之;如不可求,從吾所好。」
新字:子曰:「富而可求也,雖執鞭之士,吾亦為之;如不可求,従吾所好。」
書き下し
子曰く、富にして求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従わん。
現代語訳
先生がおっしゃった。「富というものが、求めて得られるものならば、(貴人の)むち持ちの役でも、私はやろう。もし求めて得られないものならば、私は自分の好むことに従おう。」
解説
孔子は富を否定していない。得られるなら卑しい仕事でもやる、とまで言っている。清貧の思想としてこの章を読むと、肝心なところを外す。要点は「求めて得られるものかどうか」という条件のほうにある。努力と結果が対応する領域なら、手段を選ばず取りに行けばよい。だが富には運や時勢の要素が大きく、努力が必ずしも報われない。だとすれば、報われない可能性のあるものに人生の全部を賭けるより、自分が好むことをするほうが理にかなう、という判断である。冷静な計算であって、諦めではない。仕事の選び方に置き換えると分かりやすい。成果が自分の努力で動く領域はどこか、運任せの領域はどこか。この二つを分けずに頑張ると、報われない努力を長く続けることになる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
富好み選択努力と運職業観
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『家道訓』巻之四・用財上一人もし富貴にして、たからを多く貯へもたば、是天より我一人にあつくし給ふにあらず、多く人をすくはしめんために、我にさづけたまふとおもひて、天命にしたがひて、つねに仁愛の心をもちて、貧苦なる人をめぐみ、飢饉する者をすくひて、善を行ふを以て楽とすべし。是天の御心にそむかざるなり。斯くのごとくならば、富貴なるかひありて、大なる楽なるべし。財を多くもちても、我が身ひとりの俸養におごり、人にほどこさずして善を行はざるは、無用の物なり。石瓦を多くもてるに同じ。かかる人を守銭虜と古人の云ひけんもむべなり。財をもてるかひなくして、貧賤の人と同じ。一財を用ふる道をしらで貧窮なれば、父母をやしなふにうすく、人に与ふべき物をあたへず、人を恵むことなりがたく、人のおひめをかへさず、廉恥の道行はれがたく、人の恵を受けてむくいず。官となりても、貧なれば民をむさぼりやすく、忠義をつとめがたし。礼義にそむき、心術に害あること、皆是困窮よりおこる。困窮は倹約ならざるよりおこれり。然る故に、倹約は家ををさむる要道なり。
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論語・季氏篇斉の景公、馬千駟有り。死するの日、民徳として称する無し。伯夷・叔斉、首陽の下に餓う。民今に到るまで之を称す。其れ斯を之謂うか。
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『武士道』第七章 至誠信實・富の道は名誉の道に非ず然るに聞く、米国の如き実業国に於てすら、実業家中、十の八は破産せざるなしと。されば士族の商業の能く成功したるもの、百人にして一人を算ふるも、亦た敢て驚くに足らず。要するに武士道の道義を商業に施さんと欲して、為に蕩尽したる財産の数量は、殆ど計るべからざるものあらん。識見ある士人の、直ちに富の道は名誉の道に非ざるを認めたるも、亦た宜なりと謂ふべし。この二者の道の由つて岐るる処は、果していづれにありや。レッキーがかつて誠実の誘因として挙げたる実業、政治、哲学の三者中、其一は武士道全く之を欠き、其二は封建制度の政治社会に在りて、殆ど此れが発達を見ること能はざりき。而して誠実信義の徳の、士林の道徳範囲に於て其重きをなすに至りたる所以は、其哲学的誘因に由れるものにして、即ちレッキーの所謂、至高の形態に於て発達したるものなり。
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徒然草・第217段ある大福長者の曰く、「人は万をさしおきて、一向に徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかむとおもはば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。その心といふは他の事にあらず。人間常住の思ひに住して、仮にも無常を観ずる事なかれ。これ第一の用心なり。次に万事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に従ひて志を遂げむと思はば、百万の銭ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止むときなし。財は尽くる期あり。かぎりある財をもちてかぎりなき願ひに従ふこと、得べからず。所願心に兆すことあらば、われを亡すべき悪念きたれりと、かたく慎みおそれて、小用をもなすべからず。次に、銭を奴の如くしてつかひ用ゐるものと知らば、長く貧苦を免るべからず。君の如く神のごとくおそれ尊みて、従へ用ゐることなかれ。次に恥にのぞむといふとも、怒り怨むる事なかれ。次に正直にして、約をかたくすべし。この義を守りて利をもとめむ人は、富の来ること、火の乾けるに就き、水の下れるに従ふが如くなるべし。銭つもりて尽きざるときは、宴飮声色を事とせず、居所をかざらず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く楽し。」と申しき。そもそも人は所願を成ぜむがために財をもとむ。銭を財とする事は、願ひをかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、銭あれども用ゐざらむは、全く貧者とおなじ。何をか楽しびとせむ。このおきてはたゞ人間の望みを絶ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。欲をなして楽しびとせむよりは、しかじ財なからむには。癰疽を病む者、水に洗ひて楽しびとせむよりは、病まざらむには如かじ。こゝに至りては、貧富分くところなし。究竟は理即にひとし。大欲は無欲に似たり。
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