新書 / 服疑
衣服疑者,是謂争先;厚澤疑者,是謂争賞;權力疑者,是謂争彊;等級無限,是謂争尊。彼人者,近則冀幸,疑則比争,是以等級分明則下不得疑,權力絶尤則臣無兾志。故天子之於其下也,加五等已徃,則爲臣例;臣之於下也,加五等以徃,則以爲僕,僕則亦臣禮也。然稱僕不敢稱臣者,尊天子避嫌疑也。
新字:衣服疑者,是謂争先;厚沢疑者,是謂争賞;権力疑者,是謂争彊;等級無限,是謂争尊。彼人者,近則冀幸,疑則比争,是以等級分明則下不得疑,権力絶尤則臣無兾志。故天子之於其下也,加五等已往,則為臣例;臣之於下也,加五等以往,則以為僕,僕則亦臣礼也。然称僕不敢称臣者,尊天子避嫌疑也。
書き下し
衣服疑わしき者は、是れ先を争うと謂う。厚沢疑わしき者は、是れ賞を争うと謂う。権力疑わしき者は、是れ強を争うと謂う。等級限り無きは、是れ尊を争うと謂う。彼の人なる者は、近ければ則ち冀幸し、疑わしければ則ち比争す。是を以て等級分明なれば則ち下は疑うを得ず、権力絶尤なれば則ち臣に冀志無し。故に天子の其の下に於けるや、五等を加えて已往は、則ち臣の例と為す。臣の下に於けるや、五等を加えて以往は、則ち以て僕と為し、僕も則ち亦た臣の礼なり。然れども僕と称して敢えて臣と称せざるは、天子を尊びて嫌疑を避くるなり。
現代語訳
衣服が疑わしい(紛らわしい)者は、先を争うと言い、恩沢が疑わしい者は、賞を争うと言い、権力が疑わしい者は、強さを争うと言い、等級に限りがなければ、尊さを争うと言います。そもそも人は、近ければ幸運を願い、疑わしければ並んで争います。だから等級がはっきりしていれば下は疑うことができず、権力が際立って隔たっていれば臣に望みを抱く志がなくなります。故に天子が下に対するときは、五等を加えて以上になれば、臣の例とします。臣が下に対するときは、五等を加えて以上になれば、僕とし、僕もまた臣の礼にあたります。それでも僕と称して敢えて臣と称さないのは、天子を尊んで嫌疑を避けるためです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』哀公六年 孺子の牛冬、十月、丁卯、之を立つ。將に盟はんとす。鮑子醉ひて往く。其の臣差車の鮑點曰く、「此れ誰の命ぞ」と。陳子曰く、「命を鮑子に受く」と。遂に鮑子を誣ひて曰く、「子の命なり」と。鮑子曰く、「女(なんぢ)、君の孺子の牛と為りて其の齒を折りしを忘れたるか。而るに之に背くか」と。悼公稽首して曰く、「吾子は義を奉じて行ふ者なり。若し我可ならば、必ずしも一大夫を亡はず。若し我可ならずんば、必ずしも一公子を亡はず。義なれば則ち進み、否なれば則ち退かん。敢へて唯だ子に是れ從はざらんや。廢興以て亂るること無くんば、則ち願ふ所なり」と。鮑子曰く、「誰か君の子に非ざらん」と。乃ち盟を受く。胡姬をして安孺子を以て賴に如かしむ。鬻姒を去り、王甲を殺し、江說を拘へ、王豹を句竇の丘に囚ふ。公、朱毛をして陳子に告げしめて曰く、「子微かりせば則ち此に及ばず。然れども君は器に異なり、以て二にすべからず。器は二なれば匱しからず、君は二なれば難多し。敢へて諸を大夫に布く」と。僖子對へずして泣きて曰く、「君舉げて群臣を信ぜざるか。齊國の困を以て、困又憂有り。少君は以て訪ふべからず。是を以て長君を求む。庶(こひねが)はくは亦た能く群臣を容れんか。然らずんば、夫の孺子何の罪かあらん」と。毛復命す。公之を悔ゆ。毛曰く、「君、大は陳子に訪ひて、其の小を圖らば、可なり」と。毛をして孺子を駘に遷さしむ。至らずして、諸を野幕の下に殺し、諸を殳冒淳に葬る。
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論語・季氏篇孔子曰く、天下に道有れば、則ち礼楽征伐は天子より出づ。天下に道無ければ、則ち礼楽征伐は諸侯より出づ。諸侯より出づれば、蓋し十世にして失わざるは希なり。大夫より出づれば、五世にして失わざるは希なり。陪臣国命を執れば、三世にして失わざるは希なり。天下に道有れば、則ち政は大夫に在らず。天下に道有れば、則ち庶人は議せず。
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『韓非子』難四第三十九今未だ其の得る所以有らずして、而も其の處る所以を行う。是れ義を倒にして徳に逆うなり。
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