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慎思録 / 巻之六

如愚之晩出。凡庸之才。固陋之學。且淺德薄行。固無足稱者。然幸賴天之靈。倚地之德。因父母之生育。浴主君之恩澤。仰聖人之至敎。依先賢之開導。且逢天之祐。享壽既八十有四歲。自幼勤苦積年。髣髴得有所見于道理之萬一。區區之受福。如此其大也。可謂感戴罔極也。則吾身之至眇。受天地父母君主聖賢之恩也。可謂厚而且大矣。又幸得天祐之而躋壽域。有讀書靜養之娛樂。欲報之德。昊天豈有極乎。又何以俸養之菲薄妄生憂戚乎。

新字:如愚之晩出。凡庸之才。固陋之学。且浅徳薄行。固無足称者。然幸頼天之霊。倚地之徳。因父母之生育。浴主君之恩沢。仰聖人之至教。依先賢之開導。且逢天之祐。享寿既八十有四歳。自幼勤苦積年。髣髴得有所見于道理之万一。区区之受福。如此其大也。可謂感戴罔極也。則吾身之至眇。受天地父母君主聖賢之恩也。可謂厚而且大矣。又幸得天祐之而躋寿域。有読書静養之娯楽。欲報之徳。昊天豈有極乎。又何以俸養之菲薄妄生憂戚乎。

書き下し

愚の如きは晩出にして、凡庸の才、固陋の学、且つ浅徳薄行にして、固より称するに足る者無し。然れども幸ひに天の霊に頼り、地の徳に倚り、父母の生育に因り、主君の恩沢に浴し、聖人の至教を仰ぎ、先賢の開導に依る。且つ天の祐けに逢ひて、寿を享くること既に八十有四歳。幼より勤苦して年を積み、髣髴として道理の万一に見る所有るを得たり。区区の福を受くること、此くの如く其れ大なり。感戴罔極なりと謂ふべし。則ち吾が身の至眇なる、天地父母君主聖賢の恩を受くるや、厚くして且つ大なりと謂ふべし。又幸ひに天之を祐くるを得て寿域に躋り、読書静養の娯楽有り。之に報いんと欲するの徳、昊天豈に極まり有らんや。又何ぞ俸養の菲薄なるを以て妄りに憂戚を生ぜんや。

現代語訳

私のような者は遅れて生まれ、凡庸な才、狭く古い学問で、そのうえ徳も浅く行いも薄く、もとより称えるに足るものはありません。しかし幸いに天の霊力に頼り、地の徳に寄り、父母の生み育てに因り、主君の恩沢に浴し、聖人の至上の教えを仰ぎ、先賢の導きに依っています。また天の助けに恵まれて、寿命はすでに八十四歳を数えます。幼いころから苦労して年を重ね、おぼろげながら道理の万分の一を見ることができました。ささやかな私が受けた福はこれほど大きいのです。感謝の念は窮まりないと言うべきです。つまりこのきわめて小さな身が受けた天地・父母・主君・聖賢の恩は、厚くしかも大きいと言うべきです。また幸いに天の助けを得て長寿の域に達し、読書と静養の楽しみがあります。これに報いたい徳は、広大な天のようにどうして窮まりがありましょう。またどうして俸禄の少なさを理由にみだりに憂いを生じることがありましょう。

解説

八十四歳の益軒が、天地・父母・主君・聖賢・先賢から受けた恩を数え上げ、その恩の大きさに比べれば俸禄の少なさを憂える理由はないと述べた条です。「昊天罔極」は『詩経』小雅・蓼莪の「之が徳に報いんと欲すれば昊天罔極なり」に由来し、父母の恩の限りなさを言います。益軒は『大和俗訓』などで、天地・父母・君の恩を知ることを人の道の基本としました。自分を支えてきたものを一つずつ数えてみると、不満より感謝が先に立つようになります。

この章句が説くこと

報恩感謝長寿天地知足

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