慎思録 / 巻之六
古語曰。淸樂天所慳惜。百倍於功名爵祿。此雖非眞儒之言。亦有理。何則得功名爵祿者。世世不少。唯得淸福之樂者鮮矣。如予固庸劣。自幼讀聖賢之書。有志于義理之學。至老未休。幸天假之年。且屢遊乎京師。歷觀於諸州。貯書數百部。且飽煖逸居出入有僕從。是可謂享淸福多也。天之愛我誠厚矣。只恨享此淸福。居然食嘉穀。消白日。無補乎人。可謂天地之間一蠧也。眞爲可畏耳。然則雖貧賤在下。然吾之得淸福之爲幸也。倍富貴功名也遠矣。不可抱歉。况吾之庸材。其貧賤者。乃分之宜也。分外豈可願乎。且天地之生物也。不能兩全。是以有翼者無手。有角者無牙。花之美者。其實不可食。實之美者。其花不足觀矣。然則既得淸福。則雖貧窮。亦奚慊乎哉。鄒浩曰。人間世之樂。有能易讀書者乎。誠哉斯言也。讀書之樂。超乎富貴爵祿信遠矣。仍可爲羨爵祿乎。
新字:古語曰。清楽天所慳惜。百倍於功名爵禄。此雖非真儒之言。亦有理。何則得功名爵禄者。世世不少。唯得清福之楽者鮮矣。如予固庸劣。自幼読聖賢之書。有志于義理之学。至老未休。幸天仮之年。且屡遊乎京師。歴観於諸州。貯書数百部。且飽煖逸居出入有僕従。是可謂享清福多也。天之愛我誠厚矣。只恨享此清福。居然食嘉穀。消白日。無補乎人。可謂天地之間一蠹也。真為可畏耳。然則雖貧賤在下。然吾之得清福之為幸也。倍富貴功名也遠矣。不可抱歉。況吾之庸材。其貧賤者。乃分之宜也。分外豈可願乎。且天地之生物也。不能両全。是以有翼者無手。有角者無牙。花之美者。其実不可食。実之美者。其花不足観矣。然則既得清福。則雖貧窮。亦奚慊乎哉。鄒浩曰。人間世之楽。有能易読書者乎。誠哉斯言也。読書之楽。超乎富貴爵禄信遠矣。仍可為羨爵禄乎。
書き下し
古語に曰く、清楽は天の慳惜する所、功名爵禄に百倍すと。此れ真儒の言に非ずと雖も、亦理有り。何となれば則ち功名爵禄を得る者は、世世少なからず。唯だ清福の楽を得る者は鮮し。予の如きは固より庸劣なるも、幼より聖賢の書を読み、義理の学に志有りて、老に至るまで未だ休まず。幸ひに天之に年を仮し、且つ屢京師に遊び、諸州を歴観す。書数百部を貯へ、且つ飽煖逸居して出入に僕従有り。是れ清福を享くること多しと謂ふべし。天の我を愛すること誠に厚し。只恨むらくは此の清福を享けて、居然として嘉穀を食み、白日を消し、人に補ひ無きことを。天地の間の一蠹と謂ふべし。真に畏るべきのみ。然らば則ち貧賤にして下に在りと雖も、然れども吾の清福を得るの幸ひ為るや、富貴功名に倍すること遠し。歉を抱くべからず。況んや吾の庸材、其の貧賤なる者は、乃ち分の宜なり。分外豈に願ふべけんや。且つ天地の物を生ずるや、両全すること能はず。是を以て翼有る者は手無く、角有る者は牙無し。花の美なる者は、其の実食ふべからず。実の美なる者は、其の花観るに足らず。然らば則ち既に清福を得れば、則ち貧窮なりと雖も、亦奚ぞ慊らざらんや。鄒浩曰く、人間世の楽しみ、能く読書に易ふる者有らんやと。誠なるかな斯の言や。読書の楽しみは、富貴爵禄に超ゆること信に遠し。仍ほ爵禄を羨むべけんや。
現代語訳
古い言葉に「清らかな楽しみは天が惜しむもので、功名や爵禄の百倍にもなる」とあります。これは真の儒者の言葉ではありませんが、道理があります。なぜなら功名や爵禄を得る者はいつの世にも少なくありませんが、清らかな福の楽しみを得る者は少ないからです。私はもとより凡庸で劣っていますが、幼いころから聖賢の書を読み、道理の学問に志して、老いるまで休んだことがありません。幸いに天は長い年月を貸してくれ、しばしば京都に遊び、諸国を見て回りました。書物を数百部蓄え、満腹で暖かく安楽に暮らし、出入りには供の者がいます。これは清らかな福を多く受けていると言うべきです。天が私を愛してくれることはまことに厚いのです。ただ残念なのは、この清らかな福を受けながら、のうのうとよい穀物を食べ、日々を過ごし、人に何の役にも立っていないことです。天地の間の一匹の虫食いと言うべきで、本当に恐ろしいことです。そうだとすれば、貧賤で下の身分にあっても、私が清らかな福を得ている幸いは、富貴や功名をはるかに上回ります。不満を抱くべきではありません。まして私の凡庸な才では、貧賤であるのが分にかなっています。分の外のことをどうして願ってよいでしょうか。そのうえ天地が物を生むときには、両方を全うさせることはできません。だから翼のある者には手がなく、角のある者には牙がありません。花の美しいものはその実が食べられず、実のおいしいものはその花が見るに足りません。そうだとすれば、すでに清らかな福を得ているのなら、貧しくても何の不満がありましょう。鄒浩は「人の世の楽しみで、読書と取り替えられるものがあろうか」と言いました。まことにこの言葉の通りです。読書の楽しみは富貴や爵禄をはるかに超えています。それでもなお爵禄を羨むべきでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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