慎思録 / 巻之二
報恩之一事。人道之所宜勤也。史記三本之語。欒共子民生於三之言。宜顧念之。夫以天覆地載。父生母育。君養聖敎師導。是皆於吾有罔極之恩。豈可一日忘之哉。犲獺皆知報本。若忘恩背德者。不如犲獺也。學者須省念所以報君親與天地聖師。葢忠孝順事報德之志。不可一日怠廢也。如君父師之恩。間亦有粗知之者。至于天地聖人之恩。葢知之者極少矣。學者之所當不忘也。
新字:報恩之一事。人道之所宜勤也。史記三本之語。欒共子民生於三之言。宜顧念之。夫以天覆地載。父生母育。君養聖教師導。是皆於吾有罔極之恩。豈可一日忘之哉。犲獺皆知報本。若忘恩背徳者。不如犲獺也。学者須省念所以報君親与天地聖師。葢忠孝順事報徳之志。不可一日怠廃也。如君父師之恩。間亦有粗知之者。至于天地聖人之恩。葢知之者極少矣。学者之所当不忘也。
書き下し
報恩の一事は、人道の宜しく勤むべき所なり。史記三本の語、欒共子の民は三に生くるの言、宜しく之を顧念すべし。夫れ天覆ひ地載せ、父生み母育て、君養ひ聖教へ師導くを以て、是れ皆吾に於て罔極の恩有り。豈に一日も之を忘るべけんや。豺獺すら皆本に報ゆることを知る。若し恩を忘れ徳に背く者は、豺獺に如かざるなり。学者は須らく君親と天地聖師とに報ゆる所以を省念すべし。蓋し忠孝順事報徳の志は、一日も怠廃すべからざるなり。君父師の恩の如きは、間々亦た粗之を知る者有り。天地聖人の恩に至っては、蓋し之を知る者極めて少なし。学者の当に忘れざるべき所なり。
現代語訳
恩に報いることは、人の道として勤めるべきことです。『史記』の「三本(三つの根本)」の言葉や、欒共子の「民は三つのものによって生きる」という言葉を、よく心にかけるべきです。天が覆い地が載せ、父が生み母が育て、君が養い聖人が教え師が導く。これらはみな私にとって限りない恩があります。どうして一日でも忘れられましょう。豺や獺でさえ、根本に報いることを知っています。もし恩を忘れ徳に背く者がいれば、豺や獺にも及びません。学ぶ者は、君と親、天地と聖人と師に報いる方法を、よく省みて心にかけるべきです。思うに、忠・孝・従順に仕えること・徳に報いる志は、一日も怠ってはなりません。君・父・師の恩については、ときにおおよそ知っている者もいます。天地や聖人の恩となると、おそらく知っている者はきわめて少ないのです。学ぶ者が忘れてはならないことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『囲炉夜話』第百八則・聖經賢傳は古今の命脈の繫る所孝子忠臣は、是れ天地の正氣の鍾まる所、鬼神も亦た之が爲に呵護す。 聖經賢傳は、乃ち古今の命脈の繫る所、人物悉く賴りて以て裁成す。
-
『慎思録』巻之六家に居て孝ならず、君に事へて忠ならざるは、厥の罪惟れ鈞し。不忠の人は、君得て之を斥く。不孝の人は、父忍びて之を容る。惟だ幸ひにして免るるのみ。人の子たる者、父の忍び容るる所と為るは、此れ不孝の甚だしきなり。父の譴責を被らずと雖も、豈に恥づる心あらざるべけんや。
-
『武士道』第九章 忠節・支那は孝を本とし日本は忠を本とす此れと等しく、日本人の懐抱する如き忠節は、国を異にして之を頌するものの、ほとんど稀なるを見ん。然れども此れ、吾人の観念の非なるが故にあらずして、却つて彼れにありては既に之を忘却せるが故にして、又た日本人の忠節の念に深厚なるは、他国の未だ容易に企及する能はざるものあるが為なるなからんか。グリフィス氏が、支那に在りては孔教は孝を以て百行の基と為し、日本に在りては忠を以て本と為す、と説けるは真に然り。予は今ここに、読者の或は吃驚酸鼻すべきを顧みず、シェイクスピアの所謂『落魄の主君に仕へて艱苦をつぶさにし』、以て『稗史に名を得たる』忠臣の物語を叙せん。其物語は、我国史を飾れる清廉高義の人格、菅原道真を寓せるものなり。
-
葉隠・聞書第一忠臣は孝子の門に尋ねよとあり。随分(ずいぶん)心を尽くして孝行すべき事なり。奉公に精を出す人は自然にはあれども、孝行に精出す人は稀なり。よき者には他人も懇(ねんご)ろに、亡き後にて残り多く、孝行に精出す人は稀なり。無理なる人、無理なる親にてなくば知れまじきなり。
-
『武士道』第九章 忠節・忠と孝の衝突平家物語の作者は、小松内府の父清盛の暴虐を憂ふるの条に至り、惻然として、『悲しきかな、君の御為に奉公の忠を致さんとすれば、迷盧八万の巓よりもなほ高き父の恩、たちまちに忘れんとす。いたましきかな、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御為には既に不忠の逆臣ともなりぬべし、進退これ谷れり』と歎ぜり。哀れむべし重盛、彼れ後、霊性の誠を披いて死を天に祈り、純潔正義の宿するに難き此塵世を出離せんことを願ふを見るに非らずや。義理と人情との衝突によりて心破れたるもの、古来其人多し、あに独り重盛のみならんや。シェイクスピアも将た旧約全書も、孝を説いて未だ明かなるものあるを見ず。然るに一旦此の衝突の起るや、武士道は孝を捨てて寧ろ忠を取るに遅疑せず。しかのみならず、女子も亦た敢て其子を励まして君主の為に死せしむ。
-
『囲炉夜話』第百二十則・仁に假仁有り義に假義有り忠に愚忠有り、孝に愚孝有り、忠孝の二字は伶俐の人の做し得來るものに非ざるを知るべし。 仁に假仁有り、義に假義有り、仁義の二途は奸險の人の其の內に藏るること無きにあらざるを知るべし。