慎思録 / 巻之六
白樂天詩曰。所得皆過望。省躬良可愧。白氏誠是英才善行之人。而其所言如此。况吾無才行。不逮於人遠矣乎。可謂所得逾望外也。韓非爲人也。口吃不能道說。而善著書。韓文公曰。化當世莫如言。化來世莫如書。篤信謂。余雖不口吃。而言詞拙陋。不能道說義理。且作文庸拙。不能著書示人葢出言著書。兩失之矣。何以得化人乎哉。唯以自樂爲事而已。
新字:白楽天詩曰。所得皆過望。省躬良可愧。白氏誠是英才善行之人。而其所言如此。況吾無才行。不逮於人遠矣乎。可謂所得逾望外也。韓非為人也。口吃不能道説。而善著書。韓文公曰。化当世莫如言。化来世莫如書。篤信謂。余雖不口吃。而言詞拙陋。不能道説義理。且作文庸拙。不能著書示人葢出言著書。両失之矣。何以得化人乎哉。唯以自楽為事而已。
書き下し
白楽天の詩に曰く、得る所皆望みに過ぐ、躬を省みれば良に愧づべしと。白氏は誠に是れ英才善行の人にして、其の言ふ所此くの如し。況んや吾才行無く、人に逮ばざること遠きをや。得る所望外に逾ゆと謂ふべし。韓非の人と為りや、口吃にして道説すること能はずして、善く書を著す。韓文公曰く、当世を化するは言に如くは莫く、来世を化するは書に如くは莫しと。篤信謂ふ、余口吃ならずと雖も、言詞拙陋にして、義理を道説すること能はず。且つ作文庸拙にして、書を著して人に示すこと能はず。蓋し言を出だし書を著すこと、両つながら之を失ふ。何を以て人を化することを得んや。唯だ自ら楽しむを以て事と為すのみ。
現代語訳
白楽天の詩に「得たものはみな望みを超えている。わが身を省みれば本当に恥ずかしい」とあります。白居易はまことに英才で善行の人でしたが、その言うことはこのようでした。まして私には才能も行いもなく、人にはるかに及びません。得たものは望外を超えていると言うべきです。韓非は生まれつき吃音で弁舌はできませんでしたが、書物を著すのは巧みでした。韓文公(韓愈)は「今の世を感化するには言葉に及ぶものはなく、後の世を感化するには書物に及ぶものはない」と言いました。私篤信が思うに、私は吃音ではありませんが、言葉が拙くて道理を説くことができません。また文章も平凡で拙く、書物を著して人に示すこともできません。思うに言葉を発することも書物を著すことも、両方ともできていません。どうして人を感化できるでしょうか。ただ自ら楽しむことを務めとするだけです。
解説
この章句が説くこと
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