驢鞍橋 / 卷中
師問衆、沒量大人被轉却語脉裡。此の意會すや。一僧云ふ、未徹の者も、靈利にして名句を吐けば、宗匠も彼に轉却せらるゝ儀か。師云はく、不是不是、人を見る事にあらす、隨分の人が語には轉せらるゝもの也。我此の位の覺あり。時に一僧挨拶して云はく、何を以てか轉却を免るゝ事を得ん。師云はく、知らす知らす
新字:師問衆、没量大人被転却語脉裡。此の意会すや。一僧云ふ、未徹の者も、霊利にして名句を吐けば、宗匠も彼に転却せらるゝ儀か。師云はく、不是不是、人を見る事にあらす、随分の人が語には転せらるゝもの也。我此の位の覚あり。時に一僧挨拶して云はく、何を以てか転却を免るゝ事を得ん。師云はく、知らす知らす
書き下し
師衆に問ふ、没量の大人も語脈裡に転却せらる。此の意会すや。一僧云ふ、未徹の者も、霊利にして名句を吐けば、宗匠も彼に転却せらるゝ儀か。師云はく、不是不是、人を見る事にあらす、随分の人が語には転せらるゝもの也。我此の位の覚あり。時に一僧挨拶して云はく、何を以てか転却を免るゝ事を得ん。師云はく、知らす知らす。
現代語訳
師は僧たちに問われた。「『はかり知れない大人物も、言葉の筋道の中で転がされてしまう』。この意味がわかるか」。ある僧が言った。「まだ悟りきっていない者でも、利発で名句を吐けば、師匠もその者に振り回されるということでしょうか」。師は言われた。「違う、違う。人を見る話ではない。相当な人でも、言葉には転がされるものだ。私にもそのような覚えがある」。その時ある僧が問いかけて言った。「どうすれば転がされずに済むのでしょうか」。師は言われた。「知らぬ、知らぬ」。
解説
この章句が説くこと
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