酔古堂剣掃 / 集素・人の是非を言はず
但看花開落,不言人是非。
書き下し
但だ花の開落を看て、人の是非を言はず。
現代語訳
ただ花が咲いては散るのを眺めて、人のよしあしを口にしません。
解説
わずか十字で、静かな暮らしの心得を言い切った一則です。花の開落は、季節ごとに花が咲いて散るという自然の移ろいです。是非は、ここでは人の善し悪しや噂話のことです。自然の変化を眺めることに心を向けていれば、人の欠点をあげつらう暇もなくなる、という対比になっています。人の是非を論じることは、古くから口の禍いのもととして戒められてきました。職場でも家庭でも、陰口や噂話に加わりたくなったときは、窓の外の季節の変化に目を向けてみると、心も言葉も穏やかになるかもしれません。
この章句が説くこと
処世謙虚自然言葉慎み
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